22 溶けて流れて困るものもある
キャメロット警視庁の地下。いつものように証拠保管倉庫でくすぶっていたマックス・トービルは突然の来訪者に驚いた。
「ドッド警部? どうしたんですか?」
初老の最年長警部は若い制服組に言った。
「ああ、週末に殿下とお嬢さんが出くわした騒動の証拠品があるだろ」
「犬の人形ですか?」
言いながら、トービルは簿冊をめくった。
「それなら、二列目の棚の下から二段目です」
日付ごとに整理された棚の隙間を歩き、警部は目指す証拠に行き当たった。
「そうそう、こいつだ」
わざわざ文書庫から這い出てきた彼に、トービルが珍しそうに尋ねた。
「それが何かあるんですか? 血が付いてる以外はただの人形で……」
しばらく凝視した後で、警部はすっと血まみれの証拠品を突きつけた。トービルは思わずのけぞった。
「もっと観察してみろ」
嫌そうに若い警察官は人形を手にした。
「外側は毛皮みたいだけど、中身は布と海綿詰め込んでるだけでしょ」
「どんな布と海綿だ?」
顔をしかめてトービルは中身を取り出そうとした。そして、あることに気付いた。
「この布長いな…って、まさか……」
思わず顔を向けると、警部は頷いた。
「そうだ、わざわざ腸を作ってあるんだよ。海綿は何の形に見える?」
「…心臓、肺、肝臓……」
「足りないモンは?」
「腎臓……です」
本気で気分悪そうなトービルに、まあ合格という顔で警部は頷いた。
「そうだ、王女殿下の猫と同じ、腎臓が欠けてる」
「作り忘れなんじゃ…」
「他はこれだけ完璧にしてるのにか? 必ず意味があるはずだ」
立ち上がると、警部はトービルに向けて顎をしゃくった。
「着いてこい。類似事件がないか文書庫で調べる」
「え? ここの番は…」
「一時閉店だ」
警部は証拠保管庫の扉に用があれば文書庫へと張り紙をして施錠させた。トービルは人形を入れた箱を抱えて彼の後を追った。
週明けのロンディニウム学園に、謹慎が解けたマティルダ王女が通うようになった。パレードのような通学形態は最低限になったようだが、校内を警戒する護衛は数が増していた。
「あの品評会の騒ぎは王宮もご存じなんですか?」
メロディに問われ、モーリスが頷いた。
「犯人の意図は不明だが、王太子と王女が通うからには警備を強化するのは当然だ」
「そうですね」
言いながらも、メロディはなるべく王女の視界に入らないようにした。顔を合わせれば彼女の怒りが再燃するかも知れないからだ。苦笑していたモーリスは、自分の教室に向かった。
途中でジュリアス王太子を見つけた彼は、人気の無い廊下の隅で質問した。
「マティルダはまだ不安定なのか?」
「そのようだね。王太后様の離宮に入り浸ってる」
少しためらってから、彼は危惧していたことを口にした。
「違っていたらすまない。もしかして、マティルダに逓減現象が起きているのでは?」
ジュリアスの秀麗な顔が歪んだ。
「私もそれを心配してるんだが、本人が認めようとしないんだよ」
やはりとモーリスは吐息を漏らした。
「聞こえなくなったのなら、あの取り乱し方も納得がいく」
「留学前は異常なかったと思うよ」
「リーリオニアで異変を感じて留学を切り上げたのか」
「天賦は思春期にピークを迎えるはずだろ。父上たちも想定してなかったよ」
どうしたものかと二人は溜め息ばかり量産した。
部活中に、メロディはジョセフィン・マールバラに王女のことを訊いてみた。公爵令嬢も気にかかっていたらしく、丁寧に答えてくれた。
「あの方の天賦は精神系ですの」
「人を操るタイプですか?」
「読み取りに近いわね」
それなら五感で他人の意識を読解するものだろうとメロディは見当をつけた。
「モーリス様が、王女殿下は聞こえるはずなのにとおっしゃっていましたが、聴覚伝達系ですか」
「そうですわ、迂闊に言い訳や誤魔化しをしようものなら、喜々として真相を暴露されたものです」
「面倒な天賦が面倒な人にあるんですね」
