54 登ろうヤバい靴
アクシデントがありつつもウォグホーン城の夜会は盛況のうちに終わり、招待客は次々に辞去していった。ジュリアスたちと明日の湖水祭で会おうと約束し、CSI部のメンバーは別れていった。
指紋照合作業に移る前に、メロディは死体が安置されている地下室に行きたいとモーリスに頼んだ。
「わざわざ見るものではないと思うが」
顔をしかめる彼に、子爵令嬢は主張した。
「死体検分は最初の一歩ですよ。物言わぬ死体がどれほど雄弁か、師匠の名演説を聞かせてあげたいです」
結局、自分も同行することを条件にモーリスは折れた。
「モーリス様は大丈夫ですか、死体には慣れておられないでしょう」
「狩りなら何度か行ったが」
「人間は生々しいですからね。私もドラマで見ただけですけど」
二人は城の警備隊と一緒に地下に降りた。そこには意外な先客がいた。
「子供は寝る時間だぞ」
モーリスの父、ジョン大公が来ていたのだ。
「父上、どうして…」
「いや、餌を撒いたら過剰反応されて、対策を練っている所だよ」
「餌?」
目を丸くする二人に大公は残念そうに言った。
「バックランド文書が密かに首都の伯爵邸から回収されてここに保管されていると噂を流してもらったんだ」
「そんなことを」
「侵入したのは書斎か。なら、首都のパブで流した話に引っかかったな」
「あの、大公殿下。もしかして複数のガセネタを別々の場所で吹聴させたのですか」
メロディがおずおずと質問し、大公はあっさりと頷いた。
「私はロッホ・ケアーホテルの話に引っかかるかと思ったのだが、予想が甘かったな」
死体に掛けた布をめくり上げ、ジョン大公は渋面を作った。
「酷い焼け方だ。顔も識別できない」
気分悪そうなモーリスをよそに、メロディは死んだ男の燃え残った衣類に注目した。
「足元はあまり燃えてませんね。背中側はどうかな」
大公の護衛が死体をうつ伏せにした。
「前側より燃え残りが多い。燃料をかけられたのは正面からのようだ」
「自動車用の燃料の危険性を分かっててやったのでしょうか」
嫌な燃焼促進剤だと思いながら、メロディは推測した。
「そのようだ。冷酷で容赦のない犯人だな」
仲間に泥棒の真似事をやらせておいて、失敗したと判断すると同時に始末した。危険な人物であることは間違いない。
モーリスは焼けただれた両手を見て首を振った。
「指紋は無理だな」
「身分証明書なんてのも持ってないですよねえ」
二人の最大の関心事は、この死体がネイチャー&ワイルドの集会にいた大山羊なのかと言うことだ。
「顔無理、指紋駄目、頭蓋骨から顔を復元できる技術は無いし」
鉄柱に残った指紋に頼るしかなさそうだと思いながら、メロディは焼け残った靴を観察した。
「服は借り物でも靴は自分の物を履くでしょうね。侵入するなら尚更」
死んだ男の靴は履き込まれていたが労働者向けの物ではなかった。
「メーカーが分かれば取扱店も割れますが……」
靴には何のマークもなく、靴底は修繕の跡があった。
「軽くて動きやすいようにカスタマイズしたのかな」
こんな連中に革靴で応戦しなければならないローディンの警察官に同情したくなった。
「これ、自分でやったのならノウハウの特徴がありますよね。専門に請け負ってるとこがあれば尚良しなんだけど、個人情報は吐いてくれないだろうなあ」
泥棒御用達靴など、治安の悪い場所でこそこそ作るものだ。
「ジャスティンに訊いてみるか」
モーリスが提案し、メロディも同意した。
「そうですね。犯罪大通りのことなら、あの子が誰より詳しいし」
話し合いながら息子たちが出て行くと、ジョン大公は護衛に言った。
「首都及び湖水地帯でトヴァイアス・ハミルトンのアリバイを確認しろ」
護衛は深く頭を下げて退出した。
「さて、そろそろ戻らないとカイエターナが機嫌を損ねるかな」
何よりも重大な懸念事項を呟きながら、大公は地下室を後にした。
翌朝、湖水祭の準備が進んでいることはウォグホーン城からも分かった。
「本当に篝火が湖を囲むんだ」
ジャスティンが感心したように言った。エディスはお出かけに興奮してマディと跳ね回っている。
メロディはそっと少年に訊いてみた。
「スラムで泥棒系の人が自分の靴を改造してませんでしたか?」
驚いた顔をしたジャスティンは、すぐに頷いた。
「ああ、やってた。俺も警官から逃げやすいように軽くしてた。人んちに忍び込む奴は高いとこ登るから、爪先のとこにギザギザつけたり、足指の根元のとこに切り込み入れたりしてた」
必要が工夫を生むのだなと感心しながら、メロディとモーリスは彼の説明を拝聴した。
「それは個人で? それともやってくれる人がいるとか」
