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38 湖畔の宿は城かホテルか

 汽車がロッホ・ケアー駅に到着し、ライトル伯爵家と一緒にメロディは一等客室からホームに降りた。

 空は濃く青い夏空だが、グレート・アヴァロン島北部の湖水地帯は標高が高いこともあって爽やかな空気に包まれていた。


 駅からは馬車かと思っていたが、ホームを出た広場に並んでいたのは迎えの自動車の車列だった。

「こんなに沢山導入されていたのか」

 ライトル伯爵が感心したように銀色のボディを眺め、伯爵家の兄妹は大喜びした。メロディはジャスティンやエディスと同じ車に乗り、後部に沢山のトランクが積まれていくのを見た。


「すごーい!」

 小さな伯爵令嬢は興奮で目をキラキラさせている。その兄も運転手のハンドル操作に興味津々だった。

 ――やっぱり自動車はテンション上がるわー。喋ってくれるともっといいけど。

 タイヤは未舗装の路面の凹凸を拾いがちだが、座席のクッションのおかげであまり気にならなかった。

 ウォグホーン城に着いたら、車の運転を教えてもらえるかモーリスに頼んでみようとメロディは考えた。

 ――きっとジャスティン様も習いたがるだろうな。


 自動車は山道にさしかかり、坂を登るうちにロッホ・ケアーを見下ろせる位置に出た。

「わあ…」

 氷河が谷を削って出来た湖は深さがあり、空とは違う青色に染まっていた。風で湖面がさざ波を立てるたびに光が反射する様は見とれるばかりだ。

「何だか色んな伝説がありそうな湖ですね」

 古来から伝えられる妖精や怪物、竜などの話もあるかもしれない。想像しただけでわくわくしてくる。

 ジャスティンの足元にいた小型犬のマディが、飼い主たちの興奮が伝染したように吠えた。



 やがて車列は湖を見下ろすウォグホーン城に到着した。先に来ていた大公一家がわざわざ正面入り口のホールまで出迎えてくれた。

「ようこそ、ウォグホーンへ」

 黒髪のあでやかな大公妃が客人たちに笑顔を見せた。

 ――うっわー、近くで見ると迫力。

 美貌で知られるカイエターナ大公妃にメロディは圧倒された。彼女はライトル伯爵に手を差し伸べた。


「いらしてくれて嬉しいわ」

「お招きいただき感謝しております、妃殿下」

 伯爵が礼儀正しく彼女の手に恭しく接吻し、不思議そうに周囲を見回した。

「その、大公殿下は?」

 彼らが揃って探す視界の端で、何故か大公はトランクを運んでいた。彼の妻が不思議そうに尋ねた。

「何をなさっているの?」

「ああ、何だか成り行きで…」


 軽快な普段着の彼はポーターに間違えられたようだ。大公妃は愁いを帯びた声を出した。

「ああ、可哀想に。みんながあなたを放っておかないのね」

 傍観者は少し違うだろという感想を抱いたが、誰も声にはしなかった。大公妃が笑顔で客人に説明した。

「お気になさらないで。私の愛しい人は気がつけば荷物を運んだりお茶を淹れたり掃除をしていますの」


 ――何で大公が自然に使用人になっているんですか。

 心の中の疑問は叫ぶ先がなかった。本人は平然としており、その地味で印象の薄い顔を豪華すぎる美女がうっとりと見つめている。

 ――モーリス様の日常ってシュールだ。

 そう思いつつ、メロディは伯爵家の兄妹たちと用意された部屋に案内された。



 彼らに割り当てられたのは湖を臨む部屋だった。ジャスティン、エディス、メロディの順に並んでおり、行き来も楽だ。

 湖の眺めは自動車からよりも更に絶景で、バルコニーで何時間でも過ごせそうなほどだ。


 隣の部屋のバルコニーに出ていたエディスが歓声を上げた。

「きれーい! ねえ、メロディお姉ちゃま」

 伯爵令嬢付きのメイドも見とれていた。メロディが隣接するバルコニーで笑っているのに気付くと、彼女は慌てて礼をした。

「申し訳ありません、見苦しい真似を」

「私も同じですよ。さっきまで口開けてましたから」


 けらけらと笑う子爵令嬢につられて、メイドも微笑んだ。

「メロディ・カズンズです。ジャスティン様とエディス様の遊び相手ですので、よろしく」

「エイダです。何でもお申し付けください」

「頼りにしてるわね、エイダ」

 自己紹介していると、メロディの部屋のドアがノックされた。この部屋担当のメイドがやってきたようだ。

 旅行着から着替えて、彼女は部屋で休息することにした。



 日が暮れ、シャンデリアが点灯されたウォグホーン城の晩餐室は、ダンスが出来そうな広さだった。

 大公夫妻、伯爵夫妻に続いてメロディは夕方到着したモーリスにエスコートされて部屋に入った。ジャスティンは小さなエディスにちゃんと腕を貸している。 


 晩餐の礼儀正しい会話の中で、モーリスが小声で子爵令嬢に告げた。

「手紙を受け取った。スケッチも含めて父上に報告したよ」

「次の標的はネズミの人なのでしょうか」

