15 ついてくるのが足跡だったらちょっと怖い
プランタジネット大公家の居城ダブリスに戻ったモーリスは、父であるジョン大公に呼ばれた。
「ご用でしょうか、父上」
「うーん、用というほどでもないんだけどね」
印象の薄い容貌の大公は、妻によく似た息子に目を細めた。息子の方は家族でさえ感情の読めない父親を前に多少緊張している。
「君の部活はなかなか活躍しているそうじゃないか」
「有能な部員のおかげです」
「ジュリアス君も含めてかい?」
「意外と真面目にやっていますよ。あいつ目当ての女子入部者を警戒しましたが、今のところは創立時のメンバーのみです」
そう答えながら、子爵令嬢が「ロンディニウム・セブン」とか妙な呼び方をして興奮していたことを彼は思い出していた。
「ああ、それはレディ・ジョセフィンとミス・フィリップスがほどよく防波堤の役目を果たしているんだね」
「防波堤、ですか?」
驚く息子に父大公は説明した。
「貴族令嬢ではトップのマールバラ公爵令嬢と平民階級では抜きん出た資産家のフィリップス家の令嬢、両階級の頂点同士が王太子を争っているんだよ。他の者が食い込めると思うかい?」
「……無理でしょうね」
あの気の強いジョセフィンと攻撃的被害妄想のメアリ・アン双方から目の敵にされるなど、学園生活を捨てたも同然だ。
大公は用件を切り出した。
「ジュリアス君から子爵令嬢のお目付役の依頼があったそうだね」
モーリスは頷いた。大公が次に口にしたのは追加依頼だった。
「そのご令嬢が警視庁でも活動するなら補佐役もして欲しいそうだよ」
「……ジュリアスは理由を言っていましたか?」
「何も」
怪訝そうな顔をしながらも、モーリスは了承した。
「分かりました。彼女の暴走を警戒しながらサポートします」
「よかった」
穏やかに大公が笑う中、乱入者が現れた。
「ジョン、あなたが他の女の名を口にするなんて、どういうことなの?」
黒髪の情熱的美女、カイエターナ大公妃が夫に詰め寄った
「モーリスの部活仲間のことを話していたんだよ」
「そうでしたの。余計な心配をしてしまったわ」
今も尚、夫に近づく女性全てを敵視している大公妃は安心したように彼を抱きしめた。そして、息子に嘆かわしそうな視線を向けた。
「王太子殿下の艶聞ばかり聞こえてくるけど、あなたは気になるご令嬢はいないの?」
「僕はまだ学生ですよ、母上。それにジュリアスの真似などしたら学園長の胃に穴が空きます」
「はは、それはまずいね」
大公が鷹揚に笑い、モーリスは父の書斎を後にした。
学園のCSI部で、メロディはノーマとジャスパーに『ジャック』の育ての親の一人が死んだことを話した。
「それって、やっぱりあの子に関係してるの?」
ノーマは薄ら寒そうな顔をした。
「あの子もしんどいよな。親だと思ってた人がそんなことになったなんて」
ジャスパーは同情的だった。メロディはしみじみと語った。
「複雑だと思うよ。今のご両親より長く一緒に生活してたんだし」
「そう思うと酷いよな、誘拐って。家族をメチャクチャにするんだから」
憤るジャスパーにノーマも首を振った。メロディは反省モードになっていた。
「ポジティブ・マッチだなんて浮かれてたけど、科学捜査は人の罪を判断する重要な証拠になるんだから慎重にならないといけないんだよね」
うんうんと三人は頷き合った。やがてメロディを除く二人は下校した。残された子爵令嬢は部活のこれからを模索した。
「正直、AFISが無い状態だと指紋照合は行き詰まりなんだよね。あとは難しい採取方法への挑戦なんだけど、変死体からの採取なんて許可してもらえないよね。水死体とかミイラ化した奴とか、やってみたいんだけど」
それ以前に挑戦する部員が彼女以外に存在するのかという事実は検討事項に入っていなかった。
「これ以外となると、足跡かな。必要なのは石膏ぐらいだから簡単だし。あー、でも指紋もそうだけど足跡採取できるゼラチンシート欲しいなあ。ダストプリントリフターとまでは言わないから」
ぼやいていると、部室ドアから応答があった。
「今度は何をする気なんだ?」
黒髪の大公子息が警戒気味な様子で立っていた。
「モーリス様。いや、指紋の次なら足跡じゃないですか。で、石膏と転写できるシートがあればなあ、と思ってたんです。静電気で埃を転写できる機械があれば絨毯からでも足跡が採れるんですけどね」
「人が大勢歩いた場所なら役に立たないだろう」
「それはコンピュータの登場を待つしか無いですね。まず電気が全国規模で普及しないと」