そう言って、メロディは首をかしげた。
――人間ポリグラフなら、警察で重宝されるんだけどな。
容疑者の動揺で針が大きく振れる異世界の警察ドラマを思い出す。そして、ある疑問に彼女は行き着いた。
「なら、猫の事件で私がやってないことはすぐにお分かりになったはず」
「私もそこが妙だと思いました。まるで何も信じられないと言いたげな錯乱ぶりがあの方らしくなくて」
「逓減……にはいくら何でも早いですよね」
十代後半に能力が絶頂期を迎える天賦が、学生のうちに低下するなど聞いたことがなかった。
「でも、先は分かりませんね。個有者は数が減るのに逓減現象は増えてますから」
「貴族間でも天賦を持たない人は増えてますもの」
「あの、気になってたんですけど、王太子殿下は何の種類の天賦をお持ちなのでしょうか」
「あの方は……」
ジョセフィンの言葉は深い溜め息になってしまい、それ以上のことは聞き出せなかった。
同じ話題は、その夜の大公邸でも持ち出された。
プランタジネット大公ジョンは、息子の見解に何度も頷いた。
「それは正解に近いだろうね。マティルダは昔から人の言葉に敏感だったけど、王太后陛下の離宮に引きこもるのはあの方の影響下の方が楽だからだろう」
天賦のことに詳しくないカイエターナ大公妃が夫に説明を求めた。
「王族は強力な天賦を持つと聞いたけど、あなたの天賦は教えてくださらないのね」
拗ねたように頬をつつかれ、大公は困ったように妻に言った。
「僕は普通の男だよ。物理系の天賦は今ではほとんど見られない。そのうち竜のように伝説になっていくんじゃないかな」
「そうなの。私は構わなくてよ。あなたが普通でも、岩を動かせても」
相変わらず夫にべったりの母を意識から追いやって、彼らの一人息子は考え込んだ。
「もしマティルダが聞こえなくなったのなら、人に会うのも怖いのでは?」
「なのに学園に通うなんて、勇気のある子ね」
大公妃は感心しきりだった。息子の方は、彼女の強固なプライドと負けず嫌いからだろうと推測した。
「無理をした挙げ句に暴発しなければ良いが」
「ああ、あなたのお友達が大変な目に遇ったのですってね」
子爵令嬢との約束を思い出し、モーリスはどうしたものかと遠い目をした。彼の変化に目ざとく気付いた母親は、黒い瞳を煌めかせた。
「あなた、私たちの可愛い坊やが女の子で悩む年頃になったようよ」
「そんなことじゃないです。いや、悩んでるのは事実ですが」
「どんなことなんだい」
父親に優しく言われ、モーリスは品評会でのことを打ち明けた。
「まあ、そんな怪しい者が接近を? 護衛は何をしていたの?」
「ライトル伯の幼い兄妹を守るように言いつけていました」
母の怒りを宥めていると、息子が謎の人物から手渡されたカードを手にした大公が読めない表情で沈思した。
「で、子爵令嬢はこの集まりに行くつもりなんだね。君は一人で行かせたくないと」
「…そうなりますね」
彼の返答に大公妃は感動の身振りをした。
「ああ、何て素敵な騎士道精神。そうよ、女の子は守ってあげなければね」
「違った意味で心配なので。父上はこの集まりに関して何かご存じですか?」
「うーん、自然と野生なら屋外で活動しそうだよねえ」
困った様子の大公とは対照的に、大公妃は準備をかってでた。
「動物に見立てた衣装が必要ね。女の子はどんな感じなの?」
「どんなと言っても…」
苦労しながらモーリスは説明した。
「小柄で好奇心旺盛で、とにかく元気です」
母親は呆れたように息子の頬を引っ張った。
「髪の色は? 目の色は? まさか贈り物もしてないなんて言わないでしょうね」
「ただの後輩ですよ」
困惑する息子に大公は笑うだけだった。そして、彼は自然な動作で窓際に歩いた。そっと手にした紙片を窓の外に差し出すと、夜闇から伸びた手が受け取り消えた。
何事もなかったように彼は振り向き、妻と息子のやりとりを微笑ましげに眺めた。