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60 窓の外には新聞売り

 ローディン王国の首都キャメロット。貴族のタウンハウスが並ぶお屋敷街の一角はひっそりと静まりかえっていた。

 かつては重厚な存在感のある邸宅だったライトル伯爵邸は火災の爪痕が無残に晒されていた。出火場所である二階の書斎付近は外壁まで煤だらけで、美しかった庭園は残骸となった家具であふれ、花々は消火作業で踏み荒らされたままだった。


 そこから一本離れた通りで、新聞売りの声がした。

「キャメロット・タイムズの最新版があるよ!」

 通りかかる人々に呼びかけていた少年は、ふと何かが近づくのに気付いた。それは垂れ耳の小型犬だった。犬は迷わず彼に飛びつき、ズボンのポケットから見えていた小袋を咥えると駆け出した。

「おいっ、それ今日の売り上げ!」

 慌てて新聞売りの少年は犬を追った。

「待てよ! このドロボー犬!」


 大通りから始まった追跡劇は、お屋敷街に舞台を移した。いつしか仲間が集まり、物売りの少年たちは集団で犬を追いかけた。やがて彼らはライトル伯爵邸前に至った。

 小型犬はホースを通した跡をかいくぐり、敷地内に侵入した。少年たちも逃すものかと続く。

 そして、伯爵邸の庭園で鬼ごっこは続いた。

「そっち行ったぞ!」

「おい、ちゃんと捕まえろよ!」

「あっ、家ん中入った!」

「どうする?」

「決まってっだろ!」

 彼らは割れたガラス窓から邸内に入り込んだ。


 しばらく騒がしい声を上げ、少年たちは二階の書斎とその隣のかつての先代伯爵の病室の前に来た。

「ここだ」

 うってかわって声を潜め、新聞売りの少年が仲間に指示した。

「ロブ、そっちの書斎から隣の部屋に抜け道がないか探せ。リック、お前は適当に騒いで、中にやってくる奴がいたらすぐに教えろ。マイキー、一緒に隣の部屋を捜索だ」

 帽子を被り直した新聞売りの少年――ライトル家の嫡男ジャスティンは、皮肉げに呟いた。

「自分ちに盗みに入るなんて、妙な気分」

 スラムの少年たちは一斉に行動に移った。



 ライトル伯爵邸から通り二本挟んだ建物で、メロディとモーリスは待機していた。

「待つだけなんて、落ち着かないですね」

 何度も椅子から立ち上がり部屋をうろつく子爵令嬢に、大公家の一人息子も小さく笑った。

「さすがに、あの子たちと同行しても悪目立ちするだけだからな」


 スラムの仲間を集め、文書を探すのはジャスティンの発案だった。報酬を提示すれば無人の家に忍び込むくらい朝飯前の少年たちだ。

 今のところ、金の入った袋を盗んだ犬を追って入り込んだという筋書きは上手くいっているようだ。

「誰も警察に通報してませんよね」

「ああ、子供たちの遊びだと思われてるようだ」

 彼らが最も警戒したのは警官が泥棒と思って逮捕に乗り出すことだった。

「伯爵邸を監視してる連中が姿を見せるチャンスなのに、制服警官が来たりしたら計画が台無しだもの」

 話を通してあるのは文書保管庫のドッド警部と重大犯罪課の捜査官たち。一般的な邏卒には根回しできていないのが現状だ。


「本当なら、個有者(タラント)平常者(ナチュラル)も関係なく一丸となって作戦に協力してもらえたら理想的なんですが」

「今は出来る範囲で最善を尽くすしかない」

 モーリスの言葉にメロディは頷いた。ジャスティンは両親にも内緒でこの計画を実行した。彼らの身の安全のために尽力するのが自分たちの役目だ。

 建物の窓から見える空は夏の鮮やかさを残している。捜査官への合図を頭の中で確認し、メロディは通りの向こうの異変を逃すまいとした。



 少年たちは適当に犬を追いかける振りをしながら、火災現場に不審なものがないかと探った。

「うへっ、どこもかしこも水でベトベトするし、何だかカビ臭えぞ。本当にお貴族様の家かよ」

 一人が閉口したような声を出した。ジャスティンは同意しない訳にはいかなかった。

 火災からひと月も経っていないというのに、放水された焼け跡は湿気がこもり悪臭を放ち始めている。短い間でも家族と暮らした邸宅を、伯爵家の令息は溜め息交じりに眺めた。

 家具は処分され貴重品も持ち出された書斎はがらんとしている。ジャスティンは隣室との壁を叩いた。


「そっち、隠し扉とかねえか?」

「うーん、空洞っぽい音はしねえぞ」

「塗り固めたか打ち付けたか……」

 そう考えて少年は首をかしげた。

「大事な物をこんなとこに隠したら傷まねえか?」

 通気性皆無の壁の内部が書類の保存に適しているとは思えなかった。

「どうなってもいいなら、こんな厳重に隠さねえでさっさと燃やすとかしそうだし」


 自分のご先祖ながら妙なことをすると、彼は書斎から先代の病室に移動した。ここは元々使われておらず、かつて老人が使っていた大きなベッドが残るのみだった。

 何かないかと探っていたスリ仲間は途方に暮れていた。

「何にもねえよ、疲れ損だ」

「見つからなくても最低限の駄賃はもらえるぜ」


 邪魔なベッドを回り込み、部屋を出ようとしたジャスティンは足を止めた。振り返り、まじまじと亡き祖父が使っていた天蓋付きの寝台を見つめる。

