4 あなたならどうすると言われたら腹でも何でもくくるしかない
週末、メロディは自宅で迎えを待っていた。
「外出するのにいちいち付添がいるなんて、不便だなあ」
ぼやきながら居間で待ち時間を持て余していると、向かいのソファで刺繍をしていた母親に叱られた。
「何言っているの、若い娘は世間の噂になりやすいのだから評判に気をつけるのは当然でしょう」
「はーい」
こんな時は、記憶にある異世界の生活が羨ましくなる。あそこで見たドラマに出てくる女性は颯爽と一人で行動し、時には危険にも飛び込んでいた。
――作り物だから盛っているんだろうけど、好きな時に外に出られるのって憧れるなあ。
平民であれば自由度が増すが、それは生活の糧のための労働や危険と引き換えだ。この境遇を有り難く思わねばとメロディは頭を振った。
間もなく執事が来訪者の到着を告げた。彼は珍しく緊張の汗を浮かべていた。
「奥様、お嬢様のお迎えであると、モーリス・アルバート・プランタジネット大公子殿下の馬車が門に…」
刺繍枠を取り落とす母親をよそに、メロディは立ち上がった。
「では、行って参ります」
「え? メロディ、あなた、どうして?」
混乱する母と執事を置き去りにして子爵家の次女は玄関を出た。プランタジネット大公家の紋が描かれた馬車が門の前に停まり、付近の住民が目を丸くしている。心臓に悪い思いをさせてごめんなさいと全方位に心で詫びて、メロディは馬車に乗り込んだ。
「プランタジネット殿下が迎えに来てくださるとは思いませんでした」
「礼には及ばない。僕も一度見学してみたかった場所だからな」
大公の一人息子は今日も薄味気味ではあるが、充分爽やかな貴公子ぶりだった。
大公家の馬車は、ヨーク川沿いの大きな建物の前で停まった。レンガ造りの四階建て。正面玄関前に立番の制服警官が睨みを利かせるそこは、百万都市の治安を担うキャメロット警視庁だった。階段落ち事件を解決したご褒美として、メロディはここの見学を希望したのだ。
感涙状態で彼女は呟いた。
「うわー、スコットランドヤードの趣がありますねえ、行ったことないけど」
怪訝そうなモーリスに笑って誤魔化し、子爵令嬢はうきうきと受付に向かった。
王太子から話は通っているらしく、二人はすぐに総監室に案内された。警視総監は会議中とかで、広報関係の者が彼らのアテンド役のようだった。
「ジャイルズ・ハモンドと申します、プランタジネット殿下、カズンズ様。本日は我がキャメロット警視庁にお越しくださり光栄に存じます」
にこやかな笑顔を貼り付けた若い男性が自己紹介をした。仕事の邪魔にならないように適当に案内しとけと言いつけられたんだろうなと心中を察したメロディは、貧乏くじご苦労様とねぎらいたい気分だった。
「ご見学を希望されているとうかがってりおりますが、騎馬警官部隊でしょうか、それとも…」
モーリスがこっそりと同伴者に尋ねた。
「何を見たい?」
「あ、鑑識課をお願いします!」
メロディの答えは一択だった。ハモンドは虚を突かれたように黙り込んだが、すぐさま笑顔を回復した。
「もしかして、証拠課でしょうか。では、こちらへ」
彼についていきながら子爵令嬢は首をかしげた。
「証拠課……、こっちはそう言う呼び方なのかな。まあいいや、あー、もしかして天賦を生かした生ポジティブ・マッチが見られるかも」
異世界の記憶で最も好きな警察ドラマは『科学警察CSI』シリーズだった。あのオタク主任にも俺様チーフにもトラウマ抱えた元海兵隊員にも二度と会えない寂しさに、しばらくへこんだほどだ。
隣を歩くモーリスが不気味そうな顔をするのにも気付かず、膨れ上がる期待に目を輝かせながら辿り着いたのは地下の薄暗い一角だった。
「ここが証拠課です」
ハモンドがドアを開いた。そこはどう見ても倉庫だった。天井に届くような棚におびただしい箱が積み重なっている。課員と言えば、隅のデスクで暇そうに新聞を読んでいる男だけだ。メロディは思わずハモンドを振り向いた。
「いや、ここって証拠保管倉庫ですよね。その、証拠を分析する課はどこです?」
「分析? 証拠品からの捜査は専門の個有者が行っていますが」
怪訝そうな彼に、尚も子爵令嬢は食い下がった。
「じゃ、その人が指紋照合とかしているのですか」
「指紋照合? 個有者は証拠に触れるだけで現場を再現できますよ」
「…まさか、指紋資料もないなんて言わないですよね」
