1 けんかをやめて……いや、マジで
――……オワタ。
子爵令嬢メロディ・カズンズは階段に突っ伏し絶望した。
彼女の現在地はローディン王国首都キャメロットにあるロンディニウム学園、南校舎の第二階段。
これまで十七年間、異世界の記憶があることを隠して下っ端貴族令嬢ライフをそれなりに楽しんできたのに、よりによって高飛車公爵令嬢とゆるふわ平民娘とポンコツ王太子の三角関係ど真ん中に放り込まれてしまったのだ。
「私に濡れ衣を着せるつもりですの? 何という侮辱!」
「私、被害者なのにひどいっ」
「メアリ・アンは突き飛ばされたと言っているのだぞ」
「一方の言葉だけ信じるのなら、マールバラ公爵家の名にかけて正当な捜査を要求しますわ!」
「公爵家の権威を使うなんてひどいっ」
「ジョセフィン、いい加減に」
「殿下はお黙りになって。私はこの者と決着を付けなければならないのです!」
「脅すなんてひどいっ」
怯えた声を出して平民娘は殿下の影に隠れたようだ。ようだ、というのはこれまでの会話が全てメロディの頭の上で飛び交っていたためだ。
子爵令嬢は溜め息をついた。誰かの名を呼び続けながら行き倒れた経験は異世界でも現実でもなかったが、今は切実に訴えたいことがある。意を決して彼女は行動に移った。
「……あのー」
突然下方から聞こえた恨みがましい声に、三人はぎょっとした。メロディはなるべく波風立てないよう穏便に頼んだ。
「その…、痴話ゲンカ、いや、ディスカッションの邪魔をするつもりはないのですが、できればそのケツ、じゃなくて、お尻を私の背中からどけてくれませんか」
彼女は平民娘ことメアリ・アン・フィリップスの下敷きになっていたのだ。きゃっと小さな悲鳴をあげてメアリ・アンが飛び退いた。腕立て伏せのようにしてメロディはようやく起き上がることができた。
制服の埃を払い、あちこち跳ねまくる栗色の三つ編みお下げを払い、大きな丸眼鏡の位置を直すと、彼女は呆気にとられる三人からそそくさと距離を取ろうとした。
「あ、それでは続きをどうぞ」
くるりと背を向けた瞬間に、背後から制止の声が複数上がった。
「待て!」
「待って!」
「お待ちなさい!」
ぴたりと動きを止め、メロディは世にも嫌そうに振り向いた。
「……何ですか?」
三人は子爵令嬢を取り囲んだ。
「何で君がこんな所にいるんだ?」
「いつの間にか私の下にいたなんてひどいっ」
「あなたは貴重な証人ですのよ!」
仲悪いクセにどうしてチームワークがいいのだろうかとメロディは哀しげに考えた。溜め息をつき、とりあえず説明を始める。
「何でって、帰ろうとしたら上からフィリップスさんが落ちてくるのが見えて、つい、受け止めようとした結果ですよ」
「……どうして受け止めようとしたのだ」
珍獣を見るような目をする王太子に、メロディは小鼻を膨らませた。
「美少女が降ってきたんですよ、受け止めようとするでしょ普通。ま、結果は巻き添え食らって階段落ちでしたけど…、いやー、E=mc2舐めてました」
ぶつけた肩や背中を動かしながら言うと、メアリ・アンが涙目になった。
「私が太ってるなんて、ひどいっ」
「君、彼女に謝罪したまえ」
「『美少女』にはノーリアクションですか」
せっかくリップサービスしてやったのにと首を動かしていると、今度は公爵令嬢に肩を掴まれた。
「なら、あなたは見ていたのですね、彼女が落ちるところを」
「……はあ、まあ」
必死の形相で詰め寄られ、メロディは胡乱な顔で頷いた。公爵令嬢は勝ち誇ったように王太子を振り向いた。
「この人が私の無実の証人ですわ!」
「……え?」
間の抜けた声が出てしまったが、三人はそれどころではない様子だった。
「このメアリ・アンを階段から突き落としたのが君でないというのか?」
「当然ですわ!」
「私が嘘つきだなんてひどいっ」
「あなた、被害妄想も大概になさい!」
「そうやって責めるからだろう」
その後は誰も人の言うことを聞かない堂々巡りで、たまらずメロディは割って入った。
「はいはい、後日検証しますから、今日の所は解散しましょう。私はとばっちりで全身打撲なんですよ」
