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58 祭りばやしが終わった後

 事態の異様さを鋭く察知したのはディクソン捜査官だった。吹き飛ぶテントの中から進み出た男のただならぬ様子に深紅の目が眇められる。

個有者(タラント)か?」

 翼竜の襲撃は一瞬だったこともありほとんど気付かれなかったが、テントを吹き飛ばした男は確実にこちらに向かっている。人々の中には不審そうな顔をする者も出てきた。


 ――まずい、これだけの群衆に無差別攻撃されたらどれだけの被害が出るか……。

 焦るメロディをよそに、一連の出来事にやっと気付いたメアリ・アンが怪訝そうな声を出した。

「何? あの人。余興にあんな芸人いたかしら?」

「余興って、大道芸人でも用意してたんですか」

「色んな珍しい動物を集めたって、お父様が」


 湖畔を見回し、ホテル前の広場だとメロディは見当をつけた。

「あそこに見物人を移動させます」

「これだけ大勢だと誘導人員が足りない」

 無理だと言うディクソンに、彼女は首を振った。

「カジノの時のやり方で行きますから」


 メロディは自らの天賦(ギフト)を発動させた。

 ――視覚調整(ビジュアライズ)反射(リフレクション)

 彼女が利用したのは湖面に映る篝火や星の光だった。それらが湖から吹き上がるように輝きながら、広場へと流れていく。その先にある珍しい動物を集めた囲いに気付いた人々が、自然と足を向けて移動を始めた。

 警官がそれらを誘導し、捜査官たちが包囲する男から遠ざけた。


「何とか一般人への被害は防げそうだな」

 捜査官の一人が汗をふきながら呟いた。メロディは銀行家の娘に頼み事をした。

「フィリップスさん、ジャスティン様とエディス様を連れてホテル前に移動してください」

「あなたは行かないの?」

「一応個有者(タラント)ですから、捕縛の協力が出来るかも知れないので」

「そうだな」


 モーリスも引く気はさそうだった。メアリ・アンは肩をすくめた。

「分かったわ。お二人とも無事で戻ってきてね。でないとジュリアス様が悲しむから」

 彼女なりの気配りを感じ、メロディは微笑んだ。

「当然です、元気が取り柄ですから!」


 湖の光の乱舞を消し、メロディは捜査官たちの背後から謎の男の様子をうかがった。

 全身から水蒸気のように淡い光をまとわせている男は、吠えるように叫んだ。同時に彼の周囲に突風が巻き起こり、捜査官たちは飛び退いた。

「風を操作するのか?」

 驚くディクソンの言葉を聞き、メロディはより詳しく分析した。


 ――というより、気圧操作かも。極小で突発的なマイクロバーストを作り出して気流を自在に操ってるとしたら…。

 どちらにしても厄介なことに変わりない。男の様子から理性は感じられず、破壊衝動のみに突き動かされているようだ。

 ――まるで手負いの獣みたいだけど、外国の人に天賦(ギフト)が発現するなんて聞いたことないのに。


 顔立ちからして西方大陸中央部の草原地帯出身と見ていいだろう。なのに強者揃いの重大犯罪課が手を焼くほどの天賦(ギフト)を発動させている。

 ――視覚調整(ビジュアライズ)は風には相性が悪いし、我を失った状態だと目くらましも効果がないし……。

 焦るメロディの前で、男はひときわ大きな風を起こした。それに乗るようにして人間離れした跳躍を見せる。捜査官たちは頭上を抜かれて愕然とした。男が突進する先を察し、メロディは叫んだ。

「ジャスティン様! エディス様!」


 男は明らかにライトル伯爵家の兄妹を狙っている。

「フィリップスさん、逃げて!」

 二人を引率していたメアリ・アンが振り向き、明らかに異様な男を目にして立ちすくんだ。彼女の側にいるライトル伯爵家の兄妹も動けずにいた。

「……間に合わない…!」


 絶望的な状況の中、せめてもの足止めをメロディは試みた。

視覚調整(ビジュアライズ)吸収(アブソープション)

