20 血の轍は色んな意味で嫌だ
週明けの学園、CSI部は訪問者を迎えた。
「こちら、キャメロット警視庁のドッド警部です」
メロディに紹介された部員の反応は様々だった。
素直に凄いと感心するノーマとジャスパーのコンビ、すっごーいと言いつつやっぱりジュリアス様の方が素敵とヨイショするメアリ・アン、彼女を牽制しつつ静観するジョセフィン。
王太子ジュリアスは何も考えていない笑顔で歓迎した。
「わざわざどうも、警部。これが我らがCSI部だ。ゆっくり見学してくれたまえ」
まるで自分が部長のように振る舞うのに、メロディとモーリスは諦めの境地だった。そのくせ突っ込んだ質問は当然のように部長と副部長に振ってくる。
「今日はせっかくだから現場検証と行きましょう」
軽合金のケースを片手に、メロディは部員と警部を引き連れて学園の庭園に出た。
「現場というと、まさか」
こっそりと確認するモーリスに、彼女は大きく頷いた。
「あの猫の殺害現場を突き止めますよ」
メアリ・アンが奇妙な顔をした。
「え? あの大きな木のとこじゃないの?」
歩きながらメロディは答えた。
「喉かっ切って腹捌いてるんですよ、あそこが現場なら一帯は血まみれです」
言葉に詰まる部員たちの足取りは、徐々に減速していった。彼らの反応にもお構いなしで、メロディは鼻歌交じりで歩いた。
「ふっふ、ふっふ~」
妙な顔をするモーリスに気付くと、子爵令嬢は照れくさそうに弁明した。
「あ、すみません。これが一番気分が上がるんで」
学園創立時に植樹されたという樹齢百年越えの大木には先客がいた。
「あれは…」
首をかしげるメロディの隣で、ドッド警部が皮肉げに口元を歪めた。
「これはこれは、重大犯罪課のエリート諸君じゃないか、ここで殺人か誘拐でも?」
一斉に警部を振り向いたのは白髪のラルフ・ディクソンたちだった。メロディは臆することなく彼らに声をかけた。
「あ、もしかして天賦で捜査中でしたか?」
「見物人が多すぎたようで、思念がまとまらない」
不機嫌そうにディクソンが赤い目を眇めた。メロディは彼に笑いかけた。
「じゃ、こっちはここを出発点にしますのでお構いなく」
そして彼女は部員を振り返った。
「はい、ここが気の毒なボーディシアの終着地、我々にとっては起点となります」
そして、死骸が吊されていた箇所を指さす。
「あの血溜まりがそうです」
つられて頷いたメアリ・アンが不満そうに言った。
「可哀想な猫ちゃんが殺されたのがここでないなら、どうやって見つけるの?」
待ってましたとばかりに、メロディはケースから取り出した拡大鏡を部員に配った。
「良い質問ですよ、フィリップスさん。足跡を辿る手もありますけど、大勢が集まってたから踏み荒らされて無理です。警察犬がいれば臭いを追跡できますが、私たちが追うのは血痕です」
「えー、血なんて怖ーい」
ここぞとばかりに王太子に縋り付くメアリ・アンをジョセフィンが睨んだ。メロディは地面を指し示した。
「今重要なのは滴下血痕です。つまり、死骸からしたたり落ちた血ですね。吊された場所に落ちている血痕は丸い形をしてます。これは出血している者が静止していることを示します。移動する中で落ちれば別の特徴がありますので、まず血痕を探しましょう」
切り刻んだ死骸を運ぶなら袋か何かに入れただろうが、あの惨状からして完全密封できたとは思えない。
――この世界にボディバッグやケースはないんだし。
血溜まりから拡大鏡で地面の痕跡を探し始める生徒たちに、捜査官は呆気にとられていた。
「何の真似だ、殿下まで一緒になって」
「まあ、見てなよ。お嬢さんは鋭い上にしぶといぞ」
ドッド警部が若い捜査官をからかうように宥めた。ぶつくさ言いながら適当に歩いていたメアリ・アンが、石畳に異質な痕跡を見つけた。
「何かしら?」
彼女の周りに部員たちも集まった。メロディはそれが滴下血痕であると確信した。
「引きが強いですね、フィリップスさん」
