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14 いい女でも燃えたくはない

 ローディンの首都キャメロットは工業の発達と共に肥大し、西方大陸の列強に匹敵する百万都市となった。新興中産階級の居住地が工業地域を囲むように郊外へ増殖し続けた結果、周辺地域も含めてグレーター・キャメロットと呼ばれている。


 その中にあるリオネル区。都市と共に広がった新たなスラムの一角に隠れ住む一組がいた。

「あーあ、ったく、稼ぎは悪いのに物価はガズデンと変わらないってやってらんない」

 ぶつくさ言いながら夕食の豆と肉を煮込むのは派手な赤毛の中年女だった。居間で酒瓶を手放さない男は苛々と言い返した。

「仕方ねえだろ、今頃になってあのガキの身元がバレるなんて誰が思うかよ」

「でも、ボリス」

 振り向いた女の顔を掠めてナイフが飛んだ。男が充血した目で情婦を睨んだ。

「死にたくなきゃ、その名を呼ぶな。いいな」

 女は無言で頷いた。男は手にした酒瓶が空なのに気付き怒鳴った。

「酒買ってこい!」


 顔をしかめながらも女は従った。彼女は安アパートを出て近所の酒屋で一服し、そろそろ同居人の機嫌が直った頃合いになったのを見計らって帰ろうとした。

 アパートの建つ区画に来た時、空が異様に明るいのに気付いた。いつも路上で寝ている男たちが右往左往している。

「…何なの?」

 胸騒ぎを覚えながら女はアパートに急ぎ、愕然とした。さっき後にしたばかりのそこは黒煙と炎に包まれていたのだ。

「……嘘…」

 女は急いでショールで顔を覆い、野次馬に混じって移動した。決して人波に逆らわぬよう気をつけながら火災現場から離れ、彼女は振り返ることなく逃走した。火災の気配など全くなかったのにこの燃え方は不自然だ。おそらく男は生きていないだろう。なら家も名も捨てて逃げるしかない。

 それは、彼らの間の非常時の決めごとだった。

 女の背後でようやく駆けつけた消防車の鐘が響いた。



 週末の日課となったヨーク公園での散歩で、今日もメロディはライトル伯爵家の兄妹に会った。

「こんにちは、ジャスティン様、エディス様。マディは見るたびに丸くなってるわね」

「そうなんだよ。こいついいもん食い過ぎて、そのうち腹が地面を擦るんじゃないかと心配で」

「犬も生活習慣病ってあったかな」

 メロディは考えたが、肥満が身体に悪いのはどこの世界でも同じだ。

「毎日散歩させて、規則正しい時間に餌をやって、おやつはしつけの時だけ。それなら健康的になれそう」

 兄妹は揃って腕組みした。

「できるかなー、みんなマディを構って食べ物やっちゃうし」

 ジャスティンの言葉に頷いたエディスが言った。

「お父様がいけないの」

「伯爵が?」

 意外なことに、当主が家族で一番犬に甘いらしい。

「このひょうきんな顔が受けるのかな」


 垂れ耳の小型犬は子爵令嬢に覗き込まれても愛想良く尾を振っている。そして、犬はいきなり走り出した。

「マディ!」

 ジャスティンが慌てて追うと、犬は一人の少年に飛びついて嬉しそうに吠えた。

「モーリス様?」

 プランタジネット大公の息子が公園に来ていた。しかも隣にはキャメロット警視庁の警部もいる。

「カーター警部も。どうされたのですか?」


 ちらりと伯爵家の兄妹を見て、警部は場所を変えようと提案した。ジャスティンとエディスに別れを告げ、メロディたちは公園のティールームに入った。庭のバラを眺められるテラス席で彼らはお茶を飲んだ。

 革手袋をはめた手で煙草を取りだし、火をつけながらカーター警部が話し始めた。

「リオネル区。といってもお嬢さんはご存じないでしょう。ガズデン通りのスラムの小型版ですよ。先日、そこのボロアパートが火事を起こして結構な犠牲者が出たんです」


 新聞で見たような気がするが、メロディはあまり気に留めていなかった。警部は続けた。

「夏場の火事は冬に比べりゃ少ないが、まるっきり無い訳じゃない。ただ、どうもキナ臭いんで」

「……あの、さすがに焼死体の指紋採取は…」

「いやいや、火元らしい部屋の住人は焼死体で発見されたんですが、検視で頭部に傷が発見されましてね」

「煙に巻かれて倒れた傷では?」

「ドクターは肺に煤がないと言ってるんです」

「では、焼死ではないと?」

 モーリスに言われ、カーター警部は片目をつぶった。

「おまけに死んだ時に拘束されていた可能性まで出てきましてね。お嬢さん、あんたの異世界の記憶に火災捜査関連があれば助かるんだが」


 メロディは記憶を探った。警察ドラマの中には警察だけでなく消防や救急まで含めたシリーズもあった。

「火災現場で燃え方が他より激しい場所があれば、燃焼促進剤を使った可能性があります。つまり、油などを撒いて火をつけたかも。建物に木材を使用していれば、炭化して鱗状になった凹凸が深い部分が強く燃えた箇所で火元の可能性が高く、柱の角が丸くなっている方向から火が広がった。それくらいしか覚えていません」


