62 声を聞かせて、ついでに吐け
「……空?」
信じられない思いで、メロディは目の前で同時に頷くモーリスとジャスティンを見た。
ヨーク川河畔の、マディの散歩コースで彼らと落ち合うなり聞かされたのが衝撃のニュースだった。小型犬と遊ぶ妹を眺めながら、ライトル伯爵の嫡男が腕組みした。
「伯爵が色々抜け落ちた顔して帰ってきたから、何があったかと思った」
「父上も珍しく感情が読みやすかったな。今は母上がつきっきりで慰めておられる」
二人は揃って溜め息をついた。素晴らしいシンクロ率に感心する余裕もなく、メロディは思考を巡らせた。
「なら、どうして先代の伯爵はそんな物を後生大事に隠してたのかな?」
「それだよ、ジイさんは身体は弱っても頭は最後までしっかりしてたって屋敷のみんなが言ってたのに」
「……金庫自体に何かの仕掛けがあるということか」
「可能性はありますが、面倒ですね」
マイクロ文字をレーザー刻印などされていた日にはお手上げだ。救いは、それほどの技術がこの世界にないことだが。
「目に見えない物ではないでしょう。どこかに何かが隠されているとしか」
メロディの意見にモーリスが眉根を寄せながら答えた。
「箱そのものなのかも。内側には何も書かれていなかったと父上がおっしゃっていた」
「完全に開けたのですか?」
「状況が状況だからな。破壊は極力最小限にして、穴から内側を観察したんだ」
「ですよね。この場合、解体は最後の手段でしょうし」
「なあ、姉ちゃんなら何か見えるんじゃねえの?」
期待を込めたジャスティンの言葉だったが、メロディは首を振った。
「私は警視庁に出禁にされてる身の上ですよ。海軍の施設なんて門前払い確定です。それに、機密を扱う機関なら有能な個有者を揃えてます」
頭を突き合わせても解決策は浮かばず、三人は押し黙った。マディと追いかけっこではしゃぐエディスの声ばかりが賑やかに響いた。
王宮の最奥部、限られた者しか訪れることを許されない王太后宮でも驚きの報告がなされていた。
「文書はなかったと申すのか?」
喪服に身を包んだ王太后エレノアは、跪く近習に鋭い声を浴びせた。顔も上げられないまま、彼は必死に弁明した。
「海軍施設でのことで、詳しい経緯は不明です。ただ、彼らが押収した伯爵家の金庫に何も入っていなかったことは事実です」
エレノアは気が抜けたように椅子に座り込んだ。
「あれほどの手間を掛けて探して、結局、先代のライトル伯に踊らされたのか…」
額に手を当てていた彼女は、やがて笑い出した。
「ならば重畳。あれは表に出てはならぬ物。全てを闇に葬り、テューダーは未来永劫存続するのです」
近習は更に深く頭を垂れた。
「まだ気分は治らないの?」
同じ頃、豪壮なダブリス城では、心配そうに愛する夫の頭を胸に抱く大公妃カイエターナの姿があった。
「…うん、さすがにショックだったけど切り替えなくてはならないね」
「こんな時は親しい人たちを呼んで賑やかに過ごしましょう」
彼の顔を両手に挟み、幾度もくちづけながら大公妃は夫を慰めた。やがてジョン大公はソファから起き上がった。
「そうだね。モーリスから友達が翼竜を見たがっていると聞いたよ」
「あの不思議な生き物ね。調教は進んでるの?」
「ロビンズに任せておけば上手くいくよ。ついでに少し工夫もしたいな」
「何を?」
妻の艶やかな黒髪に触れ、彼はいつもの読めない笑顔を見せた。
「我々をこけにしてくれた相手への、ちょっとした意趣返しかな」
「まあ、素敵。復讐なら徹底しなければ意味が無いわ」
興奮気味に語る大公妃に、大公はくすくすと笑った。
「そんな大仰なものではないけど、そうだね、楽しくなりそうだ」
彼は執事を呼び、計画に取りかかった。
カズンズ子爵家に大公家の紋章入りの招待状が届いたのは、数日後だった。
「プランタジネット大公家? メロディ、あなたいつそんな大物とお知り合いになったの?」
実家に帰っていた姉ベサニーが封筒を見て仰天した。双子の甥たちをあやしながら、メロディは簡潔に答えた。
「学園の先輩よ」
「それだけで、こんな物は来ないでしょう」
「同じ部活やってるの」
「部活?」
「CSI部。他にマールバラ公爵家のジョセフィン様とか、フィリップス銀行のお嬢さんに、ジュリアス殿下。マティルダ殿下も入部希望してたかな」
更なる大物の名を羅列され、ベサニーは固まった。
「……お母様、私の耳がおかしくなったのかしら」
「慣れなさい。それしかないわよ」
既に諦観の境地に達した子爵夫人が長女に言い渡した。
「ライトル伯爵家のご令嬢が翼竜を見たがってて、そのお供なのよ」
さすがに気の毒になったメロディが当たり障りのない説明をした。どうにか動揺から立ち直ったベサニーが溜め息交じりに言った。
「……そうなの。とにかく失礼の無いようにね」
「はーい」
適当な返事をしながら、メロディは自室に引っ込んだ。ベッドに寝転び凝った透かしの入った招待状を眺める。
