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65 女神なんてなれないまま私はイキる

「見て、お兄様! 竜がたくさん!」

 エディスが歓声を上げた。つられて空を見た人々から悲鳴が上がる。

「何なの、あの翼竜」

「警備兵が発砲してるぞ!」


 恐慌状態を鎮めたのは屋敷の主だった。

「皆さん、落ち着いて。警備隊に従って邸内に移動してください。ジュールス、頼むよ」

 警備隊長に客の避難を任せ、大公は大公妃と共に人々を宥めては避難させた。その落ち着いた態度に最初の混乱は収まったが、まだざわめきは続いていた。


「ジュールス、報告を」

 ほとんどの客を邸内に保護した大公が警備隊長を呼んだ。

「さすがに空からは想定していなかったため、多少手間取りました。正直、上空から狙撃されていたら犠牲者が出ていた状況ですが、奴らは何故しなかったのでしょうか」

「翼竜は聴力が過敏なため戦場で使役できないと聞いた。包囲網を崩すな、散開すれば個別撃破だ」


 大公は答えながらざっと保護した人々を確認した。

「あなた、王族の方々もご無事よ」

 彼の腕に手を絡め、麗しき大公妃カイエターナが報告した。そこに、血相を変えた王太子がやってきた。

「叔父上、あのテラノの集団の中にモーリスとカズンズ嬢が!」

 息を切らす甥の肩を叩き、大公はそっと邸内へと導いた。そして警備隊長に小声で確認する。

「『D』は?」

「予定通りです」

 彼は小さく息をつくと、いつもの茫洋とした表情に戻った。



 様々な人間の動きと思惑を知るよしのないメロディとモーリスはテラノの集団に取り巻かれ、身動きも出来ずにいた。

 『大山羊』ことトヴァイアス・ハミルトンは勝ち誇った笑みを浮かべて二人を見ている。

「残念だが時間切れですな、殿下。続きは私どもの本拠地でしましょう」

 彼の周囲の男性がモーリスを拘束しようとした時、メロディが割って入った。

「人質なら一人いれば充分でしょう」


 侯爵家の庶子が面白そうに片眉を跳ね上げた。

「人質の立候補とは勇敢なお嬢さんだ。殿下の守護神のつもりなのかな?」

「そんな上等なもんじゃないですよ、効率が悪いって言ってるんです。監禁なんて、人の衣食住の面倒は簡単じゃないですよ。複数なら手間は二倍じゃすみませんし、長引けば疲弊するのはそっちなんですからね!」


 指を突きつけての断言に沈黙した『大山羊』は冷たい視線を子爵令嬢に向けた。

「殺される可能性は考えてないようだな」

「示威行動で殺害目的なら大勢の来客の前でやってるでしょ。言っておきますけど、そちらが世直し目的の組織なら王族やか弱い女学生を略取惨殺なんてしたら世論を敵に回しますよ」

「到底か弱くは見えないが」


 苦笑した『大山羊』は仲間に合図した。一人がメロディの腕を掴んで連行しようとした。

「彼女に触るな!」

 モーリスがその手を払いのけようとし、数人の男たちに制圧された。

「モーリス様!」

 二人は別々のテラノに乗せられ、襲撃部隊は迅速に離陸を始めた。



 屋敷からその光景を双眼鏡で見ていた大公が警備隊長に命令した。

「最後尾を一、二頭打ち落とせ」

「了解」

 警備部隊は灌木の影に偽装していた機関砲を発射した。凄まじい轟音と共に仲間を追って飛び立とうとしていたテラノが二頭被弾した。翼竜は苦しげに鳴きながらのたうち回り、騎手を振り落とした。すぐさま警備部隊が身柄確保する。


 安全が確認された庭園に大公は出て行った。致命傷を負った翼竜に一瞬哀れみの表情を浮かべ、彼は拳銃でテラノの頭部を一発で撃ち抜いた。動かなくなった翼竜の革具を取り外させた後に死骸を運び出させ、大公はハミルトン侯爵を呼びつけた。

 蒼白な顔でやってきた植民地相は、大公のいつもと変わらぬ表情に無意識に震えた。ジョン大公はのんびりした声で質問した。

「侯爵、あなたの厄介者扱いされてきた身内が突然、莫大な利益を生む話を持ちかけてきたことは?」


 ぎくりとしたハミルトン侯爵はハンカチで汗を拭き、覚悟したように答えた。

「異母弟のトヴァイアスから、南方大陸在住の友人から強力な鎮静効果を持つ植物が発見された情報を得たと。治療薬として有望な投機対象だと言ってきました」

「それで、代償は?」

 簡潔な質問に侯爵はしばし沈黙したが、外見も中身も凡庸で『真昼のランプ』呼ばわりされてきた大公からの圧力に耐えきれなくなった。

「南方大陸でのボーリング調査の資料を……」

「国家的極秘事項の横流しか」


 静かな声に突き刺されたかのように、侯爵は身を縮めた。大公は尋問の手を緩めなかった。

「他に弟君に便宜を図ったことは?」

「輸入のための船を手配したことくらいです。決して、違法行為は…」

「船……」

 大公が顔を向けたのは彼方にあるヨーク川の方向だった。首都を抜けアヴァロン海に繋がる川の流域を頭に描き、彼は来客を留めている屋敷に向かった。その中にライトル伯爵の姿を見つけ、そっと頼み事をする。


