44 何が悪いのか今も分からないが誰のせいなのかはオマエだ、オマエ
メロディとモーリスが帰還した時、ウォグホーン城は殺気立っていた。
武装した領兵が剣呑な様子で行き来するのを見て、二人は大公の書斎に行った。
「父上、何があったのですか」
珍しく険しい顔をするジョン大公と、憔悴しきった姿でうなだれるライトル伯爵がいた。
「お帰り、モーリス。カズンズ嬢。ちょっと問題が起きてね」
伯爵のやつれ果てた形相はちょっとどころではない。不安そうな息子たちに、大公は大きく息を吐き出してから説明した。
「伯爵のご子息とご令嬢が拉致された」
「ジャスティン様とエディス様が?」
信じられないことだが、それなら伯爵の様子も頷ける。しばらくして、伯爵が声を絞り出すように言った。
「私が愚かだった。あの手紙に動揺して、すぐに首都に帰るなどと言い出さなければ……」
「こんな夜中に?」
モーリスが驚き、大公は頷いた。
「おそらく、私やジュリアスたちの警備で領兵の数が減っていたこと、夜中ですぐに動けるメイドが限られている隙を狙ったのだろう。厨房の下働きが一人消えている」
「計画的なものだったと?」
「だろうね」
そう言うと、大公は伯爵に向き直った。後悔に打ち震える彼に、優しく話しかける。
「伯爵、あなたの子供たちを救うために教えて欲しい。ご子息が最初に誘拐された時、犯人が要求したのは現金だけだったのですか」
ぴくりと震え、伯爵はのろのろと顔を上げた。落ちくぼんだ目が次第に諦めの色を浮かべ始める。彼はぽつぽつと話し始めた。
「あの子が領地の城から掠われた時、要求書には現金の他にある物を寄越せとありました」
「それは?」
「……バックランド文書です」
メロディは首をかしげた。
――バックランド文書って、この国の全王朝の秘密を記してあるとかいう、あれ? 都市伝説みたいなものだと思ってたけど。
「それが伯爵家に保管されていたと?」
「私は実在することさえ知りませんでした。父の残した記録を片っ端から漁って、我が家が預り極秘に隠していたと分かりました」
「だが、犯人にそれを渡さなかった」
伯爵は拳をテーブルに打ち付けた。
「違う! ジャスティンの命に替えられるものか! 要求通りに渡すつもりだった……」
「どこかで手違いが起きたのかな」
「保管場所が分からなかったのです。父の記録にも遺言書にも何も書かれていなかった。私は必死で時間をくれと交渉しました。しかし、現金の引き渡しに失敗した後は全く連絡が取れなくなり、ジャスティンは生死すら分からぬまま地獄のような時間を過ごしました。やっと見つかったのに、今度は二人とも……、こんな手紙に怯えたせいで……」
懐から取り出した手紙を力なくテーブルに放り出し、伯爵は両手で顔を覆った。手紙を拾い上げた大公が、その肩にそっと触れた。
「少し休みなさい。この件は私の城で起きたこと。プランタジネット大公家及びテューダー王家が全面的に協力します」
医師と看護婦を呼び、彼は伯爵を部屋に下がらせた。突然のことに言葉もなかったメロディは、ためらいがちに尋ねた。
「伯爵夫人はどうされてますか」
「事件を聞いて倒れてしまってね、今はカイエターナが付き添っているよ」
無理もないとメロディは溜め息をついた。彼女には昔の悪夢の拡大再現だ。
隣で考え込んでいたモーリスが質問した。
「逃走は自動車ですか?」
「そうだよ」
「ここに戻る途中でそれらしいものには出会いませんでした」
「ロッホ・ケアー駅や周辺道路には通知している」
既に手を打っていると分かっても、電話もろくにない環境ではどうしてもタイムラグが生じる。
――アンバーアラートみたいなのがあれば、すぐに対応できるのに。
どうにか出来ないだろうかと、メロディは必死で考えた。黙り込んでしまった二人に、大公は優しく声をかけた。
「パーティーで収穫はあったのかな?」
モーリスが悔しそうに答えた。
「ネズミには会えましたが、いきなり消えてしまいました。大山羊も見つけられず完全に空振りです」
「事故もあったし、思うようには行かないものだよ。ああ、カズンズ嬢、カジノの支配人が感謝していたよ。君の機転で犠牲者が出なくてすんだと」
「あれは、マールバラ様が危険を感知されて、王女殿下が空中回廊だと見当をつけてくださったおかげで」
「それでも、空中回廊やその下に人がいれば大惨事だったよ」
