7 いくつも愛を持ってる奴は不発弾を気にしない
ローディン王国首都キャメロット。ヨーク川沿いに建てられた王宮グラストンベリー宮殿で国王アルフレッド二世は頭を抱えていた。
「陛下、恐れながら臣も何度も同じ要望を上奏したくはないのですが、何分娘が我慢ならないと婚約の白紙撤回を要求して我が家は内戦状態ですので…」
「分かっている、皆まで言うな、マールバラ公。全ては王太子の身から出た錆だ。…誰に似たのだ、あの浮気性は」
「女性さえ絡まなければ優秀なお方なのですが」
国王の隣で王妃マーガレットが溜め息をついた。
「私はもう廃嫡も覚悟しております」
突然の爆弾発言に、王と公爵は固まった。
「しかし王后陛下、国王陛下の男児は王太子殿下ただお一人。マティルダ王女殿下を女王として即位させるおつもりですか」
王妃は首を振った。
「あの子はあの子で問題がありすぎます。できればプランタジネット大公殿下に引き受けていただきたいのですが」
それを聞いた国王は乾いた笑い声をたてた。
「それなら、実はジョンにこっそりと打診したことがある」
「で、大公殿下は何と」
真剣な面持ちで尋ねる公爵に、王は幾分やけ気味に肩をすくめた。
「『えー、やだ』で終わりだった」
謁見の間に長い溜め息が重なった。
「仕方ありませんな。大公殿下には重要なお役目がございますし」
先に立ち直ったマールバラ公爵はふとある考えを口にした。
「では、殿下のご子息、モーリス様はいかがでしょうか。聡明で温厚なお方と評判ですが」
「大公妃はアグロセンの王女だ。アグロセンの介入を危惧する議会が納得するかどうか」
「あのカイエターナ様が大公殿下の意に染まぬ事を押し通すとは思えませんが」
正確には想像も付かないというのが公爵の正直な見解だった。何しろ国を超えた大恋愛が今も継続中と評判の夫婦なのだ。
「あの一途さのかけらでも王太子にあれば…」
結局最初の問題に立ち返り、ないものねだりをしてしまう一同だった。
プランタジネット大公の居城ダブリスは慌ただしかった。公務で国外に出ていた大公がふた月ぶりに戻ってきたためだ。
「お帰りなさいませ」
出迎えた執事が深々と礼をした。大公は笑顔で彼に答えた。
「ただいま、ロバート。変わりはなかったかい」
「はい、皆様お健やかにお過ごしでした…」
彼の言葉に足音が重なった。背後からのそれに執事は慣れた様子で横によけた。
「ジョン! 愛しい人!」
大公に助走付きで飛びついてきたのは黒髪の美女だった。仰向けにひっくり返った彼の顔を愛しげに撫で、カイエターナ大公妃は目を潤ませて訴えた。
「あなたのお顔を見られない日々は地獄だったわ。悪い方ね、私を置いていったりして」
「ああ、君は風邪をひいていたし、行き先は南方大陸の未開地だったんだよ」
倒れたまま、慌てる風もなく大公は説明した。それ以上の言葉は無用とばかりにカイエターナは夫にくちづけた。
大公妃が大公に馬乗りになって熱烈な長い接吻を続ける横で執事は従僕に荷物を運ばせ、使用人たちはいつもの仕事をした。
大公夫妻に溜め息交じりの声をかけたのは彼らの一人息子だった。
「お帰りなさい、父上。母上、そのままでは父上が着替えも出来ませんよ」
スキンシップに満足したのか、カイエターナは立ち上がった。続いて起き上がった大公は、久しぶりに会う制服姿の息子に笑顔を向けた。
「ただいま、モーリス。学園は楽しくやっているのかな」
彼の腕に縋り付いた大公妃が口を挟んだ。
「この子は最近部活動とかで帰りが遅いのよ」
「そうか、新しい友達が出来たのかい」
「友達…ですかね。元気な後輩はいますよ。ジュリアスとジョセフィンとフィリップス銀行の令嬢も入部したので賑やかですけど」
「まあ、噂の浮気相手まで」
恋愛沙汰が大好物のカイエターナが黒い瞳を爛々と輝かせた。
「何てドラマチックな部活なのかしら。恋の火花が飛び交う中で活動するなんて」
「活動そのものは地味ですよ。ただ、興味深いですね、とても」
満足げな息子の様子に頷いた大公は、大公妃と並んで自室へと歩いた。
「なら、後で詳しく聞かせて欲しいな」
「はい」
答えはしたものの、しばらくは母が父を独占するのだろうとモーリスは正確に予測した。
「お帰りなさいませ」
執事に挨拶され、大公の一人息子は気の毒そうに言った。
「母上は相変わらずだな」
「ご夫婦仲の睦まじいのは喜ぶべき事かと」
「毎日言われるよ、父親に似ていたらもっと美男子だったのにって」
「人の好みはそれぞれでございますので」
