70 別れてもー 元カレ好きだけどー 今カレいまーす
王立劇場の新作オープニングデイは様々な分野の有名人が集まる。
一部は貴族よりも裕福と噂される平民有産階級、報道やショウビズの重鎮、そして貴族階級を代表する存在は、もちろん王家の人々だった。
今日は王太子ジュリアスが婚約者のマールバラ公爵令嬢ジョセフィンを伴って桟敷席に現れた。彼の叔父であるプランタジネット大公夫妻も同行している。
ホールに国歌が流れ、観客が一斉に立ち上がった。彼らに手を振り、王太子が着席する。開幕を待ちわびる興奮した囁きが再度ホールを満たした。
緞帳の向こう側では演出家が最後の指示を役者に与え、初日の成功を祈るためキャストとスタッフが手を繋いだ。そして開幕のベルが鳴った。
人気脚本家と新鋭の演出家、名だたる俳優たちがタッグを組んだ新作『アヴァロンの海賊』は劇中に歌や踊りを加えた華やかな舞台だった。対立する海賊船長たちがワイヤーで吊られて船上で戦うシーンでは、客席から歓声と拍手が起こった。
海戦あり、海賊の天敵である海軍提督の令嬢との恋ありと、物語はドラマチックに進み、主人公の海賊船長が自らの両親の敵と出会った所で第一幕が終わった。
人々はロビーに出て煙草や酒を楽しみ、新作の感想を語り合った。
「とても面白いわ、お兄様」
マティルダ王女が興奮気味に言うと、ジョセフィンも劣らず熱心に頷いた。
「俳優たちが台詞だけでなく歌とダンスもこなすなんて素晴らしいわ。宙を舞いながら戦うなんて、どんな仕掛けなのかしら」
「そうだな、ヒロイン役の女優は美人だし」
「……相変わらず目に入るのはご婦人だけですのね」
ジュリアスの素直すぎる感想に、ジョセフィンは冷え冷えとした視線を向けた。
隣の桟敷では仲睦まじく語り合う大公夫妻がちらりと見えた。華やかな大公妃は大きな羽根の付いた髪飾りで顔が半分近く隠れているのが、またミステリアスな妖艶さを引き立てていた。
別の桟敷席からオペラグラスで王太子を鑑賞するのはメアリ・アン・フィリップスだった。
「ああ、今日も麗しいわあ、ジュリアス様」
とろけそうな顔で呟く彼女を、同席していた姉がたしなめた。
「お行儀良くしなさい、メアリ・アン。ここは学園ではないのよ」
「だってえ……、あ、ジャスティン様にエディス様もいる!」
懲りない銀行家令嬢は、意外と近くの席にいた伯爵家の兄妹に手を振った。ライトル兄妹も彼女に気付き、笑顔で手を振り返す。
「メロディお姉ちゃまは来てないのね、モーリスお兄ちゃまも」
残念そうに言う妹に、兄は分別くさく答えた。
「たまには二人きりになりてえんだよ」
「エディスも一緒に遊びたい」
不満そうな伯爵令嬢の頭をジャスティンは撫でた。
「じゃ、また一緒に遊びに行こうな」
「約束よ!」
仲のいい子供たちに、伯爵夫妻は微笑んだ。
「ホテル暮らしが続いた気晴らしに来てみたが、良かったよ」
伯爵が囁くと夫人は微笑んだ。
和やかな観客に比べ、舞台裏は戦場のようだった。
大道具係が舞台転換を急ぎ、俳優たちは楽屋で素早く着替えていた。楽屋前の通路は、花束を抱え贔屓の女優を訪れる紳士たちの列があった。もちろん花束だけではなく高価な貴金属も抱えている。主演女優は宝石の入ってない花束は受け取らないことで有名なのだ。
そこに人の背丈ほどもある箱が運び込まれた。
「メイシー園芸から頼まれました」
王宮の庭園技師が経営する有名店からのものと聞いて人々は驚いた。マネージャーは難しい顔をした。
「これでは楽屋に入らないな。そこの裏に置いてくれるか」
「はい」
配達人は言われた場所に向かった。舞台裏に入ると同時に彼は作業着を脱ぎ捨て、箱の中から銃を取りだした。いつの間にか彼の周囲に集まった者に次々と取り出した銃を放り、彼らは武装を完了させた。
「いいな、舞台から威嚇して最速でロイヤルボックスを占拠しろ」
同志たちが頷いた時、荷物を満載した台車を押す男が側を通りかかった。
「あー、すみません、上手の舞台袖ってどこから行けますか?」
気の抜けるようなのんびりした声が、殺気立っていた解放戦線の戦士たちを拍子抜けさせた。放っておこうとする彼らに男が哀願する。
「助けてくださいよ、これが届かないと大勢が探しに来るんです。開幕遅らせたりしたらクビになるんですよ」
男の失業問題など知ったことではないが、人が集まるのは計画の支障になる。結局、一人が残って適当に相手をすることになった。無論、邪魔になれば殺す算段だ。
「本当に申し訳ない、この劇場は初めてなんで……おっと」
