2 亜麻色の髪の乙女って結局何色?
翌日、メロディは学園の図書室にいた。階段での検証の後、王太子直々に階段落ち事件の真相を探れと仰せつかったのだ。最初は断るつもりだったが、解決時のご褒美をちらつかせられて結局引き受けてしまった。
彼女は閲覧所で天賦を種別ごとに分類した事典を開いた。
「ええと、見た目を変えるなら光学関係……、色覚を阻害する天賦…」
西方大陸最西端のコッド岬北西、北洋に浮かぶアヴァロン諸島がローディン王国だ。ここの住民には大陸の人々にない特徴がある。それが『天賦』と呼ばれる特殊能力だった。
有史以前には、山を動かすような強力な個有者の逸話が神話となって残っている。メロディは眉唾ものだと考えていたが。
「そんな化け物か神様級の天賦があれば、西方大陸ぐらいサクッと征服してると思うけど」
「ローディン本国の人口では不可能だな」
独り言に返された言葉に、彼女は振り向いた。目の前に、ロンディニウム学園の制服を着た男子生徒が立っていた。見覚えがないので上級生だろうか。もっとも、メロディは同級生男子もあまり覚えていないが。
黒髪に青い瞳。顔立ちは異世界風に言えば「当たり障りのないイケメン」というところだろうか。整っているが強烈な印象に乏しい。
彼女の視線を気にすることもなく、男子生徒は手にした本を閲覧台に置いた。
「光学系の天賦ならこっちが詳しい」
「…ありがとうございます。…えっと……」
礼を言おうとして、メロディは彼の名も知らないのに焦った。男子生徒は気にする風もなく、淡々と自己紹介した。
「モーリス・アルバート・プランタジネット。最上級生だ」
その家名は子爵令嬢を驚愕させた。
「大公殿下のご子息でしたか、失礼しました。メロディ・カズンズと申します」
「構わない。そもそも、従兄弟のジュリアスが難題を押しつけるのが悪いのだからな」
メロディの頭の中で、『従兄弟のジュリアス』が王太子だと繋がるまで数秒を要した。
――あちらは絵に描いたような麗しの王子様だけど、ずいぶん印象が違うなあ。
まじまじと見つめられて、モーリスは苦笑した。彼の父、プランタジネット大公のことをメロディは思い出した。
――最初お見かけした時は驚いたっけ。こんなに地味な金髪碧眼もあるんだって。
その息子はエキゾチックな黒髪のおかげで父親よりは存在感を増している。今はあまりに凝視されて居心地悪そうだが。
はっと我に返り、メロディは再度頭を下げた。
「不躾な真似をして申し訳ありません」
「慣れてるよ。皆、父上と母上と見比べて遺伝に思いを馳せたがる」
「……まあ、そうですね」
プランタジネット大公妃カイエターナは西方大陸の強国アグロセン王国の王女だ。国際観艦式でアグロセンを訪れた大公と熱烈な恋に落ちてローディンに嫁いできたことは、愛の奇跡扱いになっている。
大公の息子はしみじみと語った。
「実子の僕にも、母上が何故父上に一目惚れしたのか未だに分からない」
世間では逆に思われそうだが、あの地味な大公に惚れ込んで追いかけてきたのはカイエターナ大公妃の方だった。絹糸のような黒髪と燃えるような黒い瞳を持つ堂々たる美女は、宮廷に燦然と咲き誇る名花だ。
「大公妃殿下は大変お美しいですし、ご一族は驚くほど美形揃いですが、なにぶん皆様揃って顔面濃度が高すぎて老若男女問わず赤いバラを咥えているイメージが…」
「確かに、母上が一番お好きな花だ」
「だから、その、正反対というか、シンプルというか、薄味というか、無駄を極限までそぎ落として基本に立ち返ったようなお顔立ちの大公殿下に惹かれたのかと」
「……一分で忘れられる印象に残らない顔だと正直に言っていいぞ。父上自身、母上と二度目に会った時、覚えられていたのに驚いたとおっしゃっていたからな」
男女のことは分からないと、メロディは首を振った。そして、図書室に来た目的を思い出し、モーリスが探してくれた本を開いた。
「光学系の天賦となると秘匿事項が多いですね」
「諜報や軍事にも関わってくるからな」
「そんな大それた事を知りたい訳ではないのですが…」
速読するメロディに、モーリスが質問した。
