13 激しい愛はやっぱり痛い
ロンディニウム学園でしばらくは注目を浴びていたCSI部だったが、月が変わる頃にはそれも落ち着いた。
「やっと新聞部も静かになった」
これで科学捜査を次の段階に進められると、メロディはほっとした気分だった。
「ライトル伯爵家のジャスティンはあれから家族に馴染んだのかな」
モーリスが気掛かりそうに言った。
「大丈夫ですよ。マディの散歩の時間にヨーク公園で会って話を聞いてますけど、エディス様がとても懐いてらして兄妹仲は良好みたいです。ご両親とはまだ少しぎくしゃくしてるようですけど、時間の問題じゃないですか」
「そうか。家族に味方がいるなら安心だな」
「例のエディス様のクズ婚約者とは話自体が白紙になりそうですし」
「伯爵家に入る必要がなくなったのだから当然だ」
いつも温厚な彼の言葉に棘があるのは、やはり伯爵令嬢の婚約者の問題行動のせいだろう。
「ジャスティン様はお喜びでしたよ、妹君も。しつこくするならマディをけしかけてやるとおっしゃっていました」
微笑ましい兄妹愛に二人は笑った。
笑い話ですまなくなったのはそれから数日経過した放課後、学園の廊下でメロディはいきなり呼び止められた。
「お前、妙な部活をしている奴だな」
制服に最上級生のエンブレムがある男子生徒だった。
「どちら様でしょうか」
怪訝そうに子爵令嬢が尋ねると、男子生徒は不機嫌さに拍車を掛けた。
「僕を知らないだと? ハミルトン侯爵家のギルバートだ」
覚えておけと言わんばかりの言い草に、メロディの反抗心が急上昇した。
「で、恐れ多い侯爵家のご子息が、子爵家の者ごときにどのようなご用件でしょうか」
廊下を行き交う生徒たちは彼の横柄な態度に不快そうな表情を隠さなかった。相手のへりくだった言葉を嫌味と気付かないのか、男子生徒は当然とばかりに言いつけた。
「お前が余計なことをするから我がハミルトン侯爵家の一員が恥をかかされた。すぐにライトル伯爵家に行って詫びてこい」
「……」
沈黙するメロディに、彼はさらに嵩にかかった言葉を投げつけた。
「おい、聞いているのか?」
「聞いてますけど、ローディン語なのに意味不明なので戸惑っています」
「何だと?」
いきり立つ男子生徒に彼女は指を突きつけた。
「まず、恥をかいたのは誰ですか? その原因は? 私がお詫び行脚をする理由は? 要点をはっきり言ってください」
「口答えなど許した覚えはないぞ、言われたとおりにしていればいいんだ!」
「私は思考を読み取る天賦は持ち合わせていません。そちらは人に説明する言語能力をお持ちでないようですが」
メロディの切り返しに彼は言葉に詰まった。周囲でくすくすと笑う声がしたのに侯爵家の息子はいきりたった。
「うるさいっ!」
彼が衝動的に手を振り上げるのに、メロディは内心ほくそ笑んだ。
――よーし、証人はバッチリ。最小のダメージで最大の弱み握ってやる。
単調な平手打ちの軌道など楽に読める。受け流していかにも不当な暴力を振るわれましたとアピールすればこちらの勝ちだ。
さあこいと待ち構えたが、男子生徒は動きを止めた。その背後から長身の生徒が彼の手首を掴んでいた。
「女子生徒相手に校内で暴力沙汰か。留学生もいるのにローディン貴族の名誉を汚すつもりか?」
「モーリス様」
意外な乱入者にメロディは目を瞠った。大公家の一人息子は彼女に苦い顔をすると、侯爵家の子息の手を握ったまま歩き出した。
「話は部室で聞こう」
三人はやたらと注目を浴びながら廊下を歩いた。
部室では、今日も元気に王太子と公爵令嬢と平民娘の三角関係バトルが勃発していた。平民組の二人は早々に逃げ出したのか姿が見えない。
「だから、殿下は私の婚約者だと言っているでしょうが!」
「恋は野の鳥なのにひどいっ」
「ローストにされたいの?」
「まあまあ、ジョセフィン。愛は止まらないんだよ」
「そもそも、殿下が女の子と見ればいい顔なさるからですわ」
ヒートアップする一方の言い合いに、モーリスがうんざりした声でストップをかけた。
「一時停戦してくれ」
「どうした、モーリス。そちらはハミルトン侯爵家のギルバート卿だな」
「さっき、カズンズ嬢に暴力を振るおうとした」
さすがに女子二人は息を呑んだ。珍しくジュリアス王太子が眉間に皺を寄せる。
