63 そこにはただヒゲが生えているだけ
それまで無言で聞き役に回っていた王太子ジュリアスが、不意にメアリ・アンに尋ねた。
「ミス・フィリップス、お父上は彼の経緯を知った上で雇っているのか?」
「お父様が? 会ったことあるの? ジミー」
銀行家令嬢に質問を振られ、カメラマンは首を振った。
「そんな大物、直接お目にかかれるわけないでしょうが。雇うって言ってくれたのは広報の何とかって人で…」
彼は名刺を取り出してCSI部の面々に見せた。一見、ごく普通の物に見えたが、メアリ・アンは怪訝そうな顔をした。
「広報部特別調査顧問? そんな人いたかな?」
「財団の人を全員知ってるのですか?」
驚くメロディに、彼女は種明かしをした。
「特別顧問とか名誉職っぽいのは、うちの一族なのよ。こんな家聞いたことない」
「でも、現実にフィリップス財団に雇われてますよね。背後関係がクリアだからここに出入りを許されてるわけで」
考えれば考えるほど迷路にはまり込みそうな中、モーリスが別方向に話題を向けた。
「ミス・フィリップス、お父上は大公家と関わり合いがあるのだろうか」
「お父様のお仕事はよく分かんないけど、ここの紋章入りの手紙を執事が運ぶのを何度か見たわ」
「湖水祭ではそんな雰囲気はありませんでしたよね」
確か夜会にも招かれていなかったはずだとメロディは必死に思い出そうとした。
「お父様は縁が出来るチャンスを必ずものにするから」
あっさりとメアリ・アンは納得していた。周囲もつい、そんなものかと思いかけてしまう。
「とにかく、群衆の写真の出来が良かったのは納得です。事件事故の現場を渡り歩いてきた人なら当然ですね」
子爵令嬢に褒められ、カメラマンは照れ臭そうな顔をした。
「うちは祖父の代から写真で食ってんだ。ザハリアス侵攻戦なんてロウィニアまで行って撮影したんだから。おれも親父から受け継いで使ってきたし」
「よく手入れされたカメラでしたものね。あの時に置き忘れてたのは警視庁に保管されてますよ」
「あー、思い出のある物だから引き取りに行きたいけど、広報の許可が出るかな?」
「行動が制限されてるんですか?」
「最近は財団主催のパーティーとかに駆り出されることが多くて」
高位貴族や王族が出席すれば財団に箔が付くのは想像できるが、それだけのためだろうかとメロディは不思議に思った。隣を見るとモーリスも納得未満の顔でカメラマンに頼み事をした。
「写真があれば見せてくれないか」
「いいですよ、ポートフォリオはいつも持ち歩いてるし」
ジミーことケネス・ダンは上着からファイルを取り出した。
豪華なパーティーを切り取った写真が数枚あった。どれも貴族や富豪階級が収められているが、特徴がよく出ているのにメロディはくすりと笑った。
「この人、陸軍卿ですよね。第一海軍卿とそっぽ向き合ってるの」
「陸海の仲の悪さはもはや伝統だからな」
溜め息交じりにジュリアスが言った。それに混じって少し格が落ちる物もあった。
「これは? どこかのクラブに見えるけれど」
メロディに指摘され、カメラマンのジミーはすぐに答えた。
「ああ、ジェニュイア・クラブと言って若手実業家が主催してるクラブで。身分を超えて次の世代の人材を発掘するとか何とか」
「確かに、みんなギラギラしてるというか…」
不意にメロディの手が止まった。その中に特徴的な顎髭の男性がいた。彼は右手に大山羊の彫刻を施した杖を握っている。
「大山羊…、これはいつです?」
写真を裏返し、ジミーが答えた。
「湖水祭の直前かな。これ撮ってる時にロッホ・ケアーに行けって言われてその足で汽車に飛び乗って現地入りしてギリギリ間に合ったから……、おっと、社長の写真を撮らなきゃ。それ、後で返してくださいよ」
ジミーが足早に去って行き、CSI部は残念そうに肩を落とした。
「クラブでアリバイ確定だな」
予想どおり、今回もトヴァイアス・ハミルトンには鉄壁のアリバイがあるのだ。メアリ・アンが自分の手元を見て声を上げた。
「やだ、ジミーにこれ返すの忘れてた」
彼女の手には謎の名刺が残されていた。何気なくそれに目をやり、メロディは首をかしげた。
「ビル・サイアーズ……?」
どこかで聞いたなと思ううち、先にモーリスが反応した。
「ネイチャー&ワイルドで殺された筋肉キング?」
「ちょっと待ってください、死人が名刺作ってるんですか?」