台車が床の凹凸で揺れ、荷物が崩れそうになるのを男は支えた。畳んだカーテンが飛び出す。
「あーあ、ちょっと待ってください」
苛々しながら付き合っていた解放戦線のメンバーは、そろそろいいだろうと拳銃を取り出した。銃口を向けようとした彼が見たのは、布束をこちらに向ける裏方だった。
次の瞬間、分厚い布を貫通した銃弾がテロリストの眉間を打ち抜いた。荷物を運んでいた男はサイレンサー代わりにした布を荷台に放り、片手で合図した。足音も立てずに出現した男たちが彼の側に集結した。
第二幕まであと少しと言う時に、ロイヤルボックスに大公夫妻が訪れた。
「すまない、ジュリアス。情報部から劇場に過激派組織が侵入したと報告があった。すぐに退避して欲しい」
彼の背後には王家、大公家、公爵家の護衛が整然と並び周囲を警戒している。ジュリアスはジョセフィンを見た。公爵令嬢は緊張した表情で頷き、王女と共に立ち上がった。その手を取り、王太子は叔父に従った。
「行こう」
ロイヤルボックスの人々は静かにホールを後にした。
「王太子がいないだと?」
攻撃体制を整えた解放戦線の男たちは突然の状況変化をすぐには飲み込めずにいた。
「本当だ、王太子の席も大公の席も空になってる」
「まさか、計画が漏れた?」
明らかに疑心暗鬼の顔を彼らは見合わせた。そして、責任の所在をここにいない者になすりつけるまで時間はかからなかった。
「あの兄弟、俺たちを売ったのか?」
「妙に胡散臭いと思った」
「どうするんだ?」
リーダーは銃を握り直して宣言した。
「ここまで来て引き返せるか。王族でなくても高位貴族を人質に取れば、警察も軍も何も出来ない。めぼしいのを拘束しろ」
何かが風を切る音が彼の声を遮った。リーダーは振り向き愕然とした。さっきまで血気にはやっていた仲間は一人残らず倒れていたのだ。
「……まさか」
咄嗟に床に転がり、彼は自分がいた場所に撃ち込まれた銃弾から身をかわした。そのまま暗がりに突進し、何度も図面を頭に叩き込んだ劇場裏手を駆け抜ける。出口まではあと少しだ。
王太子たちは大公夫妻の後を歩いた。彼らは案内されたのが出口ではなく劇場奥の立ち入り禁止区画なのに気付いた。
「叔父上、なぜこんな所を通るのですか」
ジュリアスの質問に大公は答えなかった。次に口を開いたのは彼の妹だった。
「…あなた、誰なの?」
大公夫妻は立ち止まり、華麗な大公妃は肩をすくめた。
「修行不足ね」
プランタジネット大公はきまり悪そうに頭を掻いた。違和感のある仕草にジュリアスたちは身構えたが、護衛は全く無警戒だった。
突然、光が大公夫妻を包み、消えた時に王太子たちの前にいるのは別人だった。黒髪から亜麻色に変化した女性の方は、覚えのある顔だ。
「……君は…」
思わず指さす王太子に、彼女は満面の笑顔を向けた。
「お久しぶりです、ジュリアス様。元・あなたのカミラでーす!」
「……ヒューリック嬢?」
呆気にとられるジュリアスの隣で、ジョセフィンはより詳しい記憶を掘り起こした。
「霜月三週目の女…」
見境ないジュリアスのアプローチを本気にし、学園で騒ぎを起こした女生徒だった。悪びれる様子もなくカミラは説明した。
「あの後、海軍情報部に放り込まれて色々訓練させられて、大変だったんですよー。でも、おかげで真実の愛見つけちゃいましたー!」
大公役をしていた男性にべったりとしがみつくのを見せつけられ、王太子は平坦な声で祝福した。
「…そうか、よかったね」
男性の方は彼女よりは冷静で、そっと手を離させるとジュリアスに向けて海軍式敬礼をした。
「失礼しました、殿下。海軍情報部所属、ビル・サイアーズです」
この場にメロディとモーリスがいれば、筋肉キングだと驚くであろう人物だ。彼にジュリアスが質問した。
「叔父上はどこに?」
サイアーズは首を振った。
「あの方は神出鬼没ですからねえ。単独行動は控えてくれと我々は頼んでいるのですが」
「この場を君たちに任せたと言うことは、より重要な所におられるのだな」
「そういうことです、殿下。あなた方は第二幕には遅れて入り、何事もなく演劇は終了します」
「身代わりも用意済みか」
王太子は残念そうだった。
「ヒロイン役は好みの美女だったのに…」
「彼女はお高いですよ、ディナーに同伴するだけで大金が飛んでいく」
女性陣の冷たい視線を浴び、情報部員は咳払いをした。
「これからは、王家の方々にとって重大問題になりかねないことが待っています。どうか王宮で陛下と共にお待ちください」
にこやかだが有無を言わせない圧を感じ、三人は素直に了承した。