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12 ぼくの妹はヤバい単語から覚える

 廊下に座り込み、ジャックは数回しか顔を合わせてない妹と話し込むという想定外の状況に陥ってしまった。

 エディスは兄を見習うように隣にちょこんと座り、嬉しそうに話しかけた。

「乳母やが話してたの。お兄様が戻ってきたから、エディスは無理にマーカス様と結婚しなくていいって」


 ジャックは目を剥いた。金褐色の髪がくるくると渦巻く人形のようなエディスは、冗談を言っているようには見えない。

「結婚って、お前、その年でそんなのいるのかよ」

 エディスはこくんと頷いた。ジャックは頭を掻いた。

「そっか、たまに女公爵とかいるからな。そん時は強い奴を選んどかないとシマが荒れるもんな」

 スラムで亡夫のシマを受け継いだ姐さんが必死で役に立つ男を探していたことを思い出す。ただ、結婚話がなくなりそうなのににこにこしている妹の様子が引っかかった。


「いいのかよ、そいつと結婚できなくなっても」

 エディスは真剣そのものの顔で頷いた。

「マーカス様はすぐに怒るし、気に入らないとエディスの髪をひっぱってお母様が見てないところで叩くの」

「はあ? 何だよ、そのクズは」

 八つ当たりだか優位性を示したいのか知らないが、スラムでもアル中の親レベルの所業だ。


 義憤に駆られた後、ジャックは気付いた。自分が逃げ出せばこの子がずっとクソ野郎に耐えなければならないことに。

「…脱走計画はなしか」

 彼は隣の妹に顔を向けた。

「俺が伯爵になったら、そのクソ野郎に苛められなくなるんだな」

 エディスは大真面目に頷いた。

「だったら、おまえを助けてやるよ」

 立ち上がり、手を差し伸べると妹はぱっと笑顔になった。小さな手が彼の荒れた手を掴む。その温かさが、ここにいていいのだと言っているような気がした。


 ジャックがエディスと一緒に両親を探していると、家の中が慌ただしくなった。伯爵夫人が二人を見て招き寄せた。

「ああ、ジャスティン、エディス、ここにいたのね。もうじきモーリス殿下がお見えになるのよ。お行儀良くしてね」

 誰だろうかとジャックは首をひねったが、伯爵家がこの緊張ぶりだ。相当な大物だろうと覚悟した。


 ホールで家族と並び、玄関が開けられるのを待つ。現れたのは見覚えのある少年だった。

「あの時の兄ちゃん」

 フェスティバルで彼の指紋を採ってくれた人だ。その隣には魔法のような指紋照合を見せた丸眼鏡の少女がいる。驚く彼の前で父が進み出ると制服姿の少年に礼をとった。

「わざわざのお越し、光栄に存じます」

「急なことですまない、ライトル伯爵」


 モーリスは突然の来訪を詫び、ジャックに笑いかけた。

「元気そうだな。そちらはご令嬢か?」

 頷くジャックの耳に、懐かしい声が聞こえた。小型犬の甲高い吠え声。

「…マディ?」

 メロディの背後から、垂れ耳の小さな犬が走ってきた。思わず飛び出したジャックはスラムの相棒を抱きしめた。

「マディ!」


 犬は細い尾を必死に振りながら彼の顔を舐めた。

「ごめんな、置き去りにして。……お前、やけに綺麗にしてもらったんだな」

 メロディがメイドたちと一緒になって洗い、手入れしたおかげでマディの短い被毛は艶々している。ジャックはおそるおそる両親を仰ぎ見た。

「……あの、こいつ、スラムで俺がずっと面倒見てて…」


 伯爵は微笑み、息子の肩に手を触れた。

「殿下から聞いているよ。この犬がいた方が新しい生活に慣れやすいかもしれないと提案していただいた」

 目を輝かせながらエディスが父に尋ねた。

「この子もうちの子になるの?」

「そうだよ。ちゃんと可愛がってやれるかい?」

「うん!」

 大喜びで小さな妹は兄と並んで犬を撫でた。


 伯爵邸のテラスでモーリスとメロディは当家の兄妹と一緒にお茶の時間を楽しんだ。伯爵夫妻は警視庁からの使いから捜査状況を聞いている。

 大体の情報はジャックにも教えられ、今はジャスティンと呼ばれる少年は複雑な事情にため息を漏らした。

「そっか、お袋も親父もトンズラしてたのか」

「君の誘拐の実行犯でなくとも、関係者または何らかの事情を知っていた可能性が高いな」

 モーリスは複雑そうな顔をする少年に告げた。

「ただ、彼らは善人ではなかったかも知れないが、君を捨てることも殺すことも出来たのにそうしなかった」

