48 これも灰 あれも灰 たぶん灰 きっと灰
ライトル伯爵家の兄妹と一緒に帰還すると、ウォグホーン城は大騒ぎになった。伯爵は言葉もなく、ただ涙しながら子供たちを抱きしめた。誘拐の一報を聞いて倒れた伯爵夫人も同様で、城の使用人たちはもらい泣きを堪えるのが大変そうだった。
ホテルで汚れたり濡れたりした服を着替えた兄妹とメロディは、事件の時に負傷したメイドのエイダを見舞った。感涙するメイドはエディスを抱きしめながら何度も子爵令嬢に礼を言った。
「こんなに早く、お二人ともご無事で戻ってこられるなんて夢のようです。ありがとうございます」
「ジャスティンの臭いを追ってくれたのはマディで、賊を倒してくれたのはモーリス様だから」
そう答えると、兄妹は揃って首を振った。
「姉ちゃん、火事の中でエディスを探してくれただろ」
「湖に落ちても助けてくれたよ」
「まあそれは、私の天賦が火災の誘発の一因の気がするし…」
照れるメロディに微笑んでから、エイダは疑問を投げかけた。
「あの、それでどうしてメイドの服を着ておられるのでしょうか?」
今メロディが着ているのはロッホ・ケアーホテルの掃除係の制服だった。
「ああ、湖に落ちてずぶ濡れになったから、適当な服を借りたの」
本当は支配人にやたらと豪華なドレスを提供されそうになったのだが、動きやすさを重視した結果が現状だ。
子供たちが部屋で休むのを見届けてから談話室に戻ると、神妙な顔をした伯爵に頭を下げられた。
「レディ・メロディ。あなたにはジャスティンを見つけたもらっただけでなく、今回の件でも何と礼を言えばいいのか…」
「ジャスティン様たちが落ち着いて対処されたからです。それより、奥様のご容態はどうですか?」
「あの子たちの元気な姿が何よりの薬だと医師が言っていました」
「よかった。エイダも早く現場復帰してくれそうだし」
関係者の傷を最小限に出来そうだと、メロディはほっとした。そして、伯爵に手紙を返した。
「こちらで指紋採取をさせてもらいました。後で伯爵様の指紋も採らせてもらえますか? 証拠から除外したいので」
「何でも協力しますよ」
すっかり科学捜査の信奉者と化した伯爵は二つ返事で承諾した。
和気藹々とした空気が変わったのは、大公親子がやってきてからだった。いつも温和で印象の薄い表情の大公が、珍しく深刻な様子だった。
「こちらでしたか伯爵。首都から緊急連絡で、あなたのタウンハウスで火事騒ぎがあり、書斎と図書室が消失したと」
予想しない事態にメロディは目を瞠った。
ローディン王国首都キャメロット。
貴族屋敷が建ち並ぶ一角は騒然としていた。消防車が道に連なり、伯爵邸の一角からはまだ煙がくすぶっている。
「よりによって図書室に書斎か。燃やしてくれと言わんばかりの部屋じゃないか」
消防局のマイク・ベイルは苦い顔をした。カーター警部も同様で、蒼白になっている使用人から聞き取りをする部下を見ていた。
「警部、大体の状況が分かりました」
部下の刑事がメモを見ながら報告した。
「昨日の深夜、物音がするのに気付いた使用人が侵入者を発見、もみ合いなった際にランプが落ちて、床に散らばった書類に燃え広がったそうで」
「物盗りか? 書斎で何を探してたんだ」
「金庫などはない部屋だと、使用人たちの証言は一致してます」
頷きながら、警部は顔を上げた。
「確かここは、重大犯罪課の連中が出動してる誘拐事件の被害者の屋敷じゃないか」
「踏んだり蹴ったりですね。子供が無事ならいいですが」
痛ましげに言うと、刑事は周囲に犯人の繋がる物がないか探した。そこに、意外な人物が現れた。
「ドッド警部……」
カーター警部は大先輩が書庫からわざわざ出てきたことに驚いた。小柄な初老の警部はひょいと片手を上げた。
「ああ、現場を荒らす気はないんだが、写真を送って欲しいと言われてな。伯爵も向こうをすぐには離れられんだろう」
「写真?」
「現場写真だ。マックス、お前は図書室を。儂は書斎に行く」
長靴を履いた警部は侵入口の足跡から撮影を始めた。カーター警部は困惑顔だった。
「例の、CSI部とかの道楽ですか?」
「なに、証拠は多いに越したことはなかろう。費用は向こうもちなんだし」
それを盾に経理を黙らせて出てきた警部は、七つ道具を入れた鞄を肩に掛けて写真を撮りまくった。
何事かと見ていた刑事たちも、被害者からの依頼と分かって彼らを放置した。
ドッド警部はこっそりとマックスに告げた。
「例の指紋の写真も混ぜておけよ」
「分かってます。休みを潰して掃除夫の変装までして採取したんですからね」
熱心に撮影する彼らをカーター警部は複雑そうな表情で見ていた。
現像する手間も惜しんで銀塩フィルムが詰まった箱がウォグホーン城に届けられたのは、火災の翌日だった。
