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57 飛んで×8

 男は罵りの言葉を吐いて立ち止まった。時間の経過と共に足がずきずきと痛みを訴え、歩行に支障が出始めている。

「くそっ、あのバカ犬が」

 多少強引でも伯爵家の子供を狙い、伯爵に例の物を差し出させるはずが思わぬ形で計画は崩れてしまった。

 相棒の女は姿が見えない。だが、彼らは何重にも綿密な打ち合わせをしていた。

「面倒なのは息子の方だ。奴がいなければ障害はなくなる」

 そう呟き、湖畔の不夜城と言えるホテルとカジノを見上げ、あるものを見つけた男はにやりと口元を歪めた。

 彼は再度歩き出した。



 華やかに飾られた山車から竜の像が運び出され、湖畔に用意された芦船へと担がれていく。

 船は竜の像が乗せられるだけの大きさしかなかった。担ぎ役も名誉らしく、若い男たちが誇らしげに膂力を見せつけた。

 メロディたち巫女役は、並んで儀式めいた作業を見守った。竜が芦船に鎮座すると、山車を飾っていた花を船に移すのが巫女の最後のお役目だ。


 メロディとメアリ・アンと小さなエディスは恐ろしげな双頭竜の周囲に花を置き、船の縁に並ぶロウソクに火をともした。

 曳航する二艘のボートが芦船を引っ張り、船は湖に浮かんだ。湖を囲む篝火と天空の銀月がそれを見送る。エディスが寂しそうに手を振った。


「任務完了のようだな」

 背後からの声にメロディは振り向いた。そこにはホテルにいるはずのモーリスが立っていた。

「モーリス様、何かあったのですか?」

 不思議そうな彼女に、大公の一人息子は声を潜めた。

「レディ・エディスを誘拐しようとした店主の男の方を見つけた。足を引きずっていたから実力行使は無理だろうが、警戒するべきだ」


 思わずメロディは周囲を見回した。危険を感じ取ったのか、ジャスティンが妹の手をしっかりと握った。

「でも、こんな人目を引く場所で誘拐なんて…」

「僕もそう思ったが、昼間に犯行を仕掛ける奴らだ。安心は出来ない」

 メロディは頷いた。不安が周囲の人混み全てを怪しく見せる。彼女は強く頭を振り、思考を切り替えた。

 ――びくびくしてたら影だって怪物に見える。注意するのは他と外れた行動をする者。今なら竜の船に注目していない者ね。

 間近にはそれらしき者はいなかった。ほっと息をつき、メロディは尚も警戒を怠るまいと群衆を監視した。



 昼間の誘拐に失敗した女は、ホテルの屋根から御渡を見下ろしていた。相棒の姿は見えないが、挽回作戦は立ててある。捕まっていなければ気付くはずだ。

 誰もが竜の山車を見つめる中、群衆から外れた場所で何かが光った。女は薄く笑った。分解してスカートの中に隠していた狙撃銃を組み立て、スコープから目標を探し出そうとする。

「あの山車の行き先は…」

 やがて、女は標的を見つけ出した。妹を庇うように歩く伯爵家の少年。

「お望み通り、妹の盾にしてやるよ」


 呟きが消える前に、女の首に何かが巻き付いた。後方から締め上げられ、彼女は銃から手を離した。背後から聞こえてきたのは懐かしい故郷の言葉だった。

「ボリスを()ったのはあんたたちなの?」

 視界の端に赤毛の中年女が映った。狙撃手の女は必死で声を絞り出した。

「あんた、裏切り者の…」

「裏切ったのは、あんたたちのお大事な国だよ」


 赤毛女は金属線を持つ手に力を込めた。狙撃手の女は靴の爪先を叩き、踵から飛び出した刃で後方を蹴った。赤毛女がかろうじて飛び去り攻撃を避ける。ようやく息が出来るようになると、狙撃手の女は笛を吹いた。

「こんなとこまで助けがくるとでも?」

 赤毛女はあざ笑ったが、不意に身体を低くした。その頭上を何かがかすめていった。

「……まさか、翼竜?」

 起き上がった赤毛女の前から敵は消えていた。音もなく滑空する翼竜の足にぶら下がり、狙撃手の女は屋根から脱出した。舌打ちをし、赤毛女は後を追おうとした。一瞬その動きが止まり、彼女の視線は湖畔の伯爵家の兄妹に向けられた。その後、全てを振り捨てるように女は駆けだした。



