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24 猫ニャンニャンニャン、犬ワンワンワン、肉ムキムキムキ

 うずうずする気持ちを堪えて、メロディは目の前の問題集に集中しようとした。

 夏の長期休暇の前の定期試験を目前に控えている。今学期は色々と派手に注目を集めてしまったため、成績を落とす訳にはいかなかった。

 それでも、彼女の頭を占めるのはあの不気味なぬいぐるみだった。



*       *



 ネイチャー&ワイルドの集会から、モーリスとメロディはキャメロット警視庁に直行した。カーター警部がいなかったため、文書庫で残業していたドッド警部に箱に入ったぬいぐるみを見せることにした。

「こいつは…」

 真剣な顔で猫のぬいぐるみを凝視した彼は、文書庫にあるまじき物を取り出した。品評会で騒ぎを起こした犬の人形だった。

 並べると類似点は明らかだった。両方とも腹を割かれ、中には布と海綿で精巧に作られた内臓が詰め込まれていたのだ。

「どう見ても作者は同じですね」

 メロディの言葉にモーリスも頷いた。

「犬と猫の違いはあるが…、品評会で血を抜かれていたのは愛玩犬だったな。長毛種の」

「この猫は王女殿下の物とは違いますね。ピンクなんてあり得ない色だし、短毛で縞がある」


 どこかで見たようなと思い、彼女は眉根を寄せた。

「あ、スケベネズミが追っかけてた巨乳猫!」

 思わず叫んだ内容に、モーリスがたしなめた。

「もっと婉曲な表現をしてくれ」

「いや、だって凄かったですよね、あのお色気猫。そういや、参加者名簿で『ピンクのプルプルちゃん』ってあったのはあの人かも」

 モーリスは警部に同情の視線を向けられながら額を押さえた。だが、ある可能性が彼の顔を上げさせた。

「もしかして、犯行予告か?」

 その言葉は文書庫を凍り付かせた。

 そっとぬいぐるみ入りの箱を手にしたドッド警部が、二人に言った。

「ここからは儂らの仕事だ。今日はお帰りください殿下、お嬢さん」

 穏やかだが有無を言わせない口調に彼らは従った。



*      *



「……気になる。あの後どうなったんだろ」

 思いが無意識に声になっていた。メロディの隣で教科書を開いていたモーリスが溜め息をついた。

「確かに気にはなるが、今は目の前の試験のことを考えろ」

「はーい」

 ようやく諦めて、メロディは過去問題集に向き直った。ローディン王国の歴史問題だ。

 ――民族の入れ替わりがあまりないのが分かりやすくて助かるか。でも王朝は結構交代してて面倒。今のテューダー朝はファロス歴九四一年に興り、初代の国王が……。

 重要な事件の合間にぽんぽん入ってくる戦争を記憶しながら、どうしてどの王様もおとなしくしてくれないんだろうと恨めしく思うメロディだった。



 働く大人たちには、学生とは別の悩みがあった。

 ネイサン・カーターの前には、頭から湯気が出そうなほど激怒している歓楽街対策係長がいた。

「聞かせてもらおうか、警部。何の理由があって、我々に相談も無しにキングスリバーホテルに手入れを敢行したのだ?」

「それはちょっと違うんですよ」

「どこが違う!」

「まず、うちに通報があったんです。あのホテルで違法品の取引があり、金で揉めて殺人未遂が起きたとね。で、駆けつけてみれば件の部屋は愉快な動物園だった訳で」


 係長はじろりと警部を睨んだ。カーターは詫びるような笑顔を貼り付けた。

「本当ですよ。通報を疑うなら受付のルーシーに確認してください」

 係長は忌々しそうに唸った。

「留置場は満員で、これ以上留めておけんぞ」

「ああ、全員の氏名住所を聴取したら解散させますよ」

 ようやく落としどころを見つけた二人に凶報が届いたのはその時だった。

「警部! 来てください!」

「どうした?」

 息せき切って入室した警官は、蒼白な顔で報告した。

「ホテルから連行したネイチャー&ワイルドの会員が留置場で死亡しました!」

 一瞬の沈黙の後、警部と係長は同時に駆け出した。



 学年末の試験が無事終了し、ロンディニウム学園は一気に開放的な空気に包まれた。

「やっと夏の気分になったわ」

「ねえ、休暇中はどこで過ごすの?」

「そうねえ、ベーカー島の別荘に……」

 バカンスの計画があちこちで囁かれる中、カズンズ子爵令嬢メロディはいそいそと部室から軽合金の鞄を持ち出した。鼻歌交じりに下校しようとすると、校門付近の車寄せで呼び止められた。