「伯爵、ご子息の知恵をお借りしたいのですが」

「ジャスティンの?」

 戸惑う彼の背後から、心配そうな様子の少年が出てきた。

「姉ちゃんと兄ちゃんは?」

「連れて行かれたよ。君に頼みがあるんだ。ヨーク川に不審な大荷物を載せた船がいないか探してくれないか?」

 ジャスティンは大きく頷いた。

「スラムの奴らに声かけてみる。あ、タダじゃ動かないけど」

「勿論、充分な報酬を払うよ。成功すれば倍額にしてもいい」

「太っ腹だな」


 目を丸くしたジャスティンは、妹の頭を撫でてから大公が指示する自動車に飛び乗った。エディスは兄に手を振って激励した。

「お兄様、頑張って!」

 伯爵令嬢と並んで見送った大公の側に、黒髪の大公妃が寄り添った。

「モーリスは……」

 さすがに不安を隠せない彼女の手を取り、地味で目立たないことで有名な大公は妻を慰めた。

「奴らは交換条件を要求してくる。それまでは無事でいないと価値がないからね」

 情熱的な黒い瞳に全幅の信頼を浮かべ、大公妃は囁いた。

「私たちに出来ることは?」

「待つことと、ちょっとした工作くらいかな」

 二人は揃って来客に詫びるために邸内へと歩いた。



 翼竜の群れは一旦散開し、日暮れ時に森の中で再集結した。襲撃犯たちはテラノの数が足りないことに気付いた。

「大公邸で機関砲の音がしたが、やはり逃げ切れなかったか」

「こいつらがいたから着陸時には手出しできなかったんだな」

「いないのはダグとカイルか」

「奴らなら簡単に自白はしないだろうが念のため、移動しておいた方が…」


 彼らの会話を一言も聞き逃すまいと、メロディは耳をそばだてた。

 ――拠点を複数箇所持ってるなんて、資金が潤沢なのかな。侯爵家にはつまはじきにされてる感じだったけど、他に出資者がいるとか?

 ギャンブルで一生分の財産を築いたならともかく、嫡男でもない貴族子弟に動かせる金などたかが知れている。クラブでたむろするしかない放蕩者がどうやってこんな組織を作り出せたのか。

 ――警視庁の警部がそんな高給取りなわけないし…。


 考えながら別のテラノに乗せられているモーリスに目をやり、怪我はしてなさそうなのに彼女は安堵した。

 周囲は急速に薄暗くなり、それに紛れてテラノは飛び立った。湿気を帯びた風を感じるようになり、メロディは編隊がヨーク川上空を飛んでいることを悟った。

 やがて一頭また一頭と翼竜は降下を始め、停泊した大型のはしけに着船した。

 ――まるで翼竜の空母ね。

 ずらりと並ぶテラノを眺め、メロディはつい感心してしまった。


 ハッチが開き、船で待機していた者が出てきた。その中には見知った顔もあった。

「今日は非番ですか、警部」

 モーリスが彼に声をかけた。キャメロット警視庁の刑事課警部は人の良さそうな笑顔を作った。

「しばらく休暇を取りましたよ。事件続きで働きづめだったもので」

 その事件にはスラムの街娼や劇場のダンサーなどの殺人事件も含まれていたのだろう。メロディは彼に詰問した。


「私の話を聞いてくれたのは、科学捜査に興味を持ってくれたからですか? それとも、現場指紋保存を名目に常時手袋着用の理由が出来るからですか?」

「相変わらず、余計なことに勘の鋭いお嬢さんだ」

 実直な警部の仮面の隙間から、トヴァイアス・ハミルトンと同様の残忍な本性が垣間見えた。メロディは彼に告げた。

「ドッド警部はあなたのデスクから指紋採取しました。平引き出しの左右に指紋が残っていたのは不思議でしたが、一卵性双生児が入れ替わっていたのなら右利きと左利き双方が触った結果なんですね。ペンや煙草と違って、引き出しを開ける手に注目する者は極少数でしょうし」

「今さら証拠が何の役に立つ」


 ネイサン・カーターとトヴァイアス・ハミルトンが同じ表情であざ笑った。そして人質二人を船底に連行させた。

 奥の小さな部屋に一緒に押し込まれ、モーリスは溜め息をついた。

「おとなしくしていれば拉致は僕だけですんだのに」

「大公殿下のご子息を差し出して保身なんて駄目ですよ」

 嫌そうにメロディが言うと、彼は俯いた。

「大公家の人間だからか…」


 どこか寂しげな声が、彼とのこれまでのことを突然脳内に再生させた。CSI部での出会い、ぼやきながらも行動を共にしてくれたこと、無茶を怒られたこと、自動車の暴走から助けてくれたこと、一緒に月夜の湖を見たこと……。

 メロディは考えるより先にモーリスの腕を掴んでいた。

「大公家でなくても駄目です、あなただから駄目です!」

 薄暗がりの中でも彼女のダイクロイックアイが真剣な輝きを帯びているのが分かり、モーリスは一回り小さな手を包むように手を重ねた。

「…ありがとう」

 頬が火照るのを感じたメロディは、部屋が暗いことに感謝した。

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