49 部屋とバーチャルと私たち
ウォグホーン城の舞踏室は望みどおりの広さがあった。メロディは書斎の現場写真をそこに置いていった。
「部屋を再現するのか?」
その様子を覗き込みながらモーリスが質問した。メロディは頷き、彼も協力して写真は次々と並べられていった。
「このくらいあれば大丈夫ですかね」
ドラマであればコンピュータの仕事なのだが、今は使えるものを使うしかない。メロディは自身の天賦「視覚調整」を発動させた。
――立体化。
モーリスは目を瞠った。足下に置かれた写真から机、椅子、書棚などが床から生えてくるように立体化したのだ。
やがて多少不明瞭な所を残しつつも、ライトル伯爵邸の書斎が舞踏室に再現された。
「モーリス様、この中で不自然にひどい燃焼箇所がありますか?」
問われて彼は周囲を見回した。写真はモノトーンだが、他に比べてより黒く炭化した場所を探せばいい。
「この書棚付近が一番燃えている」
彼の指摘にメロディも同意した。
「何かを探していた所で使用人に発見されて、もみ合いになってランプを落とした。そしてランプの油を燃焼促進剤にして燃え広がったのでしょう」
「だが、燃え残ったものを見る限り、高価な書籍とも思えないな」
周囲に散乱しているのは主に事典や外国語の辞書など、執務に使用していたらしいものがほとんどだ。
「伯爵がバックランド文書を出し惜しみしているとでも思ったのでしょうか」
今思うと、ライトル兄妹の誘拐は納得できない点がある。
「ジャスティン様たちをあんな近くに隠したのは何故でしょうか。誘拐後に声明文や要求があった訳でなく、あの手紙だけですよね」
伯爵を恐慌状態に陥れた手紙には『バックランド文書』とだけ書かれていた。悪夢の記憶を甦らせるには充分だったが。
「誘拐が目的ではないということか」
「伯爵はあの件で滞在が延びましたよね」
「一度伯爵だけ首都に戻る予定だったが、この騒ぎだ。父上も安全が確認できるまで城にいるようにとおっしゃっている」
ウォグホーン城は更に使用人の管理を徹底させ、大公一家や来客に直接関わる者を制限した。領兵も警備強化に当たっている。
「タウンハウスがこの有様では、しばらく戻れないでしょうね」
燃えたのは書斎や図書室だが放水は屋敷全体に行われた。状態が酷ければ内装など相当手を入れなければならないだろう。
メロディが考え込む間に、モーリスは書斎の発火場所とおぼしき書棚をスケッチした。
写真を拾い集めて封筒に入れると、メロディは暗室に戻ろうとした。
「次は図書室ですね。広いから時間がかかりそうですけど」
彼女の言葉にモーリスが首を振った。
「書斎だけでもかなりの時間がかかったんだ。休憩を取った方がいい」
数度瞬き、メロディは彼の提案を受け入れた。
「そうですね。この場所に何があったかを伯爵にお聞きしたいし」
二人はティールームに移動した。
その部屋には先客がいた。
「おお、レディ・メロディ。作業は進んでいますか?」
先日まで病人のようだったライトル伯爵が見違えるような明るい笑顔を見せた。彼の側には夫人と愛してやまない子供たちがいる。
「書斎の状況を再現してみました。火元と思われる場所ですが…」
モーリスのスケッチを元に伯爵に質問すると、彼は不思議そうに答えた。
「その棚にあったのは辞書や資料ぐらいだ。貴重な本など置いてなかったはずなのに」
「そうですか。お屋敷のことが気ががりでしょうね」
メロディに心配された伯爵は、意外なほどあっさりとした様子だった。
「あの屋敷は、領地の館にいることが耐えられなくて逃げ込んだ先だった。二度と家族を奪われないよう、要塞のように厳重にして立てこもるように暮らしていた。そうすれば得体の知れない者から逃れられると思い込んで」
夫人の手を取り、彼は続けた。
「今回のことで気付きました。目をそらしているだけでは何の解決にもならないと。私たちの何が狙われてたのかをどこまでも追求します」
ジャスティンとエディスの兄妹は、モーリスのスケッチと沢山の写真に興味津々だった。
「ここはあまり探検したことねえな」
「お父様のお仕事のお部屋だから」
それを聞きつけ、メロディは誘導尋問した。
「あまり、ということは一度は潜り込んでますよね」
兄妹は気まずそうに顔を見合わせた。メロディは小声で尋ねた。
「何か変わったこと、妙だと思ったことはないですか?」
ジャスティンは考え込み、少しして思い出したように言った。