「あの大公夫妻にまたお会いできるのかあ…」
湖水地方での避暑以来だ。部活での様子から、王太子兄妹と公爵令嬢、銀行家の娘もやってきそうだ。勿論伯爵家の兄妹も。
「こんな正式な招待状作るぐらいなら、他にも大勢ゲストがいそう。どんな人たちが来るんだろ?」
あれこれ考えてみても、大公の交友関係など想像も出来なかった。
「当日になれば分かるか」
さっさと考えるのを止め、子爵令嬢は新たに手に入れた指紋採取キットをうきうきと取り出した。
大公家から招待された休日は好天に恵まれ、美しく飾り付けられた庭園には賓客が集っていた。
これはお茶会なんて規模ではないと到着して知ったメロディは、母と姉が躍起になって着飾らせてくれたことに感謝した。
もっとも、子爵家の居間では派手すぎると思えた訪問用の水色のドレスもここでは目立つことすらなかったが。
知り合いを探すのも大変そうだときょろきょろしていると、ホスト役から声をかけられた。
「よく来てくれた、カズンズ嬢」
大公の一人息子、CSI部の副部長のモーリスだった。眩しげに目を細める彼の側にはライトル伯爵家の兄妹もいる。
「お招きありがとうございます、モーリス様。ご機嫌よう、ジャスティン様、エディス様」
彼らに挨拶していると、更に仲間が集まってきた。
「ご機嫌よう、いいお天気ね」
「王太子殿下、王女殿下、マールバラ様、ご機嫌麗しく。こんな大規模な園遊会とは思いませんでした」
「叔父上は突然大きな事を始めるからなあ」
感心したようにジュリアスが周囲を見回した。王位継承権一桁が居並ぶ彼らの周囲は人々が遠巻きにしている。その中をまっすぐやってくる怖い物知らずがいた。
「ご機嫌よう、ジュリアス様! 今日は父と一緒に招待していただきましたー!」
言わずと知れたローディン金融界の大御所の娘、メアリ・アン・フィリップスだ。さっさと王太子の側に来た彼女は、ある人物を呼びつけた。
「ねえ、ジミー。記念に撮ってちょうだい」
園遊会の様子を写真撮影していたカメラマンが彼らに近寄った。腕章を着けていることから、大公家の許可を得た者だと分かる。
慣れた手つきで新品のカメラを構える彼に、メロディは既視感を覚えた。
――この人、どこかで……!!
思わずモーリスの袖を掴み、子爵令嬢は声を上げた。
「あなた! 消えたカメラマン!?」
そもそも警視庁に出入りできなくなった原因の、失踪したはずのカメラマンが平然と王太子と腕を組むメアリ・アンを撮影しているのだ。メロディもモーリスも、幽霊でも見た気分だった。
「ああ、警視庁にいたお嬢さん。その節はどうも」
「どうもじゃないですよ、いきなり消息不明になって心配したんですから! どうして消えてしまったんですか?」
「ジミーはうちの広報が雇ったカメラマンよ。どうかしたの?」
事情を知らないメアリ・アンが不思議そうに言った。ただでさえ目立つグループで騒ぎを起こせないと思い直し、メロディは場所を変えようと提案した。
「モーリス様、人の少ない所はありますか?」
「そうだな。あまり人気の無い動物を飼育している場所か…」
「行きましょう」
彼らはジャスティンたちに請われたように装って動物のいる一角へと移動した。
南方大陸から贈られたという妙な生き物がいる場所は、確かに一般受けはしなそうだが内緒にしたい話には有り難かった。
「すごい! あんな大きな鳥!」
エディスが歓声を上げ、ジャスティンと一緒に飼育員から説明してもらった。無愛想な顔つきで地味な色合いの鳥に心惹かれたようだ。
それを横目に、早速メロディは尋問を始めた。
「あの時、何があったんですか?」
今はジミーと名乗っているカメラマン、ケネス・ダンは肩をすくめた。
「いや、俺にも何が何やら。いきなり交通事故が起きたと思ったら妙な連中に路地裏に引きずり込まれて、物盗りかと思って逃げようとしたら殴られて気絶して、目を覚ましたら見たことない土地にいて、危険だから隠れてろって。しばらくしてほとぼりが冷めたからって首都に帰してもらって、でも報道写真はヤバいからってフィリップスグループの広報に紹介してもらって何とか職にありついたって事で」
メロディはこっそりとマティルダの方を見た。真剣な顔で男の言葉を聞いていた彼女は小さく頷いた。嘘は言ってないようだ。
「知りたかった背後関係が何一つ分かりませんが、とにかく無事で良かったです」
「そうだな、最初に路地に引きずられた時は本気で殺されるかと思ったぜ」
しみじみと語る彼に、モーリスが質問した。
「助けてくれたのは誰か見当はつくか?」
カメラマンは首を振った。
「さあ、何人かと会ったけど、特に特徴は無かったし。あ、掠おうとした奴らは手首に妙な入れ墨があったな」
メロディたちは素早く視線を交わした。それに該当するものは一つだ
「……ジェニュイン…」
個有者の天賦を嫌悪し滅しようとする組織の名を、メロディは呟いた。