3 昔の名前で出ていますので気づけや、ゴラ!
子爵令嬢メロディ・カズンズは小さく頷いた。そして、この状況を理解できていないモーリス・プランタジネットの袖を引っ張った。
「彼女以外の方たちを下がらせてください」
「しかし…」
「異常はありませんよ。ただ、ガラスが降ってくると錯覚されただけで」
意味が分からないまま、モーリスは学園の警備員にパニックを起こした女子生徒の群れを誘導させた。
無関係の生徒が去った後、心細そうな女子生徒の前にメロディは歩み寄った。
「さて、身分確認は後にして本題にいきましょう。一昨日この場所でフィリップスさんを階段から突き落とし、マールバラ様に濡れ衣を着せようとしましたね」
「そんなっ」
女子生徒はぷるぷると小動物のように首を振った。
「ここに呼ばれた時点で気付いてましたね、偽装工作がバレたと」
メロディはゆっくりと女子生徒の周囲を円を描くように歩いた。どこか、獲物を追いつめる肉食獣のようだった。
女子生徒は彼女の動きをちらちらと気にしながら必死で否定した。
「偽装工作って、何?」
「うーん、七十点ですね。フィリップスさんなら、そこで瞳を潤ませて顎を小さく震わせるあざとさを発揮しますよ」
一瞬、女子生徒の周囲に火花が走ったように見えた。思い通りの反応にメロディは楽しそうだった。
「そんな風に緊張しすぎたんですよ。光学系の天賦は繊細なコントロールが命なのに、完璧にマールバラ様のプラチナブロンドを再現しすぎた。それで、プランタジネット殿下にお願いして同じ状況を再現してもらいました。フィリップスさんを突き飛ばして逃げた時を」
女子生徒の顔が目に見えてこわばった。
「私が見たかったのは、夕日で変化する髪色ではありません。極限の緊張状態で、無意識に保身のため光学系の天賦を発動させる瞬間ですよ」
それを確認するためメロディは階段下から観察していた。天賦の発動による微細な空気の揺らぎを。認められたのは彼女ただ一人だった。
「あなたの周りにも見えるでしょう、窓からの光にキラキラしている埃が。これを増幅乱反射させてガラスが降ってくるかのように錯覚させました。光学系天賦を発動中の者にだけ見えないレベルで」
女子生徒は俯いた。もはや何の言い訳も出てこないのを確認し、眼鏡をかけ直すとメロディは手を打ち鳴らした。
「そういうわけです殿下、マールバラ様、フィリップスさん」
三角関係トリオが微妙な間隔を開けてやってきた。王太子の従兄弟にあたるモーリスはうんざりとした顔を隠そうとしなかった。
「どこに隠れてたんだ、ジュリアス」
「べ、別に隠れていた訳では…、そこの彼女に呼ぶまで出てくるなと言われただけだ」
「まったく、貴族令嬢と思えない礼儀ですこと」
「私があざといなんてひどいっ」
彼の背後でジョセフィン・マールバラ公爵令嬢が嘆き、メアリ・アン・フィリップスは今日も被害妄想全開だった。
呆然としていた亜麻色の髪の女子生徒が、ジュリアス王太子を見るなり豹変した。
「殿下! お会いしたかったです!」
駆け寄ろうとする彼女の前にメロディが立ちはだかった。
「ああ、すみません。まだお名前を伺ってませんでしたね」
「カミラよ、カミラ・ヒューリック。覚えてますよね殿下、あなたのカミラです!」
「え? ああ、そうだったかな…」
引き気味に王太子は誤魔化し、メアリ・アンがわっと泣き出した。
「ひどい! いつのまに二股なんて!」
「あなた、さりげなく私を員数外にしましたわね!」
平民娘に噛みついた後、公爵令嬢は後方に控えるメイド兼護衛に尋ねた。
「この子に見覚えは?」
「はい、『第一学年時の霜月三週目の女』です、お嬢様。ただ、現在は母親の再婚によりホーンズ姓のはずですが」
正確この上ない報告をカミラが訂正した。
「学園では以前のヒューリック姓で通すようお願いしたのよ。殿下がいつ気がついてくださっても思い出せるように」