「カズンズ嬢はミス・フィリップスの傷害未遂犯の見当が付いているのか?」
「全然」
あっさりと返され、彼はページをめくるメロディをまじまじと見た。彼女は誤魔化し笑いをした。
「王太子殿下に犯人特定を命じられましたが、正直、手段も光学系の天賦ぐらいしか思いつかない有様ですよ」
「レディ・ジョセフィンと思わせるために髪色を変えたと?」
「完璧に変えすぎたんですよ。夕日の反射も遮断するほどにね。おかげで少しは絞れますが…」
「案があるのか?」
「面倒なんですけどねえ…。疑わしい生徒をピックアップして集合させて……」
「それなら心配ない。最上級生権限で協力要請する」
「本当ですか?」
どうやら大公の子息は目的のためなら繁雑な作業も厭わない性分らしい。それならとメロディは全面的に乗っかるつもりで彼に計画を説明した。
翌日の放課後、学園の南棟第二階段前は多くの女生徒で埋め尽くされていた。紺色のラインが入るライトグレーの制服の群れを目にしたメロディは呆れ気味に呟いた。
「本当に、昨日の今日で招集掛けてくれたんですね」
彼女の隣に立つモーリスは当然と言いたげだった。
「一応、実験への協力という名目だ」
「嘘じゃないですしね」
プランタジネット大公の令息は一晩のうちにメロディが出した条件に該当する女子生徒を洗い出し、彼女らに放課後この場所に来てもらえるよう根回しして実験の実現にこぎ着けてくれたのだ。
全員が全員進んで来てくれたとは思わないが、とにかくこれで一歩前進だ。モーリスとメロディは彼女たちの前に歩み出た。
「みんな、集まってくれてありがとう。この棟の強度の調査を課題に選んだため、実験に協力してくれないだろうか。今日は女子、明日は男子で行う予定だ」
彼が穏やかに要請すると、場の空気が好意的なものに変わっていくのが分かった。
――雄弁、というのではないけど警戒心を解くのが上手いのは特技かな。
彼の背後でメロディは感心した。そして、記録係という自分の役目を思い出し、手元のノートに書き付けた。
――女子生徒の約一割か。ローディン総人口のうち天賦を持つ個有者と集合者合計が0.1%切ってたから、分布的にはこんなものかな。貴族階級は天賦持ちの比
率が大きいし。
なりすますだけなら鬘などを使う手もあるが、それでは窓ガラスまで赤く染まる夕陽の中で薄い色合いの髪色が変わらない理由が付かない。光学系天賦による変化だとメロディは睨んでいた。
モーリスは一人ずつ階段を上がってもらい、二階の廊下を走るよう指示した。
「もちろん、普段は走ると注意されるけどね」
冗談めかして言う彼に、女子生徒たちが笑った。そして実験が始まった。
夕日が差し込む廊下を少女たちが駆け抜ける。ふわりと髪をなびかせる様子にメロディは注目した。一人ひとりをチェックしていき、少女たちが全員走り終わるとモーリスは彼女らに感謝の言葉をかけた。
「ありがとう、おかげで納得のいく結果が出たよ」
彼の背後で、メロディも結果に満足した。彼女にこっそりと大公の息子が尋ねた。
「絞れたのか?」
「まあ、大体は」
彼女のノートが全く髪色のチェックをしてないのにモーリスは眉を顰めた。
「髪の色を確認するためじゃなかったのか?」
「違いますよ」
メロディは簡潔に答え、再度階段下に集合した女子生徒を見て溜め息をついた。
「この人数だと眼鏡越しは無理か…」
謎めいた呟きのあと、彼女はいつもかけている大きな丸眼鏡を外した。露わになったその双眸にモーリスは絶句した。子爵令嬢の虹彩は扇状に青と茶色の二色に分かれていたのだ。
「……ダイクロイックアイ…」
彼の言葉は直後の悲鳴にかき消された。見れば女子生徒たちが叫びながら頭を庇ってしゃがみ込んでいる。だが、第二階段は上も下も何の異常もない。パニックを引き起こしたものが見当もつかず、モーリスは困惑するばかりだった。
騒然とする中、メロディが一点を指さした。
「あなたですね」
口々に叫びながら頭を庇いうずくまる女生徒たちの中でただ一人、亜麻色の髪の少女のみが突っ立っている。異様な光景の中で途方に暮れた様子で。