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36 薔薇と涙と指紋と血痕(涙しか合ってない)

 翌朝、カズンズ子爵家は混乱のさなかにあった。

 いつも元気なメロディが妙におとなしく帰ってきたと思えば、部屋に閉じこもって泣いているとメイドに聞かされ、子爵夫妻は眠れぬほど気を揉んだ。


 そして翌朝はいきなりの大物の訪問だ。

「突然押しかけてしまい、申し訳ありません」

 現国王の甥であり、王国唯一の大公家の一人息子であるモーリス・プランタジネットが礼儀正しく詫びた。

「昨日、カズンズ嬢が落ち込んでいた様子なので、気になりまして」

「まあ、それでわざわざ殿下がお越しくださったのですか」


 恐縮しきりの子爵夫人は急いでメイドに娘の支度をさせるよう言いつけた。

 しばらくして客間にやってきたメロディは、泣き明かして腫れぼったい眼をしていた。

「ご機嫌よう、モーリス様。朝からブス顔ですみません」

「…いや、大丈夫なのか?」

「まあ、たっぷり十年分くらいは大泣きしましたから」


 瞼が赤く腫れた子爵令嬢の目は細く、別人のようになっていた。それでも眼鏡をしてないため露わになっているダイクロイックアイに、モーリスはしばらく見とれた。

「モーリス様?」

「あ、いや…、これをお見舞いに」

 彼は用意した大輪のバラの花束を手渡した。メロディは腫れた目を精一杯見開いてそれを受け取った。

「ありがとうございます。綺麗ですね」

「手ぶらで訪問などしたら、母上に殺されるからな」


 彼は昨日の大公家を思い出した。両親に予期せぬトラブルを報告すると、カイエターナ大公妃は激怒した。放っておけば警視庁に怒鳴り込みかねない妻を上手く宥めたジョン大公は、いつもの読めない表情で書斎にこもった。

