46 追いかけて、追いかけて、たどり着きたいの
ロッホ・ケアーホテルはあっという間に厳戒態勢になった。
遅れて到着したジュリアスとモーリスたちは、ビリビリした空気に驚いていた。
「何があったんだ」
メロディに小声で質問したのはモーリスだった。彼女はここで起きたことを簡潔に説明した。
「ネズミさんの部屋で人形と同じ殺され方をしてた人がいたんです。でもそれはネズミさんじゃなくていなくなった整備工でした」
「本当か? 君は彼の顔も知らないのに」
ジュリアスが疑わしげに言った。メロディは指紋カードを見せた。
「被害者の指紋が事故車に残っていたものと一致しました。今、王家の別荘で行方が知れない者は整備工だけですよね」
「城の者に確認させる」
ジュリアスが護衛に指示し、例の整備工を知る者が確認に行った。
足元で哀れっぽい声がした。誘拐されたジャスティンの愛犬マディだ。メロディはしゃがみ込んで小さな犬を撫でた。
「マディを連れてきてくださったんですね」
モーリスに言うと、彼は子供用の服を出した。
「ジャスティンの物だが、これでいいのか?」
「はい、マディもよく知ってる源臭ですから効果は高いはずです」
そこに、メアリ・アンも合流した。
「おはようございます、ジュリアス様!」
こんな状況でも真っ先に王太子に挨拶するのが彼女らしかった。ジョセフィンが彼らを引き剥がし、婚約者を説教した。
「殿下、物見遊山に来た訳ではありませんのよ」
「分かっているよ、ジョセフィン。メアリ・アン、何か用事があったのでは?」
「あ、そうそう。車庫に持ち主不明の自動車があるのですって」
メロディは眼を輝かせた。
「行きましょう、捜索開始です」
CSI部はホテル裏手に移動した。
「これがその車ですか?」
件の自動車は車庫の隅でカバーを掛けられていた。モーリスがカバーをめくった。その下にあるのは何の変哲も無い自動車だった。
「大公家の車にしてはみすぼらしいな」
ジュリアスが不思議そうに言った。メロディには別の見解があった。
「試してみましょうか」
そして、マディに飼い主の服の臭いを嗅がせると、車の周囲を歩かせた。垂れ耳の小型犬は鼻を地面にこすりつけて歩き、車に向けて吠えた。
「後部席ね」
ドアを開けると、ビロード張りの内装に一同は意外そうな声を上げた。
「中は豪華なんだな」
「内装まで交換する時間が無かったって事ですね。フロントグリルなんかは換えられますから。この田舎で自動車を隠すなら、それが普通にある場所を選ぶと思ってました」
後部席の床に、何か光る物があった。それを拾い上げ、メロディは呟いた。
「ボタンです。糸の状態からしてかなり強い力で引きちぎったような」
マディに差し出すと、尾を振って吠えた。
「ジャスティン様の物のようです」
犬のリードの端を持つと、彼女は命じた。
「さあ、臭いを追って!」
小型犬は臭気を追跡し、車庫から出発した。まだ半信半疑の女子組だったが、途中でマティルダが何かを拾い上げた。
「これ、さっきのボタンと同じ物」
「やっぱり引きちぎられてますね。マディ、ちゃんと追えてるわよ」
犬は臭いを追ってずんずん進む。不思議そうにジョセフィンが言った。
「裸足ならともかく、靴を履いているのに臭いが分かるの?」
「臭気は靴を通して残るんですよ。犬の嗅覚は人間の一〇〇〇倍から一億倍ですから」
他の者は一斉に自分の足元を見た。その間にも小型犬は歩き続け、ホテルの裏手に作られた大きく無骨な建物に行き着いた。
「ここ、倉庫でしょうか」
「のようだな。こんな大型ホテルなら食料だけでもかなりのストックがあるはずだし」
「マディ、頑張って。食べ物の匂いにつられないようにね」
犬を励まし、メロディは倉庫周辺を探らせた。建物の出入口に向かうかと思われた犬は、更に裏手に回った。壁から突き出たような箇所に着けられた扉を引っ掻き、吠える。
「ここみたいだけど、この扉は……」
首をかしげていると、メアリ・アンが指摘した。
「地下室じゃない? 田舎の家の倉庫がこんな作りだったわ」
「確かに、見つかってまずい物を隠すには最適ですね」
扉には鍵がかけられていた。また支配人を呼んでもらうべきかと考えていると、彼らに非友好的な声をかける者がいた。
「何をしてる? そこは遊び場じゃないぞ」
