18 老人と子供で踊るならポルカはキツイだろ
注:惨殺場面があります。
すっかり受付嬢の顔も覚えてしまったキャメロット警視庁。
本日のメロディは、モーリスに加えてかつてスラムでスリをしていた少年ジャスティンとその愛犬マディも同行しての訪問だった。
「へー、じゃ、その王女様のお猫様が行方不明?」
「そうなの。メイドと護衛が総出で捜索隊結成してるのに見付からなくて」
「猫なんて隙間や隅っこ、どこだって潜り込むのに」
呆れた様子の少年に、大公の息子が大真面目に頷いた。
「餌を置いて静かに待てと言ってるんだが、マティルダが早く見つけろと大騒ぎで」
「長引きそうですね」
「あのミス・フィリップスが、マティルダが一緒だとジュリアスに近寄らなくなったな」
「マールバラ様もですよ。あちらは猫のせいですけど」
気の強い公爵令嬢の意外な弱点を思い、メロディは気の毒そうな顔をした。
彼らに近寄ってきたのは証拠保管庫のマックス・トービルだった。
「殿下、お嬢さん。それに伯爵家の坊ちゃん。実はぜひ会いたいという人が…」
「ほう、これが噂の学生たちか」
彼の背後からぬっと現れた者がいた。小柄な初老の男性だった。戸惑う少年たちにトービルが焦って説明した。
「あ、この人はドッド警部で、証拠保管庫の初代管理人というか…」
「そもそも、あそこを作らせたのが儂だ」
「証拠保管のパイオニアなんですか?」
食いついたのは当然メロディだった。半白頭の警部はうんうんと頷いた。
「あんたが手品みたいな指紋照合をしたお嬢さんか。それで、そっちの子が誘拐されてた伯爵家の坊ちゃんで」
「あの、私、ここの科学捜査の歴史が知りたいんです。個有者任せでそっち方面は進歩してないって言われたけど、誰も何もしなかったなんて考えられなくて」
ドッド警部はにやりと笑った。
「指紋、足跡、血痕。現場に残されたものから犯人を割り出す技術を提唱した者は確かにいたよ。儂もその一人だ」
「師匠と呼ばせてください!」
彼の手をがっしり握ってメロディは叫んだ。
「凄いです! みんなが天賦頼みで前例踏襲する中で新たな道を切り開くなんて」
「なに、個有者に花形部門を独占された天賦無しの、せめてものあがきだよ」
「諦めない姿勢を尊敬します!」
かなうなら、あの科学警察シリーズのテーマソングを捧げたい気分で、メロディはひたすら感動した。
ロビーで世代を超えた友誼を結んだ二人は、証拠保管倉庫に移動しても盛り上がりっぱなしだった。
「やっぱり指紋や足跡に注目されてたんですね」
「お嬢さんの言う転写シートとやらは便利そうだな」
「粘着性のある透明な物なら何でもいいんです。薄くて持ち運びしやすければ」
「粉末は黒鉛か?」
「それとマグネシウム」
「靴底の模様とやらは面白いな」
「そのうちメーカーに協力を仰いで資料を取り寄せられると助かりますよ。車のタイヤとか馬車の製造会社とか」
「自動車が普及すればタイヤを専門に作る会社が出てくると言う訳か」
「ポイントは大量生産です。今の繊維主流の軽工業から重工業に移行していきますから」
「戦争があれば真っ先に兵器がそうなるだろ」
「中小乱立から淘汰されて生き残ったメーカーが品質基準を作っていきますよ」
「興味深いな」
「殺人事件なら銃と弾丸、ナイフの資料も必要ですね」
「ある程度は集められても個人だと限界があるからな」
「ライフリングマークの概念はありますか?」
話題が尽きない二人に取り残されたモーリスとトービル、それにジャスティン少年は引き気味だった。
「すげえや、姉ちゃんたち何話してんのかさっぱり分かんねえ」
ジャスティンの言葉に、マディも呆れ気味にあくびをした。
「ドッド警部に着いてく奴、初めて見た」
トービルは妙な感心をしている。彼にモーリスが質問した。
「刑事関係の人なのか?」
「昔はそうだったみたいです。でも個有者の解決率には到底かなわないから妙な方向に凝りはじめて、ここを証拠で占領した後は文書庫の主ですよ」
証拠にこだわるメロディとは話か合うはずだとモーリスは納得した。やがてジャスティンの帰宅時間が迫り、彼らは警視庁を後にした。
貴族街に向かう馬車でメロディは上機嫌だった。