冷静に答え、執事は大公への報告事項をまとめに行った。
首都の住宅街、カズンズ子爵邸。親子が顔を合わせる晩餐中。
メロディの両親は娘の近況報告に出てくる名前に未だ慣れなかった。
「それでモーリス様と一緒に、またキャメロット警視庁に行くことになったの」
「…そうか。王太子殿下に失礼な真似はしていないだろうな」
カズンズ子爵が内心冷や汗を掻きながら確認した。メロディは軽く頷いた。
「マールバラ様とフィリップスさんが両脇からべったり固めてるから近づけもしないわよ。別に幽霊部員でも構わないのに、何のかんので好奇心が旺盛な方ね」
「……そうか、くれぐれもだな」
「分かってます」
食事を終え、メロディはさっさと自分の部屋にこもった。
「フェスティバルで指紋採取……」
初夏のフェスティバルは来る夏を意識したカラフルな装飾に街中が包まれる。リボンとクロスで飾られた窓と花で溢れる通りと広場。そんな中で指紋採取はどう考えても浮くだろう。
地味な作業をどうすれば耳目を集めるパフォーマンスにできるだろうか。そう考えながら彼女はベッドに寝転がった。
「でも、部活の指紋採取は楽しかったな。あのドラマの登場人物になった気分だったもの」
指紋を見つけ、採取し、照合して持ち主が判明する瞬間はいつもドキドキした。
「AFISがないのは諦めるとしても、問題は前歴者のデータベースよね。今から集めて使い物になるのに何年かかるんだか…。あーあ、容疑者逮捕の時に全員から採取してたらお宝の山が出来てたのに」
目視での照合作業は大変だろうが、それでも犯人を絞れるのにとメロディは残念がった。そして、別の事に思い至った。
「前は見られなかったけど、犯罪捜査の個有者ってどんな人なんだろ」
それも次回に会えるかも知れないと思い、期待にうずうずするメロディだった。
学園の帰り道に、メロディとモーリスの二人はキャメロット警視庁を訪れた。
受付で待っていたのはカーター警部とマックス・トービルだった。
「ご足労ありがとうございます、殿下。お嬢さんもよく来てくれたね」
警部と共にロビーの一角を占領し、彼らはCSI部で採取した指紋の紙を検証した。
鮮明な模様のパターンを解説すると、警部とトービルは幾度も頷いた。
「なるほど、印刷用のインクでねえ…」
「普通のインクだと粘性が足りなくて。専用インクが開発されるといいのですけど」
道具から探さなくてはならないのがもどかしい所だ。異世界の記憶にあるCSIキットをメロディは懐かしく思いだした。
警部は一枚の指紋票の名前を見て顔を引きつらせた。
「こちらが恐れ多くも王太子殿下の指紋か」
「こっちの生徒のとあまり変わりませんね、警部」
「そりゃそうだろ」
トービルの指摘に呆れる警部を眺め、モーリスがこっそりとメロディに耳打ちした。
「フェスティバルでこれは地味すぎるだろう。どうやって人目をひけるんだ?」
「でも、自分の指紋なんて知らない人がほとんどですから、お祭りの記念にならないでしょうか。専用の用紙を準備して特別感を出して」
メロディが案を出すと警部たちまで乗り気の様子だった。
「そうか、指紋は一生変わらないんだったな」
子爵令嬢は頷いた。
「最悪の場合、死体の身元確認にも使えますよ。事件、災害、戦争…、誘拐の被害者の身元が割れる可能性だってありますから」
「……そうか…」
何事かを思い出したような警部が口を開こうとした時、背後から冷ややかな声がかけられた。
「妙な計画を立てていると聞いたが、カーター警部」
声の主を振り返り、警部は皮肉っぽい微笑を口元に刻んだ。
「これはディクソン捜査官」
彼らを見下ろすように立っていたのは白髪に赤い瞳の若い男性だった。その背後に彼と同じ黒一色の特殊な制服を着た一群がいる、メロディは直感した。
――この人、個有者だ。じゃ、捜査専門の…。
ディクソン捜査官は赤い瞳を彼女に向けた。
「こんな時間に学生が見学かね」
彼に見つめられると、頭の奥から重苦しいものが溜まっていくような気がした。答えられない後輩の代わりにモーリスが言った。
「学園での部活について意見を伺っていました、捜査官」
モーリスに視線を移し、ディクソンは軽く会釈した。
「これは、プランタジネット大公殿下のご子息がわざわざのお越しでしたか」
じろりと警部に向けた視線はどう見ても友好的ではなかった。メロディは小声でトービルに尋ねた。
「あの人たち、仲悪いの?」
彼は恐ろしそうに首をすくめるのみだった。
どうやら警視庁の個有者と平常者の溝は深そうだとメロディは感じた。