27 何歩下がろうと前進は前進
翌日、モーリス・プランタジネットは両親から盛大なエールを送られながら出発した。
「うん、まあ、仲直りできると良いね」
「いいこと? 何を差し置いても言いすぎたことを謝罪するのよ」
御者と護衛は無表情の中にも気の毒そうな思いが漏れていた。モーリスはあえて受け入れた。
さすがに子爵家まで迎えに行くのはためらわれ、警視庁で合流しようと使いを出しておいた。ドッド警部にも連絡済みだ。
警視庁の文書庫に行くと、警部一人だった。安堵するような気が抜けるような思いでモーリスは彼に先日の騒ぎを詫びた。
「忙しい中騒ぎ立てて申し訳ない」
「いやいや、お嬢さんも反省しとるだろ」
「ならいいのですが」
そこに、トービルに案内されたメロディが現れた。彼女の目が赤いのを見て、モーリスは内心焦った。
何と声をかければ良いのか迷ううち、先に子爵令嬢が勢いよく頭を下げた。
「申し訳ありません! 昨日は大失態をしでかしました!」
「……あ、いや…」
言葉が見つからないモーリスとほとんど前屈状態のメロディを前にして、ドッド警部が声を上げて笑った。
「まあまあ、お嬢さん。殿下もいいでしょう、手打ちにしましょうや」
感涙の表情でメロディは警部の手を取った。
「ありがとうございます! 師匠!!」
「儂らの仕事に敬意を持ってくれさえすればいい事よ」
「はいっ! 不肖メロディ・カズンズ、誠心誠意警視庁に尽くす所存であります!」
直立不動で宣言する彼女に、モーリスはようやく声を絞り出した。
「……元気だな」
「それが取り柄ですから! あ、ちなみに座右の銘は『生きてりゃ何とかなる』です!」
警部はまたしても笑い出し、モーリスもつられていた。
謝罪大会が終わると、すっかり雑用係のトービルがお茶を持ってきてくれた。ひと息ついた後でメロディがショルダーバッグから紙束を取り出した。
「これ、昨日思い出せる限りまとめてみたんです」
表紙のタイトルに警部たちは怪訝そうな声を出した。
「切り裂きジャック?」
心当たりがあるモーリスが尋ねた。
「もしかして、異世界で起きた事件か?」
メロディは頷いた。
「はい、これは実際に起きた事件で未解決に終わっています。スラム街の街娼が立て続けに殺害され、町を恐怖に陥れました。殺害方法に特徴があり、犯人像は医術の心得がある者と思われていました」
「街娼を狙い腹部切開に内臓を持ち去る……」
「警部、これ、まんまじゃないですか」
驚くトービルと対照的に老警部は沈黙した。
「あんたの記憶じゃ、こいつは段々凶悪度を増してるようだが」
「そうです。快楽殺人犯の特徴は妄想に支配されていること。殺しで得られる快楽を想像し、それに飽き足らず実行する。でも、妄想以上の快楽が得られずに繰り返すんです。満足できるまで」
冷たい空気が文書庫に流れた。警部はどこか得心したように頷いた。
「これまで色んな奴を見てきたよ。イカれたのも多かったが、中に何人か、どうしても理解できない奴がいた。同じ人間とは思えない精神構造の奴がな。お嬢さんの説なら納得できる」
「そ、そんな怪物みたいなのが何人もいるんですか」
「怪物を抑えきれなくなった奴だよ、表面に出てくるのは」
メロディは頷き、彼らに説明した。
「こうした犯罪者の心理を体系的にして犯行の予測や犯人像の割り出しをする技術をプロファイリングと言います。多くの犯罪者への聞き取りや過去の犯罪分析から生み出された捜査手法なんです」
「予測…ですか」
疑わしげなトービルに、メロディは代表的な事例を出した。
「異世界で、美人女子学生を狙う連続殺人犯がいました。被害者はいずれも裕福で高学歴。犯人は貧困層で日頃から高圧的な母親に支配され、母親は彼に言い続けました。被害者のような女性はお前には手の届かない高嶺の花だと。最終的に犯人は切断した被害者の首を母親の部屋のすぐ外に埋めました。母親に顔を向けるように。手の届かない者を支配したことを示すために」
トービルは倒れそうな顔色になり、ドッド警部とモーリスは難しい顔をしながら頷いた。