慌てる二人にジュリアスたちが不思議そうな顔をした。メロディは奇妙な集会と殺人、葬儀のことを説明した。意外なことに、真面目な推理を述べたのはジュリアスだった。
「消息不明の者が別の場で無事に活動していたのなら、死んだ所を見たのでもない限り決めつけない方がいいのでは?」
「もう、何が生き返っても驚きませんよ」
やさぐれた気分でメロディが呟いた。そこに、ライトル伯爵家の兄妹がやってきた。
「おっきな鳥さん、可愛い! ……写真?」
エディスが覗き込み、メロディは小さな伯爵令嬢に説明した。
「クラブの紳士たちですよ」
目を丸くすると、エディスは迷わず一人を指さし叫んだ。
「刑事のおじちゃん!」
「……え?」
突然のことに、誰も咄嗟に反応できなかった。
「あの、これは侯爵家の人ですけど」
「おヒゲは違うけど、刑事のおじちゃん」
大真面目にエディスは頷いた。視覚記憶に特化した彼女の天賦を思い出し、メロディは手提げ袋を探った。そこには連続殺人発生時の新聞の切り抜きが入っていた。捜査を指揮するカーター警部が写っているものだ。
「エディス様、刑事というのはこの人ですか?」
「うん!」
一目でエディスは即答した。予想外の成り行きにCSI部は写真を回し、記憶にある知人と照合した。
大山羊と思われる男と警部を見比べてマティルダが息を呑んだ。
「この人、髭の形を変えて眼鏡をかけたら、リーリオニアの歌劇場で私に近づいてきた人に似てる」
「マティルダ様の天賦天賦を消滅させた者ですか?」
「この写真、ほら、カフスからほんの少しだけ黒い物がのぞいてる」
メアリ・アンが指摘したのは影にしては不自然な形だった。左手首の奇妙な紋様といえば……。
「カーター警部に入れ墨などあったか?」
手首なら何かの折りに見られる危険性がある。常に手袋でもしていない限り。
――あれ?
何かがメロディの記憶に引っかかった。新聞記事を注視すると、警部は両手に革手袋を嵌めていた。
「これは初夏のはずなのに……」
警視庁はまだ指紋資料を採用していない。証拠品を気遣ってのことではないはずだ。改めて警部の記憶を探る。煙草を手にしていた彼。その手はどうだっただろうか。
あることに思い至り、メロディがまず行動に移したのはジャスティンへの頼み事だった。
「ジャスティン様、エディス様と一緒にご両親の元に行ってください」
幼い伯爵令嬢が直感像を持っていると敵対者に知られれば、命を狙われる危険もある。真剣な言葉に少年は素直に頷いた。
「護衛をつける」
モーリスが庭園に配置された大公家の護衛を呼び、伯爵家の兄妹を送り届けさせた。
彼は庭園を見回し、ふと眉をひそめた。
「…おかしいな、いつもより警備が手薄だ」
「そうなのですか?」
「園遊会だし王族のジュリアスたちも来ている。通常より厳戒になると父上がおっしゃっていたのに」
素早く周囲に目をやり、メロディは提案した。
「なら、人の多い場所に移動しましょう。なるべく自然に」
そして彼女は王太子に言った。
「殿下、大公殿下のところに参りましょう。いつもの三角関係を派手にお願いします」
そうして彼の両側にジョセフィンとメアリ・アンを押しやり、自分はモーリスとマティルダの背後に従った。
「行きますよ」
戸惑っていた王太子は、それでも両手に花状態になると笑顔を見せた。
「まあいい、進もう」
呆れ気味にジョセフィンがぼやいた。
「女好きを喧伝しながら行進するようなものですわよ」
「ひどいっ、ジュリアス様を苛めるなんて」
いつもの調子でメアリ・アンが大きな瞳をうるうるさせ、ジョセフィンに睨まれた。集団の最後尾に付きながら、メロディは異変を探るため天賦を発動させた。
――視覚調整、広域警戒。
庭園に配備された護衛に不審な点はないか探っていく。
――今のところ、異常なし。切羽詰まった危険があればマールバラ様が気付いてくださるだろうし。
主催である大公夫妻の周囲には多くの人だかりがあった。いつもの事ながら見過ごしてしまいそうなほど存在感の薄い大公と、遠くからでも目立ちまくる大公妃というアンバランスな一組だが、今も尚愛し合っているのはローディン中が知っている。
その周囲には小さな人だかりがあった。いずれも各分野の有名人で、大公の人脈の広さを伺わせた。その一つを視界に入れた時、メロディは思わず足を止めた。フィリップス財団のトップの側にいるのは大山羊の杖を持つ男、トヴァイアス・ハミルトンだったのだ。