「うちはチャンスを逃さない一族だもん」
胸を張るメアリ・アンをジュリアスが褒め称え、対抗するようにジョセフィンが他の血痕を探した。メロディは彼女にアドバイスした。
「進行方向に点状に小さく散ってるのが分かりますか? この反対側が来た方向になるんです」
彼らは次々に血痕を見つけ、やがて小さな物置小屋に行き着いた。とたんにくしゃみを連発するジョセフィンを見て、メロディが言った。
「ここみたいですね」
扉を開けると、むっとする悪臭が溢れ出た。床にべったりと血がこびりついている。メアリ・アンとノーマが悲鳴を上げ、気丈なジョセフィンも青ざめた。ジュリアスが彼女らを落ち着かせる中、モーリスがメロディの隣に来た。
「ここがそうなのか?」
「間違いないですね」
小屋に残る血痕が証明していた。メロディはやってきた重大犯罪課の面々に言った。
「入るなら靴に布を巻いて、犯人の足跡を消さないよう気をつけてください。暗いからランプが要りますね」
ルミノールがあればなあと無い物ねだり気分で、彼女は視覚調整の天賦を発動した。
――赤のみを抽出。
薄暗い内部に赤々と血痕が浮かび上がる。生徒も捜査官も息を呑んだ。最も大きな血溜まり箇所をメロディは指し示した。
「あそこでナイフを使ったようですね」
天井や壁を凝視する彼女に、警部が不思議そうに言った。
「何を探してるんだ?」
「飛沫血痕です。刺殺時にナイフを振りかぶると、付着した血が壁や天井に飛び散るんですが……、なさそうですね」
「それは、冷静に切り刻んだってことかい?」
「そのようです。殺してからの作業か、抵抗できない状態での作業かは分かりませんけど」
初夏というのに彼らを取り巻く空気が一瞬低下した。警部が頭を掻いた。
「こいつは初めての仕事とも思えねえな」
「同感です。練習しないと動物の制圧方法とか身につきませんから」
そしてメロディは小屋の奥に何かが置かれているのに気付いた。
「あれは……餌ですかね」
それを聞き、メイドから二枚目のハンカチを渡されたジョセフィンが言った。
「あの猫は赤身の肉しか食べないと王女殿下がおっしゃってたわ」
奥にある容器には目ざとい虫がたかっている。メロディは重大犯罪課のディクソンに言った。
「証拠品がありましたね」
「ゴミ拾いをさせる気か?」
憤慨する彼に、彼女は嬉しそうに答えた。
「だって、あれでおびき出したのなら犯人が触ってますよ」
さも嫌そうにディクソンは小屋に入った。
「あ、隅を歩いてくださいね」
つい言われるままに壁沿いを歩いた後で、彼は舌打ちした。ドッド警部は笑いを堪えていた。
床を検分したメロディは、血溜まりにほぼ消された飛沫血痕を発見した。
「あそこ、飛び散ってますね。切っていくうちに興奮を抑えられなくなったかも」
部員たちは身の毛のよだつような光景を想像し、震え上がった。さすがに捜査官は動揺を見せなかったが、小屋の中で血痕に触れたディクソンはいつもにまして顔色が悪かった。
「大丈夫ですか?」
メロディの心配そうな声に、彼は首を振った。
「慣れている」
人の悪意や衝動を読み取るのは精神を摩耗させそうだとメロディは思った。
「色々疲れそうですね。私はある物を見るだけだから眼精疲労ですんでますけど」
ディクソンは苦笑めいた顔をした。作り物のような彼が人間くさく若く見えた。
メロディは気掛かりなことを呟いた。
「でも、犯人はあの猫を王女殿下のものと知って殺したんでしょうか」
「わざわざ好物まで用意してるのよ。野良猫目当てならもっと安物ですませるでしょう」
ジョセフィンの言葉にモーリスが眉をひそめ、メアリ・アンをへばりつかせたジュリアスに確認した。
「王宮であの猫の好みを知っている者は多いのか?」
「どうだろう。マティルダは帰国してまだ日が浅いし。リーリオニアでも専属だった者なら知っているだろうけど」
「情報が漏れたのか、あるいは…」
そのまま大公の一人息子は沈黙した。