「壁。書棚はスライドするから誤魔化されるけど、奥行きが足りない」
少年の言葉にティールームが沈黙した。ライトル伯爵が愕然としながら呟く。
「書斎の隣は父が晩年に病室として使っていた部屋だ。たしか、そこに移る前に改装をしていた。看護のためだとばかり思っていたが…」
すぐにでも確認したいのに出来ない歯がゆさに伯爵は渋面を作った。それを宥めるようにメロディが言った。
「今は動かない方がいいです。多分、伯爵のタウンハウスは監視されていると思います」
それにはモーリスも同意見だった。
「犯人側は誘拐に放火となりふり構わなくなっています。ここに滞在していることをむしろ幸運と思って、向こうの出方を待ってはどうでしょう」
二人の言葉と、不安そうな夫人の眼差しに伯爵は渋々ながらも頷いた。メロディはジャスティンの観察眼を褒めた。
「よく気付きましたね」
「スラムには金持ちの隠し金庫専門家もいるから」
「…色々と専門分野が細分化しているのですね」
生活がかかっている人間は本気度が違うと、妙に感心してしまうメロディだった。
ふと周囲を見渡すと、いつも仲睦まじい大公夫妻の姿が見えない。
「大公殿下は所用でしょうか」
尋ねられたモーリスは遠い目をした。
「王家の別荘の暴君に、ご機嫌伺いに行ったよ」
何のことか分からない彼女の側で、ライトル伯爵夫妻は納得顔をしていた。
「王太后陛下が行幸されているのだよ」
伯爵に言われてメロディも思い出した。
「たしか、大公殿下とはあまり親密ではないと聞いていますが」
実の親子なのだが、王太后と次男の間には隔たりがあるようだ。孫息子は否定しなかった。
「お祖母様はとにかく絶対王政主義で血統を重んじられる方だ。母上がアグロセン王室から嫁いだ時は猛反対したと聞いている」
「それは無駄な抵抗を」
あの、熱烈に大公を愛するカイエターナ大公妃が姑ごときに臆するとは到底思えなかった。モーリスはくすりと笑った。
「母上はお祖母様に対してもあの調子だからな。距離を置かれているなど考えもせずに正面突破する様は見物だぞ」
「寿命が縮みませんかね。周囲の」
一緒にカスタネットでも叩けば打ち解けそうな気もするが、高齢者には酷だろう。
微妙に的外れな心配をしながら、メロディはお茶でひと息ついた。
二人が心配する頃、王家の別荘では一部の者が血を凍らせていた。
「素敵ですわ、お義母様」
前国王である夫を亡くして以来、喪服以外身につけないエレノア王太后にカイエターナが掛けたのは深紅のストールだった。貴婦人の中の貴婦人と呼ばれた王太后は表情一つ変えなかったが、こめかみの辺りが微細運動をしている。
「アグロセンの王立工房で織られた最高級品ですのよ。湖水地方の夜は冷えますから、これがあれば安心ですわ」
ころころと笑い声をたてる大公妃と、その側でにこにこと妻を見守る大公。兄の国王夫妻はひたすら乾いた笑顔を維持していた。
王子と王女、そして王子の婚約者はいつもながらの大公妃の大胆さに笑顔でノーコメントだった。
王太后が無言で自室に引きこもると、大公夫妻以外の全員が揃って息を吐き出した。国王アルフレッドは弟に恨みがましい視線を送ったものの、いつもの読めない表情にはね返された。
ジュリアスとマティルダ、そしてジョセフィンはテラスに出ようとした。側を通り過ぎる王女にカイエターナが声をかけた。
「あなたも元気そうね。ずっと魅力的な顔になったわ」
「ありがとうございます、叔母様」
マティルダは礼儀正しく礼を言った。祖母同様、苦手にしていた大公妃だが、天賦消失の件から彼女の愛情深さを素直に感じるようになった。
テラスの日よけの下に置かれたテーブルを囲み、三人は座った。心許なげにマティルダが言った。
「最近、お祖母様のことが分からなくなったの」
「何か叱られたのかい?」
心配そうに兄が問うと、彼女は首を振った。
「ライトル伯爵家の火災のことが昨夜の晩餐で話題になった時、覚えてる?」
ジュリアスは頷いた。
「ジョセフィンの家の親戚筋だからね」
「お祖母様は、それをあの時初めて聞いたとおっしゃったの」
他の二人は不思議そうに彼女の言葉を聞いていた。マティルダは小声で告げた。
「嘘だった。ご存知だったのよ、お祖母様は。お父様たちでさえ聞いたことなかったのに」
王太子と彼の婚約者は顔を見合わせた。マティルダが気付いたことの重大さが時間と共にのしかかってきた。