47 虹の向こうは晴れてないとそもそも出ない
男たちが殺気立った形相で出て行った後、部屋の隅の木箱の一つがごとりと動いた。そっと蓋が開き、中から二組の目が様子をうかがう。
「行ったようだな」
そろそろと箱から出て来たのはライトル伯爵家の嫡男ジャスティンだった。一緒に箱の中にいた妹のエディスにそっと言いつける。
「助けを呼んでくるからここにいろよ。かくれんぼだ、絶対見つかるなよ」
「うん」
素直に頷く妹の頭を撫で、少しためらいがちに額にキスをして、彼はそっと木箱の蓋を閉めた。隠れるために外に放り出した食器類を抱え、部屋から通路に出る。
大きく呼吸をし、少年は周囲に警戒網を張り巡らした。スラムでスリやかっぱらいをして生きていた頃、幾度も警官や対抗組織の奴らに捕まりかけてはくぐり抜けてきた。それが自分の天賦なら、今こそ最大限に感性を尖らせる時だ。
「とにかく、ここからあいつらを遠ざけなきゃ」
ジャスティンは手にした皿を通路の奥に向けて投げつけた。
何かが割れる音に、メロディとモーリスはぎくりとした。
「やけに派手ですね。内ゲバでしょうか」
「こんな場所に大人数がいるとは思えないが…」
二人は通路の様子を見ようとして足音に気付き、柱の陰に潜んだ。メロディが天賦を発動させ、自分たちの周囲の影を濃くする。話し声が近づいてきた。
「どこに行きやがったんだ、あのガキ」
「ここから出られるわけねえのに」
男たちは気付かずに通り過ぎていった。彼らが口にしていた罵倒を二人は検証した。
「ガキがどうのと言ってましたね。ジャスティン様なら脱走したかも」
「君はあの子に信頼を置いてるようだな」
モーリスの言葉にメロディは大真面目に頷いた。
「誘拐犯からも、スラムの無法地帯からも生き延びた子ですよ」
「そうだな」
二人と一匹は、再び通路を進んだ。
あちこちに隠れながら、ジャスティンは外への出入口に近づいていた。
「あそこが出口なら、こんだけ騒いでんだ、誰かが気付くはず」
彼の予測通り、内階段から足音がした。
「何だ、騒々しいな」
「ネズミでも出たのか?」
呑気な会話をしながら、咥え煙草の男が言った。
「さっさと廃棄分の箱を出しとこうぜ」
彼らが進むのは、さっき後にした部屋の方だった。
――まずい、エディスが。
気を取られ、警戒が緩んだのに気付いたのは、背後から腕を掴まれた時だった。
「このガキ、手間掛けさせやがって! もう一人はどこだ!?」
少年は手にした皿を男に叩きつけて逃げようとした。だが、皿の破片を踏んで滑り、転倒した。怒り狂った男が彼の腹を蹴りつけた。
「こいつ!」
丸くなってうめくジャスティンを更に踏みつけようとした男の足に、何かが飛びつき容赦なく噛みついた。
「いてててっ!」
乱入したのは垂れ耳の小型犬だった。
「マディ!」
犬を取り押さえようとした男は背後から後頭部を殴られて昏倒した。
「大丈夫か、ジャスティン」
護衛から借りた警棒を手にしたモーリスが少年に手を貸した。
「ジャスティン様、エディス様は?」
心配そうに尋ねるメロディに少年は答えた。
「奥の部屋の木箱に隠れてる。でも、さっきの連中が…」
メロディはすぐさま照明のランプを見た。そして、揺らめく炎を拡大させて一気に地下一帯を赤く染めた。
「何だ?」
「火事だ!」
あちこちから声がし、内階段に足音が殺到した。
廃棄用の箱を持ち出そうとしていた男たちも、火事だと叫ぶ声を聞いた。
「おい、冗談じゃねえぞ」
彼らも遅れまいと走り出し、一人がくわえていた煙草を放った。梱包材の山に落ちたそれは、見る間に燃え上がった。
階段裏に作り出した暗闇で三人と一匹は男たちをやり過ごした。モーリスが倒した男を影から引っ張り出したところで、メロディは異変に気付いた。
天賦は解除したのに、奥の方が赤い。更に煙が充満してきた。ジャスティンが叫んだ。
「エディス!!」
火の方に飛び出そうとするのをモーリスが押さえ、メロディは地上に向けて天賦を発動させた。
――レッドアラート!
