35 私は泣いていますが、何か?
新聞社の周囲に張り込んでいた刑事たちが一斉にメロディとモーリスを取り囲んだ。いずれも天賦を持たない平常者で、非常事態に剣呑な表情を浮かべている。
「何者だ?」
詰問されたモーリスは、年齢に似合わぬ落ち着いた声で答えた。
「モーリス・アルバート・プランタジネット。ここに来ることはキャメロット警視庁のドッド警部に申告している」
「大公殿下の…」
相手が王族と分かり、さすがの猛者どもも勢いを削がれたようだ。メロディは慌てて彼らにカメラマンの鞄を渡した。
「この持ち主はどこに行ったんですか? 私たち、車の事故に気を取られた隙に見失ってしまって」
「我々も事故車の救出に人員を割かれて監視が緩んでしまった」
刑事が悔しそうに言い、二人は破損した車の運転手に目をやった。事故の状況を聞こうとメロディは歩き出し、モーリスは地面に落ちたカードを刑事に示した。
「あれも証拠なのだが、僕たちには触れないんだ」
「確か、警視庁で発光現象が起きたって…」
刑事の一人が思い出したように言い、モーリスは頷いた。子爵令嬢の後を追う彼の耳に、非友好的な視線を向けていた刑事が吐き捨てる言葉が聞こえた。
「個有者様はゴミ拾いまでさせるのかよ」
反論したい衝動を堪え、彼は事故現場に向かった。
野次馬が群がる現場では、運転手がキレ気味に無実を主張していた。
「だから、変なのが光ったんだよ! どっかのバカが花火か鏡で悪さでもしたんだろ。こっちは被害者なんだよ!」
「これだけ目撃者がいて、誰もそんな物は見てないぞ」
聴取する制服警官は疑わしげだった。運転手はますますわめき立てた。
「本当だ! 目の前が一瞬真っ白になったんだ!」
彼の抗弁に意外な者が味方した。
「車の中が光ったのは見たぞ。近くの馬車の馬が驚いて暴れてた」
それは張り込みをしていた刑事だった。モーリスと顔を見合わせるメロディは、突然彼に指さされた。
「そこの女がロビーで見せたのと同じだった」
「……え?」
予想外の糾弾にメロディは目を瞠った。彼女の隣に立つモーリスがきっぱりと否定する。
「彼女が天賦を発動したなら、近くにいた僕が気付かないはずがない」
「個有者同士のかばい合いなんか信じられるかよ、重大犯罪課に恩を売ったのも自作自演じゃねえのか?」
「そんな…」
さすがに黙っていられず、メロディは彼に説明しようとした。
「あのカードは天賦の逓減を誘発する仕掛けがあって、被害者もいるんですよ」
「だから俺らを顎で使って当たり前だってか?」
激昂した刑事がメロディの腕を掴もうとした。モーリスが彼女の前に立ち塞がり、低く言い渡した。
「乱暴はよせ。まだ何もわかっていないのに」
異様な事態に他の刑事たちも仲間を止めに掛かり、収拾が付かなくなりそうだった。
「何をやっている」
呆れた声が彼らを制止した。刑事課のカーター警部が苦い顔で立っていた。
「警部…」
「少し頭を冷やせ。一般人に因縁着けているようにしか見えんぞ」
警部は部下たちを引きつれてその場を去った。メロディたちを確かに見たのに、視線を合わせようともしないままだった。
警視庁の文書庫に来たメロディの気分は最悪だった。
「どうしたんだ、いつも元気なお嬢さんが」
老警部が心配そうにモーリスに尋ねた。彼は手短に新聞社前での出来事を話した。
「そりゃ面倒になったな」
考え込む彼にメロディが言った。
「師匠、重大犯罪課と刑事課の反目は酷いんですか?」
「反目というか、ギャレットたち天賦持ちはマイペースな上に平常者の反応を気に掛けないからな。こっちとしては馬鹿にされた気分になるんだよ」
長年のすれ違いが気づけば大きな亀裂に成長したようだ。メロディとしては頭を抱えたい気分だ。
「科学捜査は天賦関係ないし、みんなに習得してほしいのに」
そして、何より気掛かりなことを訊いた。
「あのカメラマンの消息は分かったのでしょうか」
「ああ、ケネス・ダンか。あの状況じゃ拉致の可能性が高いだろうな」
商売道具を放り出して自発的に姿を消すとは考えられない。メロディは現場を思い出しながら語った。
「乱闘の後も血痕もありませんでした。何もかもあっという間で…、防犯カメラがあれば……」
彼らが考えこんでいると文書庫に馴染みの顔がやってきた。地下の証拠保管室係兼文書庫助っ人のトービルだ。
「すいません警部、これを渡すように言われて…」
彼が差し出すメモを見て、老警部は唸り声を上げた。モーリスが彼に問いかけた。