蓄電池の理論はかなり前からあったが発電所は水力の小規模なものが発達中で、通信に使われたりガス灯代わりに工場の照明に使用される段階だ。
技術的なことにはモーリスも関心を示した。
「異世界のドラマも、その電気で見てたと言ってたな」
「ほぼ全ての機械がそれで動いてましたよ。天賦に頼らない安定供給で」
個有者(タラント)の中には電流を操る者もいたようだが、さすがに発電所代わりになれないだろう。
「個有者には天賦の逓減問題もありますしね」
突然能力が低下していく現象は、多くの個有者にとって死活問題になっている。モーリスがふと質問した。
「君は、自分の天賦がなくなればいいと思ったことはないのか?」
突然の言葉にメロディは丸眼鏡の奥の目を見開いた。
「うーん、そんなに邪魔だったことはないし、天賦が消えたところでこの目が普通になる訳でもないし、まあ、成り行き任せですかね」
「……そうか」
モーリスは小さく笑った。それを見てメロディは気付いた。自分は彼に天賦があるのか、どんな種類のものなのかを知らないことを。それでも彼女はあえて訊かないことにした。必要があれば彼の方から教えてくれるような気がしたからだ。
「じゃ、地道に花壇とかで足跡採取しますか。石膏なら手に入れやすいし」
「そうだが、足跡でサイズ以外に何が分かるんだ?」
「異世界ではものすごく多種多様な靴があって、靴の裏の模様でメーカーや種類が特定できるんです」
「靴底の模様?」
怪訝そうなモーリスにメロディは更に説明した。
「安く生産できる人工ゴムが普及して、靴の裏に滑り止めとして使われるんです。その滑り止めの凹凸がデザインになって…地下鉄の路線図なんてのもありましたね」
「庶民が何足も靴を所有するのか?」
ビスポークの靴以外を履いたことのないモーリスは半信半疑だった。
「安価な既製品が主流ですから。注文靴なんて余程の金持ちか道楽者の趣味ですよ。この世界だと労働者階級はひとり一足も珍しくないですけど、そうなると靴に個性が生まれるんです」
「個性?」
「履いていくうちに出来る傷やすり減りですよ。靴にとっての指紋みたいなものですかね。多分、これは今の警察でもポピュラーな証拠物件だと思いますよ」
「だろうな。指紋より更に分かりやすい」
「それで、キャメロット警視庁に採取方法を訊きたいのですけど」
メロディの提案にしばらく考えた後、モーリスは同意した。
「いいだろう、カーター警部に連絡を取ってみる。
「ありがとうございます!」
喜色満面の顔で子爵令嬢は礼を言った。彼女の目が眼鏡越しでも輝くのを見て、大公の一人息子は面倒よりも満足が勝るのを自覚した。
同じ頃、首都キャメロットのスラム地区、犯罪大通りでは剣呑なやりとりが繰り広げられていた。
「いつまで雲隠れしなきゃなんねえんだよ!」
廃屋の地下室で荒れているのはギャングの幹部だった。
「仕方ねえだろ、ジェンキンズ。お巡りどもがしぶとく聞き込みかけてんだから。大体、お前が伯爵の家狙ったりするからだろ」
「俺のせいかよ、ジャックの奴が掠われたお坊ちゃまだったのも」
指紋採取とやらでジャックの身元が判明した時、彼は呆然としたものだ。素早く我に返り、事が大きくなる前にその場から逃げ出したのだが事態は一向に好転してくれない。
「くそっ、あのポン引きと淫売、どっからあのガキを手に入れたんだ? 俺がスラムに戻るより先に消えやがって」
壁を蹴るジェンキンズに、ギャング仲間が小声で言った。
「それなんだけど、どうやらその、ポン引きのボブが消されたって噂が聞こえるんだよ」
「あんな酔いどれ、ほっといたって酒で死ぬのに」
「拷問された上に焼き殺されたって話だぜ。お貴族様がそこまでするか?」
「それがあのガキのせいだってのかよ」
「他に考えられねえだろ」
言い合いをしていた二人は不意に口をつぐんだ。無人のはずの建物に足音がする。
咄嗟にナイフを取り出した男たちはドアに向けて身構えた。だが、異変は頭上から訪れた。
轟音と共に建物が崩壊したのだ。
「外へ!」
ドアから階段へ向かおうとしたジェンキンズに瓦礫が降り注ぐ。
周囲の住民が驚き騒ぐ中、廃屋は完全に崩壊した。
犯罪大通りから二本の道路を挟んだ区画。
高い建物の窓から爆破の土煙を視認した男が、背後の者に命令した。
「底辺の虫どもの処理は完了した。あのお方にご報告しろ」
配下の者は無言で姿を消した。
廃屋の倒壊現場にスラムの人々が集まるのを見下ろしながら、男は何の感情も見せないまま窓から離れた。