CSI部は地上でハラハラしながら待っていた。いきなり、彼らの足元が赤く光った。
「これって、レッドアラート?」
事前打ち合わせにあった合図だとジョセフィンが気づき、メアリ・アンが叫んだ。
「ジュリアス様!」
王太子は頷き、片手を上げた。待機していた捜査官たちが地下に突入した。
「モーリス様、ジャスティン様とマディをお願いします。私ならエディス様を見つけられますから」
そう言うなり、メロディは燃える貯蔵庫へ駆けだした。
「待て!」
止めようとするモーリスを振り向きもせず、彼女は伯爵令嬢を呼んだ。
「エディス様、どこですか?」
煙の中で子供の姿をサーチする。通路の隅にうずくまる影があった。
「エディス様!」
駆け寄り抱き上げると、エディスは笑った。
「見つかっちゃった」
あとは脱出するだけなのだが、既に出口方面は火が回っている。そこに、モーリスの声が響いた。
「カズンズ嬢! 通路の行き止まり付近に排水路の点検口がある! 今から放水するからそっちに避難するんだ!」
メロディはよく通る声に従った。
「点検口……」
かがみながら進むと、エディスが指さした。
「あそこ!」
四角い蓋を苦労して開けると、異臭が漂ってきた。
「鼻をつまんで口を塞いでてください」
人ひとりがやっとの穴に降りていき、エディスを抱えて点検口から離れた。ほぼ同時に水音がした。
「近くに貯水槽があったけど、あれ全部放水したのかな」
それなら、消火と引き換えに溺死の可能性があった。焼死とどっちがマシかと言われたら悩んでしまうが。
点検口からも滝のように水が流れてきた。逃げ惑うネズミの群れがこっちに殺到し、驚いて逃れようとしたメロディの足が滑る。
「わっ!」
排水路は傾斜しており、流れる水に乗ったメロディとエディスはウォータースライダー状態で滑り落ちた。エディスがはしゃいだ声を上げる。
――これ、終点はどこなの?
不安になった時、流れる先に光が見えてきた。そこはきらめく湖水だった。
「これって、環境破壊ってか、観光資源でしょ!」
叫びながら、エディスを抱えたメロディはロッホ・ケアーに落下した。
湖の水は冷たく、かなりの深度がある。闇雲に暴れず突入の勢いが消えたのを見計らって、メロディは浮上した。片手に掴んだエディスの手を決して離すまいと必死で水面を目指す。
どうにか、息が切れる前に湖面に出られた。必死で空気を吸い込み、彼女は伯爵令嬢に呼びかけた。
「大丈夫ですか、エディス様」
けほけほと咳き込む声も愛らしい伯爵令嬢は、にっこり笑って親指を立てた。それを見てやっとメロディは安堵できた。小さなエディスに水中での救助待ちを指南する。
「じゃ、手と足を広げて仰向けになって、力を抜きましょうね。リラックスしてれば沈みませんよ。人間は浮くように出来てるんですから」
そして、救難信号を出すことにした。片手で水を跳ねさせ、しぶきが七色の光を作るのを拡大する。
湖面に時ならぬ虹が発生したのに、ホテルの宿泊客が騒いだ。
「殿下、湖です!」
ジョセフィンがロッホ・ケアーを指さした。すぐさま、ホテルから直接続く船着き場のボートが総動員された。
「カズンズ嬢、無事か?」
ボートからモーリスが呼びかけ、浮かんでいる二人に接近した。メロディは先にエディスをボートに上げさせ、次にモーリスとディクソン捜査官の手で引き上げられた。
「ありがとうございます」
「いや、もっと安全な方法を採るのだったな」
気掛かりそうな大公の息子に笑ってみせると、メロディはけろりとしているエディスの濡れた巻き毛を撫でた。
「エディス様が落ち着いてらしたので助かりました」
「さすが、ライトル伯爵家のご令嬢だ」
「そう言えば、ジャスティン様の天賦は少しマールバラ様に似ているような…」
「マールバラ公爵家とは血縁関係にあるからな」
重大な文書を任されるような、由緒ある家なのだとメロディは理解した。
二人を救助したボートは船着き場に戻った。
「エディス!!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたジャスティンが妹を抱きしめた。
ロッホ・ケアーを見下ろす山の中腹。豪華な馬車が森の中に停まり、その脇で男が跪いていた。
「伯爵に揺さぶりをかけましたが、彼は本当に保管場所を知らないようです」
「ならば直接捜索を。手段は問わぬ」
馬車から重々しい声がした。男は頭を下げ、森の中に消えた。何事もなかったように馬車は山道を進んだ。
やがて見えてきたのは王家の別荘だった。車寄せに並び緊張気味に出迎えるのは、主立った使用人とマティルダ王女だった。
「ようこそおいでくださいました、お祖母様」
侍女の手を借り、馬車から黒いベールの老婦人が降りてきた。車庫に並ぶ自動車を見て、さも軽蔑したように彼女は言った。
「王太子ともあろう者が、あのような下品な物に乗るとは」
「我が国の主力産業候補ですので」
日頃の尊大さの影もなく、マティルダは目を伏せて答えた。
執事たちが最敬礼する前を老婦人――王太后エレノアは無言で通り過ぎた。