「あんな人がいるなんて想像もしませんでした。本当に、初めて会う気がしなくて」
「いつか学園のCSI部に招待してみたらどうかな」
モーリスが提案すると、子爵令嬢は三つ編みを揺らして賛成した。
「きっと面白がってくれますよ」
「今は文書庫にいる人らしいが」
「証拠保管の後は未解決事件の研究をしているそうです」
「……まあ、熱心さと継続は確かに凄いな」
「それでも重大犯罪課には入れないんですよね」
「個有者たちと協力は難しいだろうな」
「色んな目線で捜査した方がいいと思うんですけど」
残念そうなメロディにモーリスは苦笑した。
彼女を送って大公家の屋敷に戻ったモーリスは、警視庁のことを父大公に報告した。
「それは時代の流れだろうね」
ジョン大公はいつもの穏やかな笑顔で息子の話を聞いた。
「父上は、いずれ個有者のみの部署は存続できなくなるとお考えですか」
「必然だよ。良いか悪いかじゃなくてね。天賦持ちの激減を知っているだろう」
「逓減現象の多さも」
自分たちの持つ力もいつ失われるか分からない。貴族階級の特権の礎となってきた能力が消滅した世界はどうなるのか、彼には想像できなかった。
考え込む息子を父親は微笑みながら見守っていた。
王宮のロイヤルファミリーの会話は、大公一家よりも荒んでいた。主に王女マティルダの不機嫌が原因だった。
「ああ、ボーディシアは無事でいるかしら…。そもそも、お兄様が高利貸しの平民などお側に置くからですわ!」
とばっちりをくらった王太子ジュリアスは、それでも笑顔を絶やさない。
「だって可愛いんだし、僕のことを好きだって」
「お兄様にはジョセフィンという婚約者がいるのに、次から次に目移りして。リーリオニアでも噂になっておりますのよ、私がどれだけ恥ずかしい思いをしたか!」
「ああ、マティルダには『聞こえる』からなあ」
よしよしと妹の頭を撫でる王太子と吼えかかる王女を、国王夫妻は眺めるのみだった。
彼女は不機嫌な足取りで見知らぬ場所を歩いていた。あちこち彷徨ったせいで汚れてしまったのが鬱陶しい。
うるさい下僕があんなに騒ぎ立てなければ帰る気になれたのに、何もかも自分の気分を損ねた連中のせいだ。
湿気の多い空気にも苛立つ思いで彼女は立ち止まった。不快そうに首を振った時、何か気を引く物を感じた。彼女はその方に歩いた。
開放された扉の向こうにそれはあった。彼女は求めていた物が中に置かれているのを見て首をかしげた。
――ようやく私が欲しい物を理解したのね。使えない下僕だと思っていたけど、少しは気が利くようになって何よりだわ。
そう思いながら彼女は扉の中へと入っていった。
突然扉が閉まり、外から隔絶された。びくりとして彼女が全身を強張らせるのと、強い力で仰向けに床に押さえつけられるのはほぼ同時だった。
――何をするの!
彼女は叫んだ。下僕たちはこの声を聞くといつもおろおろとご機嫌を取ってきた。だが、この相手は何の反応も見せない。
抵抗しようとしても首を絞められ声が出せない。彼女は怒りに震えた。生まれてこの方、こんな乱暴な扱いをされたことはなかった。
首を絞める手を攻撃しようとしても跳ね返される。気が遠くなるのを引き戻したのは激烈な痛みだった。襲撃者が彼女の白い胸にナイフを突き立てたのだ。
彼女は苦痛に暴れた。誰もが誉め称えた姿が血と埃に汚れ、周囲を魅了した青い瞳が化け物のように限界まで見開かれ、気まぐれに気に障った者を傷つけてきた爪が折られる。
全ての抵抗を封じられ、彼女は初めて哀願した。
――ねえ、やめてよ。ほら、私はこんなに可愛くて綺麗でしょう? やめてくれたらあなたに触れさせてあげてもいいのよ。
それに対する回答は、腹部の切開だった。彼女は絶叫した。
――痛い、痛い、痛い、痛い、痛いーーーーーー!!
不快な血の臭いが立ちこめ、口から赤い泡がこぼれ出る。彼女は悟らされた。この襲撃者は自分を殺そうとしているのだ。会ったこともない者が、周到な罠まで用意して。
――私があなたに何をしたの……。
霞がかかった思考はそれが最期だった。彼女の見開かれた目が急速に光を失っていく中、内臓を取り出し性器を切り裂くため襲撃者は冷静にナイフを使った。