「原因は何だったのでしょうか」
「見たところ強度不足だろうね。あの細い棒で吊り下げるのは無謀だよ」
「景観を重視したのでしょうか」
モーリスが推察した。外の景色を最大限に楽しめるように設計されていたのは明白だ。
「ネイチャー&ワイルドの会員に会えたのは、木馬さんくらいですか。あ、ロバさんでしたね」
言いながら、メロディは違和感が湧き起こるのを感じた。それを形にするように彼女は語った。
「……あの人、集会の時は馬の頭の被り物でしたよね」
「ああ」
モーリスにはタマ無し呼ばわりされた苦い記憶とセットだ。メロディはゆっくりと記憶を辿った。
「かなりお粗末なものでしたね。他の会員の気合いの入った衣装と比べると」
「そうだったな。実はロバだと言われても見分けなど付かないと思った」
「子供の玩具みたいな木馬で、ただ会場内をうろうろするだけで。何がしたいんだと思いましたが」
それぞれが思い思いの動物になりきる中で、あの男だけが異質だった。まるで目的は別にあるかのように。
息子たちのやりとりを大公は興味深そうに観察していた。メロディは頭の中で現状を整理し、モーリスに言った。
「お疲れのようですね。もう休まれては?」
「こんな状況でか?」
「大公殿下が出来るだけの手を打ってくださってます。私たちに今できることはありません」
事実だが冷たい言いようにモーリスは眉をひそめた。しかし、続く言葉に彼は目を丸くすることになった。
「だから、今は食べて寝て体力を養うんです。明日は朝一で活動開始ですから」
「……何を?」
「CSI部ですよ。あ、大公殿下、その手紙の指紋採取をしたいので貸していただけますか?」
無言の息子の横で、大公は笑い出した。
「彼女の言うとおりだよ。状況は刻々変わる。その時その時に何が出来るかを見極めることも重要だ。レディ・メロディ、これは君に預けるよ。中には『バックランド文書』としか書かれていなかった」
「ありがとうございます」
手渡された手紙をハンカチでつまみ、メロディは慎重に抱えながら大公親子の前を辞した。
自室に戻りながら、彼女は失念していたことに気付いた。
――謎のダンサーカップルのことを忘れてた。でも、人助けしてただけだし……。
城の内外では人々が足音を忍ばせながら行き交っている。誘拐された伯爵家の兄妹の無事を彼女は祈った。
頭の奥で途切れ途切れの声がした。これは昔の記憶だとジャスティンは気付いた。
『お母様、お父様……』
泣いているのは幼い自分だ。いきなり領地の城から連れ去られ、知らない大人たちの間に放り出されて恐怖と寂しさに震えるばかの。
大きな人影が小さな彼の前に立つ。
『お前の親はな、お前を置いてどっか行っちまったんだ。お前は邪魔だったんだよ』
嘘だと泣いても、いつまでたっても父も母も迎えに来てくれない。幼い子供は信じるしかなかった。そして、彼らに捨てられないよう従った。
何でこんな簡単に奴らの思い通りになったんだとかつての自分を罵っていると、別の声がした。大きな丸眼鏡に三つ編みの不思議な少女が快活に言った。
『幼児誘拐犯は、お前は親に捨てられたと子供に吹き込んで、自分たちに捨てられたら後がない状況を作るんです。子供は自分を守るためにそれが普通なのだと自分を納得させるんですよ。だから、ジャスティン様があの人たちを親だと思ってたのは当然なんです。ご自分を責めないでくださいね』
少年は目を開いた。すばやく周囲を見回し、ここがどこなのかの見当をつける。
「狭いけど、そんなにガタが来てねえってことは、ボロ家じゃなさそうか」
床も壁もしっかりしてそうだと、スラムでの貧乏暮らしを思い出した。育ててくれた恩のあるあの二人はともかく、誘拐犯には怒りしか湧かない。
「ガキだと思って、あんなチンケな嘘で騙しやがって」
彼の腕の中では、妹のエディスが寝息を立てている。その温もりと手応えに少年は力が出てくる気がした。
「まったく、こいつは大物だよ」
自動車で連れ去られ、閉じ込められても怯える風もない伯爵令嬢の寝顔を眺めながら、彼は誓った。
「ぜってー、こっから逃げ出してやるかんな。こちとら誘拐は二度目だ、舐めてんじゃねーぞ」
今回は前とは違う。両親も、大公家の人々や自分を本当の親の元に戻してくれた少女も必ず探してくれているはずだ。
ここは無駄に動き回らず体力を温存しておくかと、ジャスティンは目を閉じ睡眠を取った。