「あの人形からして間違いはなさそうだ。父上は、富裕層の平民か貴族階級であればこの湖水地方に避暑に来ている可能性もあるという意見だ」

「平民でもこの一帯に来るのですか?」


 高位貴族御用達避暑地というイメージだったメロディは驚いた。

「湖畔に新しく出来たカジノのおかげで、中産階級が併設のホテルに大挙して宿泊するようになったらしい」

「はあ、それなら別荘がなくても滞在できますね」

 ――湖のこっちとあっちで階級闘争とか起きないといいけど。

 プチ・ラスベガスというところかと解釈し、メロディは隣で真剣にカトラリーを扱うジャスティン少年をちらりと見た。


 まだぎこちなさが抜けていないが、彼なりに必死でマナーを習得しているのが分かる様子だった。

 ――多分、エディス様に恥をかかせないためかな。いいお兄ちゃんだなあ。

 そして、ここに来る時に思いついたことを大公の一人息子に頼んでみた。

「モーリス様、ジャスティン様と私、自動車の運転を習いたいのですけど」

 数度瞬きし、モーリスは頷いた。

「それは面白そうだな。僕も含めて教われるように掛け合ってみよう」

「ありがとうございます。ジャスティン様、自動車を動かせますよ」

「本当?」


 思わず声を上げてしまい、ジャスティンは慌てて両親を見た。伯爵夫妻が微笑んでいるのに安堵し、こっそりとモーリスに礼を言う。

「ありがと、兄ちゃん」

「えー、エディスもー」

 駄々をこねる妹に、彼は優しく言い聞かせた。

「ペダルに足が届かないと危ないから、もう少し大きくなったら俺が教えるよ」

「約束よ、お兄様」

 途端に機嫌を直すのに、相変わらず天使のようだとメロディは顔がほころんだ。



 晩餐の後、伯爵家の兄妹は部屋に下がり、他の人々は談話室に移った。

 大公夫妻と伯爵夫妻が語り合う中、テラスに出たモーリスとメロディはあまり他に聞かれたくない事を話した。

「ハミルトン侯爵の弟に関して調査してみた」

 例の大山羊かもしれない人物だ。メロディは緊張しながら頷いた。

「腹違いと言うことだが、母親は平民の中産階級で侯爵邸には迎えられていない。養育費のみで繋がっている間柄のようだ」

「一族のはみ出し者という奴ですか」

「例の大山羊の杖は侯爵家に伝わる物だが数年前から消えてしまったらしい。侯爵は遊ぶ金に困った弟がくすねて売り払ったと考えているようだ」

「それを堂々と使っているんですね」


 庶子として冷遇されてきたのなら、意趣返しでもあるのだろうか。いかがわしい集会に出て騒ぎを起こしたのも。

「色々と屈折してそうですね。本人の写真とかありますか?」

「今探してもらっている」

「大山羊もですけど、次回被害者予定のネズミをどうやって探せばいいのか…」


 二人はテラスから夜のロッホ・ケアーを眺めた。二つの月が映る湖水は幻想的と言えた。対岸にあるやたらと派手な照明がなければだが。

 ――高位貴族なら大公殿下が探し出してくれるだろうけど、下位貴族や平民なら……。

 メロディは考えた後にモーリスを振り向いた。

「乗り込んでみますか、向こう側に」

「言うと思ったよ」

 半ば覚悟していたような顔で、彼は渋々同意した。


 やがてそれぞれの部屋に戻る時刻になり、伯爵夫妻とメロディは大公夫妻に礼を述べた。

「楽しい夜でした」

 カイエターナ大公妃は満足げに頷き、息子の脇腹を肘でつついた。

「彼女のドレスと髪をちゃんと褒めたの?」

「…あ、いえ、別の用事が……」


 モーリスの不甲斐ない返事に大公妃は嘆かわしそうに額を押さえた。改めて彼は子爵令嬢に目をやった。今夜の彼女はいつもの偏光グラス入り眼鏡をかけておらず、栗色の癖毛はメイドたちが整えたものだった。青と茶色に色別れした虹彩に、湖を思わせる深い青色のドレスがよく映えている。

 言葉を探す彼より先に、母親が感嘆した声を出した。

「何て神秘的で美しい瞳なの。眼鏡で隠してしまうなど勿体ないこと」

「ありがとうございます。地方の古い方にはあまり受けが良くないもので」


 以前、幼い頃に領地でちょっとしたトラブルを引き起こしてから、ダイクロイックアイを隠す眼鏡は必需品になってしまった。

 大公妃は見下げたように断言した。

「美を解さない者など放っておけばいいのよ。そう思わない、モーリス」

 強制的に話題を振られた息子は、気の毒そうな視線を浴びながら言った。

「視力に問題なければ不要だと思う。…その、よく似合っているから」


 母親に足を踏まれながら、モーリスはどうにか賛辞の言葉を絞り出した。

「なら、この城では外すようにします」

 笑顔でそう答え、メロディは辞去した。

 ――大公妃様は美意識が高いのに、男の人の趣味はあの大公殿下なんだ……。

 男女の機微は難しいと子爵令嬢は実感した。

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