「短慮だな、ギルバート卿。女性を大事にしないなど言語道断だぞ」
「殿下は大事の度を超して問題を大きくしているのですけど」
マールバラ公爵令嬢が呟いた。それに気づきもしない王太子は嘆かわしそうに金髪を掻き上げた。麗しい仕草にメアリ・アンがうっとりする。
ギルバート・ハミルトンを椅子に座らせて、モーリスが事務的に言った。
「状況を把握したい。君がカズンズ嬢に怒っている理由は?」
「決まっている。ライトル伯爵に息子と詐称するスラムの浮浪児をあてがったからだ」
この面子の前で態度を変えないのはある意味立派だとメロディは妙な感心をした。モーリスが辛抱強く反論した。
「それは指紋を同定しただけで、本人確認は伯爵と夫人が自ら確認された。ちなみに指紋照合には僕もジュリアスも参加していたのだが」
自分の発言は王太子が詐欺の片棒を担いだと断罪するも同然と気づき、ギルバートは顔色を変えて黙り込んだ。
「つまり、ジャスティン様がエディス様の婚約解消に一役買ったと」
ようやくメロディは彼の怒りの原因を理解できた。ギルバートが忌々しそうに口を開いた。
「あの野蛮人はマーカスに跳び蹴りした挙げ句に踏みつけて二度と令嬢に会うなと脅したのだぞ」
やりそうだとCSI部の誰もが思った。
「それはエディス様がマーカス様との婚約を嫌がったからですよ」
「何故だ、ハミルトン侯爵家の息子が伯爵家に入ってやるのだぞ」
「たとえ王族だって、機嫌が悪いと女の子を叩く奴なんて願い下げですよ」
「何だと?」
再び激昂する侯爵令息を、モーリスが肩を押さえて落ち着かせた。メロディは更に追い打ちを掛けた。
「レディ・エディスから直接聞きました。クソ野郎と結婚なんかしたくないと」
部室が沈黙した。部員たちは反応に困り、侯爵の息子は唖然としている。その場を収めたのは意外にもジュリアスだった。
「どうやら、ギルバート卿の弟は兄の態度を手本にしたようだな。それでは女性のデリケートかつ複雑なハートは手に入らない」
蕩々と愛について語られ、ハミルトン侯爵の息子は次第に胡乱な顔になっていった。ジュリアスは彼の肩を軽く叩いた。
「よし、特別に私がご婦人の扱いを伝授しよう」
「ギルバート卿、真面目に聞く必要はありませんからね」
ジョセフィンが処置無しと言いたげに忠告した。王太子は侯爵の令息を連れて意気揚々と部室を出て行き、メロディがぼそりと呟いた。
「もういっそ、弟込みで殿下色に染めてほしいんですけど」
「恐ろしいことを言うな、彼一人でも持て余してるのに」
嫌そうにモーリスが言い、取り残されたジョセフィンとメアリ・アンが力なく笑った。
下校時に、メロディはモーリスに気掛かりなことを尋ねた。
「もし本当にジャスティン様が婚約解消に関わっていたとしたら、伯爵ご夫妻と確執が生まれたりしないのでしょうか」
彼も同様の懸念を抱いていたようだった。
「それは僕の方から伯爵家に事情を聞いてみるよ。彼が何をしたにせよ、妹のことを思っての行動に違いは無いだろうし」
「ですよね」
次にヨーク公園で会えたら聞いてみようとメロディは考えた。
「うん、あいつうちに来て偉そうな態度でエディスを泣かせたから、腹に跳び蹴り食らわしてひっくり返ったところを踏んづけて、タマ潰されたくなかったら二度と来んなって言っといた」
「……勇敢ですね」
週末のヨーク公園。好天に恵まれた中で散歩中のメロディに、ジャスティンはあっさりとことの顛末を話してくれた。
想像以上のバイオレンスぶりに、子爵令嬢はどうしたものかと思案した。
「マーカス様の兄上が学園にいるのですが、この前因縁つけられました」
「げっ、兄貴までクズかよ」
笑顔でノーコメントを貫き、メロディは探りを入れた。
「ご両親に怒られませんでしたか?」
「うん、いきなり暴力に訴えるのはよくないって言われた。でも、エディスが嫌がってるのに気付かなかったのは自分の責任だって」
「そうですか」
紳士的な伯爵らしいと納得し、改めてメロディは考えた。
――ライトル伯爵家が飛び抜けた資産家だという話はお父様に聞いても無さそうだった。なら、この子が誘拐された理由は何だろ? 領地のお屋敷の警備はしっかりしてそうだったのに。
それが伯爵本人の疑問であるとは、彼女は知るよしもなかった。