それを手にしたメロディは呆れ声を出した。
「自動車―汽車―自動車のリレーですか」
フィルムの本数は多いが、撮影場所ごとに袋で仕分けされている。几帳面なドッド警部らしいとメロディは思った。
そして、何度か訪問したことのあるライトル伯爵家のタウンハウスの記憶を呼び起こした。
――名門貴族らしい大きなお屋敷だったけど、一階から最上階まで窓という窓に鉄格子がはまってたのはちょっと異様というか威圧感というか……。
それがジャスティンの誘拐に起因していたのは明らかだった。エディスがまだ幼いこともあり、最大限の誘拐対策だったのだろう。
「さて、まずは焼失した書斎と図書室の写真から…」
現像できる部屋はあるだろうかと考えていると、大公自ら許可をくれた。
「暗室を作っているから使うといい」
「ありがとうございます。大公殿下は写真がご趣味なのですか」
「外国に行くことが多いからね。つい記念に撮影するようになったんだ」
もしかしたらカメラだけ収納した部屋があるかもとメロディは考えた。箱の中身を覗き込んだモーリスが言った。
「かなりあるな。手伝うよ、現像の仕方は父上に教わったから」
「助かります」
二人並んで暗室に向かうのを大公妃はにやにやしながら眺めた。大公はロッホ・ケアーホテルからの続報を受けていた。
「それで、ホテルの死体は王家の別荘に雇われていた整備工に違いないのだね」
「はい、同僚が確認しました。ただし、本名も出身地も全て嘘でした」
「これでカメラマンに続いてネズミ氏も消息不明か。まるで見えない者同士が綱引きでもしているみたいだ」
「引き続き、情報を追います」
「頼んだよ」
配下の者が出て行くと、大公とその妻は窓辺に佇んだ。そこから見えるテラスでは、お茶をしているライトル伯爵一家がいた。幸福そうな家族の姿を夫妻は寄り添って見守った。
ウォグホーン城の暗室は広く、二人でも余裕を持って作業できた。
「大公殿下は沢山現像されるのですね」
「いつも外国から帰ると写真を見せてくれたよ」
手袋をして現像液を取り出しながら、モーリスは懐かしそうに言った。
「お土産話をしてもらったのですね」
「父上の旅行先は列強諸国よりも、南方大陸とかポラリス半島とか自然が豊かな所が多かったな」
「南方大陸は異教国の勢力が強いですけど、そのあたりはどう対処されてるのでしょうか」
問われてモーリスは首をひねった。
「父上はあちらの言葉にも堪能だし、優秀なガイドが付いてるようだ」
「王族外交ならそうですよね。あちらの王家の方々ともお付き合いがあるのでしょうし」
「一夫多妻制の国も多くて、南方に行くと母上の不満が凄いんだ」
噂に聞く異教の城の美女を集めたハーレムなど、大公妃が知れば当然警戒するだろう。
「よく、珍しい動物を贈られて連れて帰っていたよ。扱いが難しいからほとんど王立動物園に寄贈したけど」
大公家に飼われているのは色鮮やかなオウムくらいだという。大公妃の口癖を覚えて時々大公に熱烈に愛を囁いているのだとモーリスに教えられ、メロディは吹き出した。
「そういえば、ジャスティン様たちの捜索の時、王女殿下はお見かけしませんでしたね」
「マティルダは別荘で待機だ。王太后陛下が別荘に来られる」
――王家のゴッドマザーが来るなら、そりゃ一人はいないとまずいよね。
「よろしかったのですか、王太子殿下はご不在で」
「ジュリアスが世界で唯一苦手な女性だからな」
「あの王女殿下も影響を受けてらしたようでしたね」
「ガチガチの王権神授説派だよ」
「選民思想ですか。同族をまとめるには効果的ですけど、行き過ぎるととんでもない過激行動に走りますよね」
彼女が思い出すのは、ジェニュインという名の組織だった。構成員も活動の目的も何一つ分からない謎の団体だが、個有者(タラント)と平常者のどちら側に立っているのだろうか。
他愛ないおしゃべりをする内に、現像液に浸した印画紙に映像が浮かんできた。
「これは酷く燃えてますね」
広い書斎は灰と煤の固まりと化していた。図書室も同様だ。どれだけの蔵書が炭化したのかと思うと、もったいなさにメロディは溜め息をついた。
「稀覯本もあったでしょうに」
モーリスはそれらを見て眉をひそめた。
「あれだけ伯爵を脅して誘拐までして手に入れようとした文書なのに、今回は隠滅を図ったみたいだ」
「それは、方針転換なのでしょうか、それとも、文書を狙う者が複数いるのでしょうか」
二人には難問だった。
ライトル伯爵邸火災現場の記録は、書斎だけでも数本のフィルムを使っていた。
「この量だと……」
メロディは現像できた大量の写真を見て、あることを思いついた。
「モーリス様、どこか広い場所を貸してもらえますか?」
大公の息子は頷き、彼女をボールルームに案内した。