「つまり、被害者に共通点が多いほど犯人像に近づけると言うことか」
メロディに顔を向け、モーリスが発言した。彼女は肯定した。
「今のところ、被害者は猫と街娼とぬいぐるみですけど」
「これで重大犯罪課が動くかね。客と揉めて殺された街娼なんて掃いて捨てるほどいるんだし」
警部は悲観的だったが、モーリスとメロディが帰ろうとした時に答えが分かった。
苦虫を噛みつぶしたような表情の重大犯罪課の個有者たちが捜査に出ようとしていたのだ。
「よお、ラルフ。もしかしてガズデン通りの殺しか?」
ドッド警部が気安く声をかけると、白髪赤眼の捜査官が軽く会釈した。
「警察長から捜査命令が出ましたので」
老警部は驚いたように笑った。
「あの事なかれ主義がね。まあ、良いことだよ。階級がどうあれ、公平な捜査を受ける権利は国民万人にあるんだからな」
それには無言でラルフ・ディクソンは警視庁を出ようとした。そこに、他の課の者が呼び止めた。明らかな悪意のこもった声だった。
「これはディクソン捜査官。わざわざスラムごときの事件にお出ましか」
声の主は仕立ての良いスーツ姿の男だった。にやにやと笑いながら楽しげに続ける。
「いや、古巣に行けるんだ、懐かしいだろう。何たって、食い詰めてスラムに流れてきた貧農出身だからな。そうだよな、ラルフ・ドリンクウォーター」
ディクソンの目がわずかに揺れたが、彼は何事もなかったように現場に向かった。男は舌打ちして執務室に引っ込んだ。その部署名をメロディは見た。
「監察官室……、ああ、いかにもって感じ」
「そうなのか?」
目の前のやりとりがいまいち理解できてないモーリスに、彼女は解説した。
「ドラマじゃCSIチームに因縁つける悪役ですよ。ちょっとしたミスをあげつらって槍玉に挙げて」
数々のドラマを思い出し憤慨したメロディは、思い出したようにドッド警部を振り返った。
「師匠はあの捜査官とお知り合いなんですか?」
「まあな、昔スラムの巡回してた時にガキの頃のあいつと会ったんだよ。えらく頭が良い上に天賦持ちだってんで、知人のコネで養子先を探して教育受けさせたんだ。まさかここに就職するとは思わなかったがねえ」
しみじみと回想する彼に、メロディは尊敬の目を向けた。
「それは師匠を目標としたからですよ、きっと」
――水呑百姓なんて、露骨な名字だなあ。誰かに適当に命名されたとしか思えないけど。
「ディクソン捜査官は山ほどあんな経験積んだんですね。それでもエリート部隊にいるんだから凄いですよ」
手放しで知り合いを褒められ、老警部は照れくさそうに笑った。目尻に皺を寄せる笑顔にメロディまで嬉しくなった。
警視庁を出て馬車まで来ると、モーリスが改まった表情で言った。
「すまない、この前は強く言いすぎた。注意するにしても言葉を選ぶべきだった」
いきなり詫びられて、メロディの方が恐縮しきりだった。
「いやいや、モーリス様は悪くないですよ。私の態度が最悪だったんですから。考えてみれば、たまたま持ってた異世界の記憶でアドバンテージ取れてただけなのを自分の才能と勘違いするなんて、後出しジャンケンでドヤ顔するくらい滑稽でみっともないのに」
「そう言ってもらえると助かるよ」
素直に受け止めたモーリスは、続く彼女の言葉に感動も吹き飛ぶ羽目になった。
「だから、次の手を考えます」
「…何を?」
「現場鑑識の手段ですよ。何たって現場百回は捜査の基本ですから!」
「……元気だな」
「それが取り柄ですから」
にこやかに返されて、彼女の元気さに触れるたびに疲労を覚えるのは何故だろうと、大公の一人息子はもの悲しく考えた。
プランタジネット大公邸。主の書斎の扉を執事がノックした。
「入りなさい」
大公の返答を聞くと執事は静かに扉を開け、トレーに乗せた封筒を差し出した。
「警視庁のローワン様からです」
「ありがとう」
執事が下がると大公は封筒を開いた。そこには、いきなりの捜査依頼だったがどうにか重大犯罪課を動かすことができたと、報告とも恨み言ともつかない文章が記されていた。
大公はくすくすと笑った。
「うん、持つべきものは友達だねえ」