 誰もが湖に注目する中、男は相棒が狙撃に失敗したことを知った。

「邪魔が入ったか、どの組織だ?」

 女はかろうじて翼竜に掴まり脱出した。男はにやりと笑った。

「いいぞ、そいつなら不意を突ける」



 湖面と夜空、二つの場所で輝く月を見ていたメロディは違和感に囚われた。

「何か飛んでる?」

 ぐるりと空を見回す彼女に、モーリスが不思議そうに尋ねた。

「どうした」

「あ、ちょっと空の様子が…」

 気のせいかと思いかけたメロディは、星の光が奇妙に点滅するのに気付いた。

「雲……じゃない、あれは?」

 モーリスも同じ方向を見つめ、星空に紛れて滑空する物を視認した。

「鳥? ……いや、まさか…」


 それが翼竜だと分かった時、翼を持つ生き物が一気に急降下してきた。メロディは伯爵家の兄妹を庇おうとし、大公の息子は彼女を背にして立ちはだかった。

「モーリス様!」

 メロディは翼竜相手の視覚調整(ビジュアライズ)に迷い、モーリスは一歩も引かず護衛から渡された拳銃を構えた。


 突然、別方向から銃声がした。翼竜は叫び声を上げるとバランスを崩し、森の中に落下した。呆気にとられる二人の前に姿を現した者がいた。

「何とか間に合ったな」

 黒ずくめの服装の男性は、白い髪と赤い眼をしていた。

「…ディクソン捜査官」

 重大犯罪課のエースが彼らを救ったのだ。



 翼竜が撃ち落とされたのを見るなり、男は森へと駆け出した。既に重大犯罪課が地元警察を指揮して捜索隊を出していた。低木の陰に身を潜め、男は歯噛みした。

「…あの方は失敗を許してくださらない。復興のチャンスだったのに、もうおしまいだ」

 雇い主の冷酷な視線を思い出し身震いする彼の肩に、背後から手が触れた。飛び上がるようにして男は振り向いた。



 すんでの所で木の茂みに飛び降りた女は、墜落し苦痛にのたうち回る翼竜テラノを見て顔を歪めた。

「あとちょっとだったのに…」

 だが、悔しがってばかりもいられなかった。森のあちこちに照明を持った男たちの気配がする。

「こんなに早く追っ手が掛かるなんて…」

 木の陰に身を隠し、女は状況を掴もうとした。捜索隊を率いる黒ずくめの部隊がいた。


「警部、ディクソン捜査官から保護対象の無事を確認したと報告がありました」

「そうか、襲撃者は見つかったか?」

「撃たれた翼竜は発見しましたが、付近にはいません」

「さっさと見捨てて逃げたか」

 女は声と反対側に移動しようとしたが、警察官と出くわしてしまった。


「何者だ?」

 答えの代わりに警察官の腕をナイフで切り裂き、女は駆け出した。

「こっちだ! 武器を持ってるぞ!」

 負傷した警官の苦しげな叫びに仲間が反応した。

「逃がすな!」


 包囲網が狭まるのを感じ、女は左腕の袖をまくり上げると奇妙な紋様が彫られた手首をあらわにした。

「呪われた個有者(タラント)ども、これで忌まわしい力を消し去ってやる」

 追っ手を待ち構えようとした女の背後に何かがきらめいた。その正体を悟る間もなく、彼女の喉が真横に裂けた。叫ぶことも出来ずに喉を押さえてよろめく女の視界に、赤毛の中年女性がよぎった。

 ごぼごぼと口から赤い泡を吹きながら倒れた女を、赤毛女は冷然と見下ろした。そして、血に濡れた手首の紋様に気付いた。

「これは……」

 赤毛女は手にした鋭いナイフを握り直した。



 捜索隊は予期しない状況に陥った。

「死んだだと? 自害か?」

 女の死体を前に地元警察の警部が混乱した声を出した。問われた老警官が首を振った。

「こいつは後ろからナイフで首を切られたんですよ。明らかに殺しだ」

「敵対組織か、仲間割れか…」

 うつ伏せに倒れた女の位置を仰向けに変えると、彼らは更に衝撃的な事実を突きつけられた。

 女の左手は手首から先がなかった。

 標的を失った捜索隊は、新たな問題に直面した。



 ディクソン捜査官は子爵令嬢に質問攻めにされていた。

「あの翼竜は何なんですか? どうしてあんなのが出てくるって分かったんですか?」

 顔をしかめ無愛想に、それでも詳細に若い捜査官は説明した。

「私の天賦(ギフト)でホテルやカジノから残留思念を読み取り、誘拐犯グループが一枚岩でないと分かった。カジノの出し物に動物が集められていると情報が入り、不審なものを洗い出すうちに密輸入されたテラノに辿り着いた。あとは輸送業者と依頼者からあの男女をマークしていた」


「さすがですね。そこまで読み取れるなんて」

「…現場指紋も活用したからな」

 付け加えた言葉は小声でそっぽを向きながらだった。それでもメロディは笑顔で答えた。

「お役に立てて何よりです」

 モーリスは二人を複雑そうに見ていたが、やがて群衆の背後で起きた騒ぎを聞きつけた。

「今度は何だ?」

 彼の呟きと同時に湖畔の準備用テントが吹き飛んだ。その残骸から出てきた男はうつろな表情で片足を引きずっていた。

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