「店みたいなのはねえけど、器用な奴がやり方教えたり、金もらってやってやったり。靴裏見ればそいつがどこの泥棒と関わりあるか分かるぜ」
「経験に勝る知識無しですね」
拍手をしたい気分でメロディは称えた。警備隊に頼んで焼死した男の靴を持って来てもらう。
「すげー臭いだな」
さすがに驚いたジャスティンは、靴をひっくり返して特徴を確認した。
「こいつ、サウスリバーにシマ持ってる奴だ」
「よく分かりますね」
「あそこは金持ちの家が並んでっから、塀やら門やら乗り越える物が多いんだよ。この先っちょ、小さな爪みたいなの付いてるだろ。奴らの隠し技だよ」
「そっか。登山靴も爪先にスパイクみたいなの付いてますもんね」
それにはモーリスばかりか聞いていた護衛や警備隊も感嘆していた。
「なら、その地域の窃盗常習犯で姿を消した者を探ればいいのですね」
「ああ、父上に報告しておこう」
地下の身元不明死体のことをメロディは思った。ホテルで惨殺された整備工のことも。車に細工されて危うく事故を起こす所だったが、それでも裁判を受けることも出来ずに殺されていいはずなどない。
――ドラマのチーフたちも同じように考えるはず。
正義感の強い彼らは、たとえ犯罪者であっても殺人事件の被害者になったからには全力で真相を追究した。
――やっぱり、あの人たちを目指したいなあ。
架空の話と分かっていても、被害者のために邁進するCSIの姿は彼女にとって永遠の理想だった。
午後になると、メロディはモーリスとライトル兄妹と連れだって、ロッホ・ケアーホテルに向かった。
「いらっしゃーい!」
明るく迎えてくれたのはホテルのVIP客メアリ・アン・フィリップスだった。可憐な銀行家令嬢は、合流するなりメロディに封筒を渡した。
「見て! 例の事件の部屋と車庫の車から指紋を採っておいたの」
膨れた封筒を手にして、メロディは感心した。
「凄いですね。このゼラチンシート、新製品ですか?」
「そうよ、こんなのが欲しいってお父様にお願いしたの」
「よく作ってもらえましたね」
「先行投資だって言ったら許可してくれたわ」
「さすが投資家」
単価を下げるには量産化は不可欠だ。この分ならフィリップス銀行は将来的にコンピュータ開発にも協力してくれるかも知れない。
「発電所に火力が加わったら、一気に電化が進みますよ」
「何それ、詳しく」
儲け話の臭いを感じたのか、メアリ・アンが身を乗り出してきた。モーリスも興味を持ったらしく、彼らはホテルのティーサロンで話をした。
幼い兄妹に飲み物とお菓子を用意し、メロディは今後のエネルギー革命について説明した。
「今は照明はガス灯から電灯に転化し始めてますし、電話も普及の兆しを見せてます。それには安定した電力供給が不可欠となります」
「ダムの水力発電が進んでいるのに?」
「水力発電所は立地条件が限定されますし天候にも左右されます。本格的な電化は火力発電所の建設以降になります」
「火力って、何を燃やすの? 石炭?」
「はい。ただ、泥炭や褐炭では効率が悪いので上質な石炭が大規模に掘削されることが条件ですけど。あとは油田の発見ですね」
「石油のこと? 東方大陸草原地帯やアグロセンの汲み上げ機の写真を見たことあるわ」
「大規模油田になると、掘削櫓を吹き飛ばす勢いで原油が地表に吹き上がるんですよ。これは自動車などの液体燃料の原料の他に、多種多様な樹脂製品の大量生産が可能です」
「どんな製品なんだ?」
「軽くて、どんな形にでもできる物です」
モーリスとメアリ・アンにはいまいち想像しづらいようだった。メロディは身近な物から説明した。
「石油からは絹や綿に替わる化学繊維も作られます。丈夫で軽く、色鮮やかな物が」
「じゃあ、もっと素敵なドレスが出来るってこと?」
「そうですね」
「お父様に最優先でお願いしなきゃ」
メアリ・アンは支配人を呼んで電話室の使用許可を取り付けた。
「銀行家一族だけあって、新たな産業への嗅覚は鋭いですね」
メロディがこっそりと言うと、モーリスも苦笑した。
「父上が南方大陸開発のスポンサー集めに苦労されていたが、意外な所から協力を得られそうだな」
ホテルの大きな窓から見える湖とその向こうのウォグホーン城へと彼は視線を向けた。
その先にある城の一室、電話機を設置した部屋で、大公は報告を受けていた。
「……そうか、一晩中クラブでカードをね…。分かった、ご苦労」
受話器を置き、大公は背後に控える従僕に言った。
「どうやら、昨夜のアリバイを完璧に揃えたようだ。餌に掛かってくれたかと思ったのだが、なかなかしたたかだな」
そして大公は外出の用意をさせた。見下ろすロッホ・ケアーでは湖水祭本番に向けての準備が進められていた。