「現場の証拠物品だけですよ、ここにあるのは」
メロディはよろめいた。慌てて大公子が支える。
「大丈夫か?」
生ける屍状態の彼女を連れて、モーリスはとにかく休める場所に移動した。証拠課の番人役の男が、新聞から目だけをのぞかせて騒動を眺め呟いた。
「やれやれ、はた迷惑なお貴族様だ」
受付ロビーのベンチに座り、渡されたお茶のカップを持つメロディはうつろなままだった。
「何がそんなにショックだったんだ?」
隣に座るモーリスに訊かれ、子爵令嬢はしばらく沈黙した後に据わった目を彼に向けた。
「……全部ですよ。ここにはAFIS(自動指紋照合装置)もCODIS(コディス)もMS(質量分析計)もないんです。そりゃそもそも電気もコンピュータもない世界なんだから無理なことは承知してましたよでも代わりに天賦があるんだから期待するじゃないですか生ポジティブ・マッチが見られるかなーなんてそれが指紋資料もないんですよこんなのありですか個有者なんて世代を経るごとに激減していずれは絶滅危惧種ですよそれにおんぶにだっこの捜査なんて遠からずパンクするのは目に見えてるのに何考えてんですかここの警察庁ってあるかどうかも知らないけど!」
早口で一気に言い切り肩で息をする彼女に、どこで息継ぎしてるんだとモーリスは妙な方向で感心していた。
幾分調子っぱずれな拍手が二人の耳に届いた。その方を見ると、一人の男性が苦笑しながら立っていた。革手袋をはめた手を大げさに広げて笑いかける。
「いや、大した演説でしたよ、お嬢さん。実に耳に痛い」
服装はきちんとしているのにどこか胡散臭い男性に、メロディはあからさまな警戒を含んだ目を向けた。
「…どうも」
「失礼、私はこういう者で」
手渡された名刺は警視庁職員のものだった。
「ネイサン・カーター警部…」
いつの間にか彼らの隣に座った警部は嘆かわしそうに肩をすくめた。
「ま、仲間にはお情け管理職なんて呼ばれてますがね。天賦持ちがごろごろしてる中での平常者は肩身が狭いですよ」
「お情けなんかで上れる階級とは思えないのですが」
メロディが言うと、警部は嬉しそうに笑った。
「出発点はあなた方が行かれた証拠品倉庫からでしたよ。今はマックスの奴が腐ってますが。あ、証拠課のマックス・トービルです。平常者ですが優秀ですよ」
彼は口調を変えた。
「で、先ほどおっしゃったことを詳しく聞かせてもらえますか、何故あなたは聞いたこともないような機械に詳しいのですかね」
メロディは言葉に詰まった。衝動的にぶちまけたことに真剣に突っ込まれるとは思いもしなかったのだ。飄々としたカーター警部は今、有無を言わさない空気を醸し出している。面倒くささ半分で彼女はぶっちゃけることにした。
「笑ってもいいですよ。私、別の世界の記憶があるんです」
そこで見た警察ドラマと科学捜査をできるだけ詳しく説明すると、最初はさすがに呆気にとられていた警部とモーリスが次第に聞き入るようになっていった。
「…で、今日はすごく期待してたんです。天賦がある世界でどんな科学捜査が行われているのかって。それが究極のアナログなのはまあいいとしても、天賦に頼らないデータベースを作る気もないのが衝撃的でちょっと血迷いましたすみません」
頭を下げるメロディを挟んで警部と大公の令息が顔を見合わせた。
「……いや、正直どう言っていいのか…」
海千山千の雰囲気を持つ警部もすぐには言葉が出ないようだった。だが、賞賛に値する速さで彼は立ち直った。
「実はお嬢さんの言っていた指紋については、古くから体系研究をするべきと言う意見が出てたんですよ。ことごとく個有者の実績の前に消されてきましたがね」
「でしょうね。上手くいっているものを根底から覆すのって難しいですから」
「DNAやイオン分析とかいうのは見当も着きませんが指紋は目に見える分、可能性はありますよ」
「…ですね」
じっと手を見てメロディは考えた。自分に出来ること、変えられるかもしれないこと。不意に彼女は立ち上がった。
「決めました。無ければ作ります」
「…何を?」
不安そうにモーリスが確認した。メロディは満面の笑顔で答えた。
「決まってるじゃないですか、CSIですよ!」
ないのなら、作って見せようCSI。
ローディン王国での科学捜査は、この日一人の少女がキャメロット警視庁のロビーで拳を握りながら宣言したことから大転換を迎えるのだった。