 それを聞き、警部は背後を振り向いた。

「どうだ、俺の言ったとおりだろ」

「こんな子供に知恵を借りるとか正気かと思ったがな」

 彼の隣に新たな人物が座った。

「紹介しますよ殿下、お嬢さん。こいつはマイク・ベイル。消防局の奴で俺とは長い付き合いでね」

 薄茶色の髪を短く刈り上げた男性が、呆れたような目を子爵令嬢に向けていた。

「うちのベテランの知識をどうやって習得したんだ? 学園で教えてる訳じゃないだろう」

「あ、その…、実はCSI部の部長なんで……、あ、こちらのモーリス様が副部長です」


 いきなり話を振られ、大公の息子が迷惑そうにメロディを見た。

「CSI?」

 当然ながらベイルは怪訝そうだった。

「あ、科学捜査研究部です。個有者(タラント)平常者(ナチュラル)も同様に事件捜査をできる技術開発を目指してまして」

 ここぞとばかりにアピールする少女に、消防局のチーフは気圧されたように頷いた。

「確かに、消火活動に天賦(ギフト)がどうこうは関係ないが。大雨でも降らせてくれる個有者(タラント)がいるならともかく」


 メロディは芝生の広場に顔を向けた。

「ライトル伯爵のご子息は危険察知の天賦(ギフト)をお持ちのようです。他の人や動物からも感じられるとみていますが」

 ほう、とベイルは感心したような顔になった。

「伯爵家の御曹司でなければスカウトしたいところだ。毎年殉職者を減らす努力はしているんだが…」


 苦い記憶を噛みしめるような彼に、メロディは同情した。科学捜査や技術が発達していた異世界ですら、消火救助活動は死と隣り合わせだ。

 しみじみとした空気をカーター警部ののんびりした声が変えた。

「それで、リオネル区の火災現場で出た変死体だが、残っていた入れ墨の一部がどうも外国の組織のものと似てるんで、外務省巻き込んだ話になるかも知れないんですよ」

「ギャングですか?」

 タトゥーで所属を明らかにする組織が多い異世界では入れ墨のデータベースまであったとメロディは思い出した。

「反政府組織だ」


 警部の回答に、さすがにメロディとモーリスは驚いた。そして、次の言葉に動揺することとなった。

「それがライトル伯爵子息誘拐事件の重要参考人の特徴と一致するんです。飲んだくれで有名だったポン引きのボブにね」

「…ジャックのお父さん」

 CSI部の二人は思わず顔を見合わせた。ジャック――ジャスティン・ライトルの身元が判明すると同時に姿を消した男が殺されたとなると、ただの殺人放火事件とは思えない。

「お母さんの方は?」

「それらしい女の死体はなかったが、同居人に赤毛の中年女がいたという証言があったから逃げたとみて間違いないだろう。あの手際は一人の犯行とは思えないし」

「ジャスティンにはつらい知らせですね」


 モーリスが気の毒そうに言った。警部は幾度も頷いた。

「この手のことを遺族に伝えるのが一番きついですよ。重大犯罪課の個有者(タラント)たちは刑事課を雑用扱いで、面倒ごとを平気で押しつけますからね」

 メロディにとっては異世界の警察ドラマで何度も聞いた言葉だが、直接聞くと重みが違う。

「きっと、ジャスティン様のご家族が支えてくださいます」

 紳士的な父親と優しい母親、可愛い妹に忠実なマディ。彼らと共に乗り越えてくれることを願うしかなかった。そして、入れ墨に関して思い出したことを彼女は告げた。

「入れ墨に使用したインクに鉛などの重金属が含まれていれば、それに反応するもので全体の模様が分からないでしょうか」

 この世界で高圧電流は使えない。放射性物質の研究がどこまで進んでいるかが頼りだが。

 カーター警部は驚いた顔をした後、いつもの食えない笑顔で礼を言った。

 お茶の時間が終わると彼らはそれぞれの家や職場に戻っていった。給仕の者がテーブルを片付ける時に、ソーサーの下に置かれた紙片を素早く手のひらに隠した。カーター警部の席にあったそれは裏に何かが書き込まれた名刺だった。

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