「この件に関しては父上もご存じだ。何らかの手を打ってくれると思うが」

 モーリスの言葉にメロディは首を振った。

「大公殿下のご威光でも、状況は良くなりませんよ。かえって反発を引き起こしかねません」

「……そうだな」


 昨日の刑事の反応を思い出すまでもない。個有者(タラント)は稀少であり少数派だ。平常者(ナチュラル)に認めさせる最適のものは実績だ。

「といっても、どうすればいいかなんて全然分からなくて悔し泣きしました。今は警視庁から離れるしかないって理解はしても、やっぱり指紋と足跡と血痕が恋しくて…」

「そうか…」


 同じ個有者(タラント)同士でも分かち合えない心境だが、メロディが昨日よりは元気を取り戻しているのがモーリスには嬉しかった。窓の外に目をやり、彼は提案した。

「散歩に行かないか? ライトル伯の兄妹にも会えるし」

「そうですね。支度します」

 メロディはまず抱えたバラの花束のためにメイドを呼んだ。

「一番いい花瓶に入れて、一番綺麗に見える所に飾ってね」

 泣きはらした目でも笑顔で花束を抱える彼女は、大公の子息には充分可憐に映った。




「どうしたんだよ、姉ちゃん。すっげー顔になってるけど」

 ジャスティン・ライトルの歯に衣着せない感想に、メロディは苦笑いするしかなかった。

「あー、ちょっと警視庁で揉めちゃって…」

 仕方なく昨日の出来事を話すと、少年は憤慨した。

「はあ? 何だよ、それ。その刑事が自分のヘマを姉ちゃんになすりつけただけだろ。兄ちゃんも何やってたんだよ」

「面目ない」


 モーリスは素直に少年に謝り、メロティは慌てた。

「あの時は何か言える雰囲気じゃなくて。どんなに弁解しても悪く取られそうだったし」

「はー、これだからサツは嫌いなんだよ」

 スラム時代に散々目の敵にされてきた事を思い出し、ジャスティンが吐き捨てた。

「エディスもサツ嫌ーい!」

 彼の隣で幼い妹が真似をする。メロディは伯爵令嬢の語彙力に不安を覚えながらも少年に謝った。

「せっかく伯爵家の護衛の方がカメラマンを確保してくださったのに申し訳ないです」

「ああ、あのおっさんたちね」


 ジャスティンが頭を掻いた。

「うちの親が誘拐にすっげー過敏になってて、どこに行くにも護衛引きつれなきゃなんなくて」

「それは仕方ないですよ。ジャスティン様が掠われてから見つかるまで、本当なら成長を見守りながら暮らしていたはずの時間を奪われたんですから」

「…うん、分かってるんだけど」

 彼にも色々思うところがあるらしかった。そして、少年は妹を指さし得意げに語った。

「だから、こいつには変な奴に捕まった時の逃げ方教えてあるんだ。まだちっちゃいからまともな反撃できねえけど、基本は噛む、踏む、蹴るで」

「エディス、出来るよ!」


 小さな伯爵令嬢は、兄に教わった基本動作を忠実に再現した。子爵令嬢と大公の令息は感想の言葉を必死で探した。

「…た、確かに油断した相手には有効かも。ね、モーリス様」

「あ、ああ。こんな可愛いご令嬢が実力行使に及ぶなど想像もしないだろうし」

「勝負は先手必勝だぜ、兄ちゃん」

 何故か凄むジャスティンに、モーリスはかくかくと頷いた。


 多少問題はあるが仲のよい兄妹は、小さな犬を交えて遊び始めた。それを眺め、メロディは呟いた。

「私、科学捜査にこだわりすぎて肝心なことを忘れていた気がします」

「肝心なこと?」

 突然の独白にモーリスは戸惑いつつも、彼女の言葉を傾聴した。

「ドラマで見た刑事たちがあんなに頑張ってたのは被害者のため、悲しむその家族のためだったんです。指紋や足跡や血痕の分析はそのための手段で」

 ヨーク川からの風が、三つ編みをしていない栗色のくせ毛を揺らめかせる。いつもの丸眼鏡の奥の目はまだ赤かったが、好奇心に輝く様は変わっていなかった。


 メロディは隣に立つモーリスに顔を向けた。

「昨日さんざん泣いた後に気がつきました。被害者のことをちゃんと考えてたのかって。猛省して師匠がくれた資料を読み直してたら徹夜しちゃいました」

 腫れた目はそのためもあったのかとモーリスは小さく笑った。

「何か発見はあったのか?」

 子爵令嬢は頷いた。

「ネイチャー&ワイルド会員の連続殺人は、ビル・サイアーズ氏から始まりましたが、この人だけが異質なんです」


 指摘を受けて、モーリスも思い返した。そして彼はあることに気づいた。

「予告がなかった」

 メロディは頷いた。

「街娼のドリーもダンサーのポーラも事前に殺害法を示唆する人形が渡されたり贈られたりしましたよね。でもサイアーズ氏は何もなかった」

「彼は毒殺だ。死体損壊もない」

「連続殺人犯ががらりと殺害方法を変えるのは珍しいです。ほとんどは手段が過激になるか、慣れが油断させて雑になるかです。ドリーとポーラはかなり乱暴に拉致されて即刺殺されているのに、サイアーズ氏は毛皮に塗った毒薬を舐めて数時間後に死亡した」

「手段を変えなければならない理由があったのか…」

「あるいは犯人が別人なのか。まあ、このくらいのことは警視庁でも検討されているでしょうけど」


 メロディの推測は確信に近かった。いくらドッド警部が親切でも、部外秘の資料を流出させるとは思えない。おそらく、今回の事件のヒントをまとめて独自に捜査できるようにしてくれたのだろう。

 考えこんでいたモーリスがぽつりと言った。

「これは、単独の犯行が偶然重なったのだろうか。それとも、どちらかが片方を利用した結果だろうか」


 メロディは目を瞠り、そして頷いた。

「それによって変わってきますね。ネイチャー&ワイルド会員が殺人の標的を集めたものなのか、たまたまその中に犯人の殺害衝動を引き起こす者が混じっていたのか」

 関連性が明確なのは特徴的な死体損壊のある二人の女性。豊満な街娼としなやかな肢体のダンサー。

「女性を対象とした連続殺人の場合、共通の特徴のある者を狙うことが多いのですが。ドリーとポーラの何が犯人の標的になったのでしょうか」


 さすがにすぐには答えが出るものではなかった。晴れ渡った夏空を見上げ、モーリスが言った。

「おそらく、父上がこの事件の調査を命じておられるだろう」

「大公殿下の情報部ですか。それだと調査結果は内務省直通でしょうね」

 一介の学生などには閲覧させて貰えないだろうとメロディは落胆する思いだった。

 持ってきていた資料を見ながら、まだネイチャー&ワイルド会員のネズミと大山羊が誰なのかも判明していないことに溜め息が出そうだ。


 その時、一陣の風に資料の紙が散らばった。慌ててメロディとモーリスは紙をかき集めた。ジャスティンとエディスのライトル兄妹も手伝ってくれた。

「はい」

 エディスが拾い上げた紙を手渡し、中に書かれていた絵を見て歓声を上げた。

「この山羊知ってる!」

「え?」


 そこに描かれていたのはサイアーズ氏の葬儀に参列していた人物の杖に彫られた大山羊のスケッチだった。半信半疑でメロディは小さな伯爵令嬢に尋ねた。

「どこでご覧になったのですか?」

「お父様の書斎の写真!」

 まさかネイチャー&ワイルドとライトル伯爵家に関連があるなどと考えもしなかった二人は絶句した。

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