「何かあったのですか」
「監察官室から、無闇に部外者を出入りさせるなとお達しだ。ご丁寧に警察長の認可を受けてるとさ」
二人は最初意味が分からなかった。突っ立ったままのメロディに、警部が金属ケースを渡した。彼女の出張CSIセットが入った箱だ。
「時間が経てば落ち着くだろうから、しばらくは来ない方がいい」
「…それって、私がウロウロしてたら個有者と平常者との軋轢を煽るってことですか」
「奴らは最初からいい顔してなかったからな。これ幸いと名目にしただけだ」
「そんな、酷いですよ警部。知恵だけ借りて追い出すなんて」
トービルが憤慨した。気掛かりそうにこちらを見るモーリスに、メロディは何とか笑って見せた。
「仕方ないですね、やらなかったことの証明なんて難しいし…」
あの刑事の怒りと嫌悪の混じる顔が浮かんだ。あれを重大捜査課の捜査官たちに向けられる事態は避けなければ、警視庁が分裂してしまう。メロディは警部に深々と頭を下げた。
「お世話になりました、師匠」
「あまり気に病むなよ、お嬢さん」
「きっと上も考えを変えますって」
ドッド警部とトービルが慰めてくれるのがせめてもの救いだった。
通い慣れた文書庫を出てロビーに行くと、監察官室の職員がこちらを見てにやにやと笑っていた。重大犯罪課のディクソンが何か言いたげにしていたが、ぺこりと頭を下げただけで彼女は出て行こうとした。
入れ替わりに刑事たちが戻ってきた。あの刑事が忌々しげにこちらを睨む。一緒にいたカーター警部は二人には目もくれなかった。
メロディとモーリスは警視庁の建物から馬車に移動した。
カズンズ子爵邸に到着するまで、子爵令嬢は一言も話さなかった。短く礼を言って馬車を降りる姿に拒絶を感じ、モーリスも声をかけられないままだった。
帰宅し、部屋で着替えたメロディは呆けたように椅子に座り込んだ。室内を見回すと持ち帰った金属ケースが目に付いた。
「……片付けなきゃ」
中身を確認すると、指紋採取セットなどに混じって見慣れない物があった。
「これ…、指ゼラに足ゼラ。それに連続殺人事件のメモ……。師匠、太っ腹だなあ」
メロディは笑った。そのはずだった。なのに手に落ちてくるのは水滴だった。
「……ふっ…」
自覚した涙がとめどなく溢れる。止める術もないまま、メロディは泣き続けた。憧れた場所に二度と戻れないかもしれない。せっかく知り合えた人たちとの接点が消えてしまうかも知れない。
その寂しさが全身を揺さぶるように涙を誘った。何より自分自身が捜査に支障を来してしまう可能性が恐ろしく、誤解を解けないまま逃げ出さなければならなかったのが悔しかった。
平常者の刑事たちの反感に満ちた視線、監察官のしたり顔、素知らぬ顔で通り過ぎていったカーター警部。それらに傷ついたことが今さらのように分かった。
――……頑張ったんだけどなあ…。
どうすれば良かったのか、何が悪かったのか、考えても思考は混迷するだけだった。
ハンカチを五枚ぐちゃぐちゃにした後でベッドに横になり、メロディは目を擦った。
ぼんやりと思い出すのは異世界のドラマの刑事たちだ。時に理不尽な圧力を受け、上層部の思惑に振り回され、真実の追究を阻まれながら立ち上がっていった彼らを。
――みんな、どうやって立ち直ったんだっけ……。
目を閉じるとCSIの捜査官たちが鮮やかに浮かぶ。何度も証拠を精査し、隠された事実をその中から見つけ出す姿。せっかく発見した証拠を裁判で使えなくなっても、別の角度から事件を見直し逆転勝利に繋げる姿。
架空の物語でも、異世界の自分には生きる勇気を与えてくれる宝物だった。犠牲者のために、悲しむ家族のために、事件の解決に突き進む展開は何度見ても胸が熱くなった。
大好きなセリフが思い起こされた。権力を駆使して逮捕を逃れようとする犯人に向かって、CSIチーフが挑戦状のように宣言した言葉。
『我々CSIは決して、そう、決して諦めない』
「……諦めない」
掠れた声が記憶のセリフに重なった。
今はみっともなく泣くしかなくても、捜査に協力する資格すらなくても、諦めることなど出来ない。異世界の自分が、現実世界での自分が、こんなにも求め努力してきたことが無駄だなどと誰にも言わせない。
まだ涙が止まらず鼻水をすする惨状で、メロディは決意した。
「…絶対、明日は元気になる。それが取り柄だもん」
日が暮れていく中、鑑識セットを詰め込んだ金属ケースが部屋の隅で鈍く光った。