「わー、重ーい」
メロディが棒読みで感動した。カミラは身をくねらせながら王太子ににじり寄った。
「一日たりとも忘れたことはありません、殿下。初めて会った日の午後三時に『綺麗な髪だね』と言ってくださったこと、次の日の午前十時に『また会えるかな』と手を握ってくださったこと、その次の日の…」
「うん、分かった、思い出した、だから何も言わなくていいから!」
ジュリアスは涙目で彼女の肩を掴んだ。うっとりするカミラにメアリ・アンがくってかかり、公爵令嬢が夜叉の形相で冷静に抗議するプチ地獄絵図に、メロディとモーリスの二人はひたすら帰りたいという顔を見合わせた。
結局、後のことは加害者と被害者の話し合いに任せ、子爵令嬢と大公の子息は一緒に学園を出た。
「……疲れた」
眼鏡をずり上げて目頭を揉むメロディに、モーリスが尋ねた。
「君が個有者だとはね。光学系『視覚調整者』なのか?」
「一応その系統です。この目と関係があるみたいですけど」
眼鏡を外した時の青と茶色の二色に塗り分けられた虹彩を思い出し、モーリスは頷いた。
「ダイクロイックアイは初めて見たよ。…ああ、失礼」
「いいですよ、珍しいのは確かですから」
「その眼鏡は偏光性能が?」
丸眼鏡の位置を直してメロディは頷いた。
「視力は正常なんですけど、見た人は驚くし気持ち悪いと思われることもあるので。……しかし、ヒューリックさんはどうなるんでしょうか」
「やったことだけ見れば、ミス・フィリップスへの傷害未遂の上にレディ・ジョセフィンへの冤罪まであるから、計画的とみなされるだろうな。ただし」
いつの間にか日が暮れ紺色に変わった空を見上げ、彼は情けなさそうに続けた。
「ジュリアスの素行を鑑みると情状酌量の余地はありそうだが」
「一体、何股やらかしてたんですか、あのオットセイ殿下は」
「一応ハーレムではなくチェーンリアクション型だが。女性を見ると愛想を振りまく義務があるとでも思っているらしい」
「余計たちが悪いですよ、誤解した女の子を増殖させるだけでしょ」
「レディ・ジョセフィンが忍耐強いのが救いだが、あれが続けば婚約もどうなるか…」
「フィリップスさんは身分こそ平民ですけど、その実大銀行家のお嬢様ですからねえ。うちみたいな吹けば飛ぶような下っ端貴族よりよっぽど豪勢な生活してますよ」
疲れた笑い声をたてた後、モーリスは気にかかっていたことを質問した。
「ジュリアスが事件解決の褒美を約束したようだが、何か決めていることはあるのか?」
今回の殊勲者である子爵令嬢に、王太子は報酬を確約していた。メロディの瞳が突然爛々と輝いた。
「はいっ、社会見学を申し込んでおります!」
いきなり話題に食いつく彼女に、王太子の従兄弟は反射的に頷いた。
「……元気だな」
「それが取り柄ですから!」
彼に別れを告げると、メロディは意気揚々と帰宅した。
首都キャメロットの閑静な住宅街にカズンズ子爵家はあった。現在ここに住んでいるのは法務省官僚をしている父ジョージと母マイラ。年の離れた姉ベサニーは結婚してささやかな領地に住んでいる。
自室で着替え、ベッドに横になったメロディは天井を見上げながら慌ただしかった数日間を思った。
彼女にある異世界の記憶はかなり偏っている。浴びるほど見ていたミステリー系ドラマが容量のほとんどを占めているのだ。
気がつけばメロディは呟いていた。
「キング・ストリートとアーサー・ストリートが交差する場所に建つ分署を、人は『キャメロット』と呼んだ……。あのシリーズももう一度見たかったなー」
脳内でしかたどれない名作を思うと残念だが、今はそれより王太子殿下にもらう「ご褒美」への期待に転げ回りたいくらいだ。
「夢だったもんね。この世界の科学捜査を見学できるのが」
うろ覚えなオープニングテーマを口ずさみながら、子爵令嬢は約束の日を夢見た。