「どこに行くんだ?」

 プランタジネット大公家の馬車からモーリスが顔を出していた。

「もちろん、キャメロット警視庁ですよ。あの箱の指紋採取をまだしてないので」


 溜め息をつき、大公の一人息子は護衛に合図した。馬車の扉が開かれた。

「同行する。早く乗ってくれ」

「ありがとうございます」

 恐縮しながら同乗すると、彼女はこっそりと質問した。

「あの、モーリス様は何でまめに付き合ってくださるんでしょうか」

「ジュリアスから、君の暴走抑止と補佐役をするよう言われたからな」


 メロディは奇妙な顔をした。

「えー、殿下の恋の暴走列車の方が優先的監視対象ですよ」

「そっちは王宮の警備が張り付いている」

「シークレットサービスですね。…でも、こんな大物ワトソンがついてるとやりにくいなあ」

 困ったようにメロディは呟いた。いつもの三つ編みと大きな丸眼鏡という出で立ちが、モーリスの脳裏に集会での白ウサギのような姿を呼び起こした。

 妖精の世界から迷い込んだかと思うほど可憐だったと素直な感想まで付随し、モーリスは内心焦りながら意識を現在に引き戻した。



 到着した警視庁は騒然としていた。制服警官があちこちを走り回るのを怪訝そうに眺め、メロディは受付嬢に尋ねた。

「あの、何かあったのでしょうか」

 ブルネットの彼女は声を潜めて教えてくれた。

「この前、変な団体を留置場に入れたんだけど、その一人がいきなり死亡して大騒ぎよ」

 メロディとモーリスは反射的に顔を見合わせた。大公の息子が確認した。

「それは、猫の仮装の女性か?」

「いいえ、男性でしたよ。突然倒れてそのままだって。持病があったのかしら。見たとことても体格がよくてたくましい魅力的な人だったけど。変な仮装さえ無ければね」

 受付嬢が語る描写は二人に共通の人物を連想させた。メロディがモーリスに囁いた。

「もしかして、ハーレム作ってた筋肉キングじゃないですか? 毛皮美女を巡って山羊男と喧嘩してた」

「そいつは興味深いな」

 割って入った声の主を二人は振り向いた。くたびれた雰囲気の初老の男性、ドッド警部だった。

「来ると思ってたよ、殿下、お嬢さん。ご覧の通りここは騒がしいから儂のアジトに行こう」

 こうして二人は文書庫に移動した。



 埃臭い書庫に入るなり、メロディは軽合金ケースを開いた。

「すみません、早速ですが、ぬいぐるみが入ってた箱の指紋を採りたいんですけど」

「ああ、構わんよ」

 紙に包まれた箱に、彼女は手袋越しに慎重に触れた。粉末黒鉛の瓶を取り出し、箱にかける。ブラシで軽く粉を落としていくと、黒い隆線――指紋が残った。それをカメラで撮影する。

「これでよし、と。ぬいぐるみを見せてください」

 あの夜、動揺して詳細な観察が出来なかった証拠品を彼女は撮影した。そして、ピンセットを持ち出し腹部に詰め込まれた内臓を一つずつ摘出した。

「腸に胃、肺に心臓、肝臓……、でも形は人間のものですね」

「そうなのか?」


 驚くモーリスにメロディは説明した。

「腸の長さが違いますし、臓器の位置も……でも全部じゃないですね」

「気がついたか」

 ドッド警部がにやりと笑った。メロディは頷いた。

「王女殿下の猫も欠けてましたよね。このぬいぐるみには腎臓と子宮がありません」

「お嬢さんはどう思うかね」

「予告状の一種でしょうか。でも、亡くなったのは男性でしたね。ピンクの猫の女性は無事なんですか?」

「本物の猫顔負けに騒いで引っ掻いて、さっさと逃げてったよ」

「男性の死因は解剖結果を待たないと無理ですかね」

「あの身体で持病は考えにくいな」

「全方位に元気でしたね」


 人のパートナーにちょっかいをかけるほどだったと思った時、何かが引っかかった。

「ヒョウ柄ドレスの女性は無事でしたか?」

 ドッド警部は妙な顔をした。

「そんなのはいなかったな」

 メロディは呆然とした。彼女の前にあるテーブルには、ぬいぐるみから取り出した布と海綿で出来た臓器が並んでいた。異世界の知識を思い出しながら、彼女は言った。

「臓器なら豚の方が人間に近いんですけどね」

 ぎょっとした顔をする男性陣は、今夜の夕食にポークが出ないことをこっそりと祈った。

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