 やがて彼は床に片膝をつき、子細に検分した。

「ジイさんの肖像画、太ってなかったはずなのに、何で木枠が歪んでんだ?」

 たわんだ木枠を確認し、ジャスティンはベッドのマットレスを外そうとした。

「何やってんだ?」

「手伝えよ」


 他の少年たちと一緒に寝台の木枠をあらわにすると、そこには予想しなかった物があった。

「何だよ、これ」

 マットレスの下には金属の箱が嵌め込まれていたのだ。それは大きくもないのにやたらと重く、少年たちの手に余るほどだった。

「耐火金庫並みだぜ、こんなの」


 搬出もできない状態に戸惑っていると、廊下から犬の唸り声がした。

「マディ?」

 部屋から出たジャスティンは、小さな相棒が鼻に皺を寄せて警戒しているのを目にした。彼は素早く口笛を抜き、スラムの仲間に言い渡した。

「ベッドを元に戻して、予定通り地下室から外に逃げるんだ。集合場所はいつものパブの裏、そこで今日の報酬がもらえるからな、捕まるなよ」


 スラムで生き抜いてきた少年たちは、非常事態にも慌てることなく静かに脱出作戦を決行した。ジャスティンはマディを連れ、懐から小さな筒を取り出した。蓋を開け、赤く光る部分を窓から空に向けて数度振る。

「これで気付いてくれるかな?」

 傍目には何の変化もない状況に首をかしげながらも、彼は確かに屋敷に人の気配を感じ取っていた。小声で愛犬に囁く。

「行くぞ、マディ。これからの任務は時間稼ぎだ」

 一人と一匹はそっと勝手知ったる邸内を移動した。



 侵入者は音もなく伯爵邸に現れた。視線と手の動きだけで仲間とコンタクトを取り、二階の火災現場へと進んでいく。

 少年たちを確保しようと踏み込んだ彼らは、不可解な状況に困惑した。

「確か数人入ってきたはずだが」

「犬もいたのに、気配がない」

「さっきまで大騒ぎしてたのに…」


 一人が煤と灰に汚れた書斎の床を蹴った。夜ごと人目を忍んで捜索し尽くした室内には何の異常もなかった。一人がリーダーにそっと告げた。

「あそこにガキどもの足跡が」

 よく見ると、小さな靴跡がそこかしこに残っていた。しかも、隣室と隔てる壁付近に集中している。

「どういうことだ、犬を追いかけて入ったはずだぞ」

「まさか、例の文書を持ち出すために?」


 彼らは隣室へと足早に歩いた。そこは湿気はあるものの、炎の被害は少なかった。中央に鎮座する寝台も以前に探索した時のままだ。

 ここでも書斎側の壁にべたべたと手の跡が残っている。

「あのガキども、こんな壁に何があると思ってたんだ?」

「中は空洞にもなっていないのに」


 不審げな囁きが交わされる中、リーダーは寝台の天幕が膨れているのに気付いた。観察してみればマットレスがずれている。

「ここで悪戯でもしてたのか?」

 マットレスに手を掛けた男は、妙な感触に気付いた。部下を呼び寝台の中を暴き出した彼らは、そこに取り付けられた鉄の箱に愕然とした。

「これは……」

「とうとう見つけたぞ!」


 興奮気味の空気の中、一人がいきなりリーダーの背後に回り、彼の喉元にナイフを突きつけた。

「何の真似だ?」

 腕を拘束されたリーダーは部下だった男を振り向いた。男は平然とした様子で指を鳴らした。それを合図に数人が病室に乱入した。一人は見張り役を引きずっている。血まみれになった見張り役は放り出されても身動き一つしなかった。


「ご苦労だったな」

 嘲るように裏切り者が言うと、リーダーは唸るように罵った。

「貴様、あのお方を裏切って生きていられるとでも」

「我々は国など超越した組織だ」

 男は動じることなくナイフの刃先をリーダーの喉に食い込ませた。

「おまえたちは侵入して獲物を巡って仲間割れし、同士討ちになったマヌケな物盗りだ。全員平等に死体にしてやる」


 後から来た侵入者たちが一斉に大ぶりのナイフを抜いて構えたその時、新たな声が彼らを硬直させた。

「それは困るな。生きた証人がいないと捜査が面倒だ」

 黒い制服、白髪と赤眼の男がいつの間にかドアを背にして立っていた。

「呪われた血の者か」

 リーダーを捕らえる男が忌まわしげに吐き捨て、仲間に視線を向けた。彼らは左手の袖をまくり上げて手首を晒そうとした。それより早く、一人の捜査官が両手を打ち鳴らした。


 次の瞬間、侵入者たちを轟音が襲った。鼓膜の激痛と失調感によろめく彼らは次々と捜査官に確保された。廊下で犬の吠える声を聞き、白髪の捜査官ディクソンが部屋を出た。そこでは逃走しようとした侵入者が少年に取り押さえられていた。男の足には小型犬が噛みついている。

「そっち、全部捕まえた?」

 手慣れた様子で侵入者を縛り上げながら、ジャスティンが訊いた。ディクソンは苦笑交じりに答えた。

「ああ、タイミング良く合図が来たからな」

 捜査官が窓に顔を向け、少年はそこから庭を見た。モーリスと一緒に敷地内に入ってきたメロディが彼に向けて満面の笑みで手を振るのが見えた。

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