 男の周囲から全ての光と色が消えた。一旦足を止めかけた男は、忌々しげに叫ぶと闇雲に突進した。

 ――駄目だ……


 敗北感に呑まれる彼女の耳に、ひどく静かな声が届いた。

「……止マレ」

 隣に立つモーリスの声だ。なのにどこか違って聞こえた。小さく掠れた声は狂騒状態の男に届くはずもなかった。しかし、男は突然動きを止めた。

「……嘘……」


 唖然とするメロディは、更に予想しない光景を見た。一人の女が暴走する男の前に現れ、何かを彼の顔面に叩きつけたのだ。

 赤く濡れたそれが切断された人の手だと分かった時、周囲で息を呑む声がした。沈黙を破ったのは男の絶叫だった。頭を抱えてうずくまり、苦痛にのたうち回っている。

 女はちらりとメアリ・アンの方を見ると、すぐさま雑踏に消えた。


 ようやく我に返った銀行家令嬢が金切り声を上げた。

「何なの、これ! 手首に変な模様があるわ!」

 その正体を悟り、メロディは伯爵家の兄妹に駆け寄った。

「ジャスティン様、エディス様を連れてすぐにホテルに!」

 いつもは機敏に行動する少年は呆然としていた。無理もないと彼の肩に手をかけると、ジャスティンはメロディの手を掴んで訴えた。


「さっきの、母ちゃんだ。スラムで育ててくれた」

「火事で行方不明になってた人ですか?」

「……生きてたんだ…」

 女の姿は既に消えてしまっている。メロディは不安そうにモーリスの上着を掴んだ。

「あの手の持ち主は…」

「翼竜で君たちを狙った犯人のものだ」


 ディクソン捜査官が疑問に答えてくれた。

「じゃあ、もしかして」

「死体で発見されたよ。左手を切断された状態で」

 個有者(タラント)はそれを見ることはできず、地元警察に回収を任せた。

 湖畔の騒ぎをよそに、竜の像を乗せた芦船は静かにロッホ・ケアーの中央部に曳かれていった。やがてロープが外され、ロウソクの火が燃え移った芦船は湖底に沈んだ。

 ハプニングの多かった今年の湖水祭はどうにか終わることが出来た。




 ロッホ・ケアーホテルで着替えたメロディは、真っ先に幼い兄妹の様子を見た。伯爵夫妻が彼らを抱きしめ、無事を喜んでいた。

 ライトル伯爵にモーリスがそっと伝えた。

「ジャスティンをスラムで育てた女が彼を救ったようです」

 ぴくりと肩を揺らし、伯爵は息をついた。

「……そうですか。目的は何でしょうか」

「不明です」

「何であれ、二度とジャスティンに関わって欲しくない」

 伯爵の言葉には怒りがこもっていた。当然のことながら、ジャスティンの心境を思うと哀しいことだ。


 無邪気なエディスの質問がその場の空気を変えた。

「飛んでた竜はどうなったの?」

 それを聞いたディクソン捜査官は困惑を隠せなかった。

「一応証拠品なのだが、何しろキャメロット警視庁に扱える者がいない」


 ごもっともな難題に解決策をくれたのは、不意に登場した人物だった。

「それなら、我が家の者に回収させよう」

 いつの間に来ていたのか、存在感の薄いプランタジネット大公が笑顔で提案した。

「父上…」

 困惑する息子の肩を叩き、大公は気さくに捜査官に告げた。

「私が南方大陸の植民地を視察することが多いせいで、珍しい動物は慣れているよ」

「しかし、翼竜ですよ」

「元翼竜使いも使用人にいるからね」

「そうなのですか?」


 彼の家族のはずのモーリスが目を瞠った。エディスが嬉しそうに手を叩いた。

「竜に乗れるの?」

「翼を撃たれたから治療が必要だけどね。テラノは大きい分扱いが難しいけど、使役用に馴致済みだろうから調教は出来るよ」

「大丈夫なのですか? 人を襲ったりは…」

 尚も不安そうなモーリスに、あっさりと父親は請け合った。

「テラノじゃ人間は捕食対象にならないよ。南方大陸のルコアやポラリス半島のクリオボレアスくらい巨大ならともかく」


 餌にならないことを喜ぶべきだろうかとメロディは考えた。そして、目を輝かせて翼竜の話をせがむエディスを見て、トラウマの発症はなさそうだと安堵した。

 黙り込んでいる彼女に、モーリスが心配そうな声をかけた。

「静かだな、大丈夫か?」

「あ、いえ、色々あったんで頭の中で整理しきれなくて」


 湖水地方に来てからというもの、様々なアクシデントの合間に観光していた気がする。

 ――車に細工されて事故りかけて、カジノでスカイウォークの落下事故に出くわして、ジャスティン様たちの誘拐事件が起きて、首都では伯爵邸が火災を起こして、夜会で侵入者が焼死して、お祭り本番に大乱闘かあ……。

 異世界の記憶では、こんな時はお祓い一択だった気がする。現実で誰に頼めばいいか分からないが。


 頭をすっきりさせようと、メロディはバルコニーに出た。夜空の銀月はかなり高くなっている。祭りの伝承では、あの恐ろしげな双頭竜は湖の月から銀月へと帰ったことになる。月にいる歴代の竜を思い、メロディはくすりと笑った。

「こんな所にいたのか」


 やってきたモーリスは笑っている彼女に驚いていた。

「いえ、今までの竜の像が本当に銀月に行ったのなら、月は賑やかだろうなと思ってしまって」

「確かに」

 彼も竜で満員御礼の月面を想像して微笑んだ。その後の沈黙はどこか祭りの後の寂しさを漂わせた。

「戻ったら荷造りしないと」


 ぽつりとメロディが呟き、彼らの避暑の旅が終わったことを告げた。モーリスは言葉を探しあぐねて頷くのみだった。そこに、元気な少年の声が割って入った。

「俺たちはしばらくホテル暮らしだって」

 ライトル伯爵の嫡男ジャスティンだった。

「タウンハウスは当分使えませんものね」

「帰ったら、奴らが探してた文書を見つけるんだ」


 少年の決意に、メロディは心配そうに言った。

「危険ですよ。監視されてるでしょうし」

「なら、協力してもらうんだよ」

 不敵な笑顔は伯爵令息ではなく、犯罪大通りのスリのジャックだった。

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