ごろつきと用心棒の中間地点といった様子の男たちだった。メロディは気さくに彼らに応えた。
「ああ、ここの従業員ですか。ちょうど良かった、この扉を開けてください」
委細気にしない少女に、彼らはいきり立った。
「うろつくなって言ってんだよ、このガキ!」
メロディの腕を掴み上げようとした時、周囲に潜伏していた王家と大公家の護衛が出現し、瞬く間に男たちを制圧した。
組み伏せられた彼らは何が起きたかも分からない顔で少年少女を見上げた。護衛の一人がジュリアスに言った。
「大丈夫ですか、殿下」
「ああ、問題ないよ。この者たちは警視庁の捜査官に突き出してくれ」
「御意」
護衛たちは体格のいい男たちを軽々と引き起こし、連行していった。メロディは次の手を考えた。
「さて、接客業には見えない連中に見張らせてるくらいですから、見られて困る物があるんでしょうね」
「なら、護衛を増員して」
モーリスの提案に彼女は首を振った。
「できれば、中にいる人を刺激したくないんです。誘拐事件の中には、警察に追い詰められた犯人が発作的に被害者を殺害した痛ましいケースもありますから」
それを聞いてはモーリスもジュリアスも反論できなかった。ジョセフィンが用心深く周囲を見回した。
「建物の中以外に危険要素はないわ」
「索敵ありがとうございます、マールバラ様。あとは、この鍵を…」
悩むメロディの前に、鍵束が差し出された。メアリ・アンが得意そうにいった。
「支配人から預かったの。この施設のマスターキー」
「助かります、フィリップスさん」
倉庫と書かれたカードが付いた物を選び、彼女は扉の鍵穴に差し込んだ。かちりと音がして扉が開く。マディが待ってましたとばかりに尾を振り、中に入ろうとする。
「まさか、一人で行く気か?」
「大勢だと気付かれますよ。危険があればレッドアラートを出しますから」
「僕も行く。君のお目付役だからな」
真剣な顔でモーリスが言うと、メロディは考え込んだ。
「そうでしたね。では、お願いします」
モーリスは振り向き、ジュリアスに告げた。
「ご婦人がたを安全な場所に。捜査官を周囲に控えさせてくれ」
「分かった。無理をするなよ」
苦笑いで頷き、大公の一人息子は子爵令嬢と共に地下へと降りていった。
大公家の護衛から事の次第を聞いた警視庁重大犯罪課の捜査官は、しばらく固まった。
「また、あのご令嬢か…」
真っ先に立ち直ったディクソンが唸るように言うと、拳銃を取り出した。
「案内してくれ」
護衛は頷き、倉庫に急いだ。
腕の中で何かが身じろぎする感触でジャスティンは覚醒した。抱きしめられるようにして眠っていたエディスがもぞもぞと目を覚ました。
「ここ、どこ…」
「分かんねえけど、デカい建物の一部だな」
天井の通気口を見ながら彼は答えた。立ち上がり、妹に問いかける。
「こっから出るぞ。走れるか?」
「うん!」
ジャスティンは自分の右足首内側に隠していた飛び出しナイフを取り出した。
「身体検査もしねえとか、シロートかよ」
暗がりに慣れた目で部屋の構造を確認した。この部屋は更に奥の部屋に通じており、そのためか広さの割に扉が大きい。
「両開きの引き戸か…」
隙間にナイフの刃を差し込み、そのまま上に滑らせていく。掛け金らしいものに当たり、力を入れて上げていくと外れる音がした。だが、引き戸は開かない。
「補助錠があんのか」
ジャスティンは今度は扉と床の隙間にナイフを差し込み、扉を上下に揺すった。辛抱強く続けると、何かが外れる感触がした。引き戸に手を掛け力を入れると、滑らかに動いた。嬉しそうにエディスが飛び跳ねた。
「お兄様、すごい!」
「しっ、まだ油断できねえぞ」
細い隙間からジャスティンは通路の様子を見た。人影はないが、遠くで話し声が漏れ聞こえてくる。
「見張りがいやがる」
少年は部屋の中に使える物がないか探した。隅に置かれた木箱をこじ開けてみる。中には食器類が詰まっていた。伯爵家の兄妹はそれを片っ端から取り出した。
地下室の見張りという退屈な役目に、男たちは早くも飽きていた。
「ガキ二人に、警戒もねえだろ」
「どうせ目ぇ覚ましたって泣くだけだって」
笑い合う男たちの耳に、大音響が聞こえた。彼らは一斉に立ち上がった。
駆けつけた貯蔵室の引き戸は開け放たれ、室内は無人だった。男たちは顔を引きつらせた。
「ガキが逃げたぞ、探せ!」