「……そうだよな、ガキ一人でも食い扶持増えると大変なのに」

 スリの稼ぎが悪いと怒鳴られたり物が飛んでくることは日常茶飯事だが、少なくとも積極的な虐待行為はなかったと少年は思い出していた。


 メロディはエディスとお茶を楽しんでいた。素直で愛らしい彼女に自然と頬が緩んでくる。小さな伯爵令嬢は天使のような笑顔で言った。

「お兄様が戻ってきてくれたから、エディスはもうクソ野郎と結婚しなくていいの」

 子爵令嬢は固まり、そっとジャスティンに視線を向けた。少年は必死に知らない振りをしたが、咎めるような空気に耐えられず渋々白状した。

「…だって、マーカスとかいう野郎がこいつを陰で苛めるから」

「マーカス……、ハミルトン侯爵家にご令嬢くらいの歳の子息がいたな」

 モーリスが呟き、状況を察したメロディが少年に言った。

「エディス様を助けるためにここで頑張るのね。偉いわ」

「別に。女の子を叩くようなクズが嫌いなだけで」

「エディスもクズ嫌い!」


 嬉しそうに賛同する伯爵令嬢に、メロディはこわばった笑顔で忠告した。

「レディ・エディスがスラム用語を覚える前にマナーを習得してね」

「……何とかしてみる」

 反省する彼に、メロディは小声で尋ねた。

「ジャスティン様…、ジャックはスラムでどうやって稼いでいたの? ああ、ただ確認したいだけだから」

「……スリやってた」

「警察に捕まったことある?」

「ヤバかったのは何度もあるけど、何とか躱して逃げた」


 しばらく考え込んで、メロディは頭の中を整理するように語った。

「もしかしたら、それがあなたの天賦(ギフト)なのかもね。危険を察知したり回避する予知が働いたり。マディと一緒なのは、その方が上手くいくから?」

「何で知ってんの?」

「そういう種類の天賦(ギフト)は他人の不安や動揺に敏感になるの。動物まで範囲が広がるのは初めて聞いたけど。学園に通うようになれば学べるわよ」

 自分の天賦(ギフト)など考えもしなかったジャックは呆然とした。

「…運がいいって言われて、いい気になってた。たまたまそういうのを持ってただけだったんだな」


 しばらく俯いていた少年は、顔を上げた。隣でお菓子を食べている妹の頭に手を置き、メロディたちに向けた彼の表情はどこか違っていた。

「ここで、『ジャスティン』になれるように頑張ってみる」

 モーリスとメロディは同時に頷いた。

「大変だろうけど、ご家族は協力してくださるわ」

「貴族間で何かあれば遠慮無く言ってくれ」

「兄ちゃん、じゃなかった、殿下もマディのこと本当にありがとう。もう会えないと思ってたから」

 その足元では、小型犬がもらった骨を上機嫌でかじっている。


「僕じゃない、カズンズ嬢が思いついたことだ」

 ジャスティンはメロディに向けて深々と頭を下げた。子爵令嬢は慌てた。

「そんな、ただ、この子が寂しそうだったから何とかならないかと思っただけで。それに、伯爵にマディを連れてくる許可を取ってくださったのはモーリス様だから」

 少年は笑い出した。そして、二人に向けて拳を差し出した。

「俺たち、ダチだよな」

「『お友達』ね」

 そう言いながら、異世界のドラマ気分でメロディは彼と拳を合わせた。律儀なモーリスも見よう見まねで同じようにする。

 エディスもそれに加わり、伯爵家のお茶の時間は和やかに過ぎていった。


 ライトル伯爵が受けた報告は、子供たちより遙かに物騒で深刻だった。

「では、息子を誘拐した組織の全容はまだ解明されていないということか」

「はい、伯爵」

 キャメロット警視庁から使わされた刑事は神妙に頷いた。伯爵は天井を仰ぎ、当時を振り返った。

「あの時、数えきれないほど考えた。どうしてジャスティンが、ライトル伯爵家の何が犯罪者の標的になったのかを。金だけなら一度受け渡しに失敗した後音沙汰がないのは何故かと」

「現金以外の要求はなかったのですね」

「そうだ。おかげで友人たちには遠巻きにされたよ。皆、次は自分かもと戦々恐々になっていたな」

 自嘲気味な伯爵に、刑事はあることを告げた。カーター警部が立てた仮説を。


 やがてモーリスとメロディは伯爵家を辞去した。玄関外まで見送ってくれた兄妹に手を振り、メロディはふと二階の窓に伯爵が立っているのに気付いた。その表情は、思わず天賦(ギフト)で凝視してしまうほど暗かった。


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