いかにも痛そうにアピールすると、三人は渋々停戦を受け入れた。そして翌日この場所で会うことを確約して別れた。メロディは疲労困憊状態で帰宅した。
「あー、それはお気の毒様」
翌日、いつになく元気のない様子で登校したメロディに、同じクラスのノーマが同情してくれた。
「で、犯人は誰だと思う?」
「分かんないよ」
目をキラキラさせて迫ってくる彼女に、メロディはうんざりした声を出した。婚約中の王太子と公爵令嬢の間に割って入った平民娘のことは学校中の話題になっている。メアリ・アンの可憐さに王太子が首ったけ状態だということも。
メロディは三つ編みのお下げを揺らして首を振った。
「こっちは落ちてくるフィリップスさんを受け止めるのに必死だったんだから」
肩や背中に貼った湿布薬が自分でも泣けるほど臭い。ノーマもいつもより距離を取っている。反対側からクラスメイトのジャスパーが質問してきた。
「でも、あの三人がバリバリにやり合ってるのは学園内で知れ渡ってるし、何だか今さらって感じだよなあ。何か目撃したのか?」
商家の娘のノーマと彼女の幼馴染みのジャスパーはメロディと家が近く、学園でも気の置けない話が出来る仲間だった。
「目撃、ねえ…」
大きな丸眼鏡の縁に触れ、メロディは昨日の状況を思い出そうとした。
「何しろあっという間だったから。悲鳴が聞こえて上を見たらフィリップスさんが落ちてきて…」
「犯人は階段の上にいたんでしょ?」
「状況からしたらそうなんだけど」
歯切れの悪い返答に、二人は詰め寄った。
「何かあるのね」
「さっさと吐いて楽になろうぜ」
「何尋問してるのよ」
両手で彼らを突っぱねると筋肉痛と共に昨日の約束が思い出され、子爵令嬢は盛大な溜め息をついた。
「殿下やご令嬢たちに説明しなきゃ…」
「大丈夫、あたしも付いていくから」
「俺も見物、いや応援するから」
役に立つ気皆無の友人たちに、更に溜め息を誘発されるメロディだった。
放課後は無慈悲に訪れ、嫌々ながらメロディは落下現場である学園南棟の第二階段に赴いた。そこには既に関係者三人が一触即発状態で待ち構えていた。
「うおー、本当にいるよ。殿下にマールバラ公爵令嬢にフィリップスさん」
「しっ」
興奮気味にジャスパーが囁き、ノーマに足を踏まれた。メロディは仕方なく王太子ジュリアスの前に進み出て自己紹介をした。
「カズンズ子爵家二女メロディです、殿下」
鷹揚に王太子は頷き、本題に入った。
「早速だが、君が昨日この場所で目撃したことを教えて欲しい」
「目撃と言いましても、私が帰宅しようとここを通りかかった時悲鳴がして、驚いて上を見たらフィリップスさんが落ちてきたのです」
王太子はそれみたことかと公爵令嬢に言った。
「君の無実の証人ではなさそうだな、ジョセフィン」
悔しそうに公爵令嬢はメロディを問い詰めた。
「あなた、他に何か見てるでしょう?」
「他にと言っても、昨日も同じような時間で同じような天気だったので、階段の上に誰かがいたなんて…」
仰向く彼女につられたように、その場の全員が問題の階段を見上げた。途端に誰もが眩しさに目を眇めた。
「そうか、夕日で逆光になるな」
「せめて曇っていれば…」
落胆の言葉を素通りさせながらメロディは考え込み、そしてメアリ・アン・フィリップスに尋ねた。
「あの時、フィリップスさんは後ろ向きに落ちてきましたよね。突き落とした相手は正面からやってきたのですか?」
ふわふわのブロンドを揺らしてメアリ・アンは首を振った。
「後ろからよ。いきなり肩を掴んで振り向かせて、物も言わずに階段に突き飛ばしたの」
「おかしいですね」
首をかしげてメロディは説明した。
「背後から接近したのなら、そのまま背中を押すなりぶつかるなりすればいいはずです。わざわざ振り向かせて顔を見せるなんて…」
「確かに、不自然だな…、メアリ・アン、相手はジョセフィンで間違いないのだろう?」
全員に注目されて平民娘は口ごもった。
「……それが、逆光で顔はよく分からなくて…、でも、ジョセフィン様と同じ色の髪でした」
「それは、今ここにいるマールバラ様と同じ色ということですか?」
メアリ・アンは頷き、メロディは公爵令嬢に顔を向けた。
「マールバラ様、お手数ですが、一緒に階段上に行ってもらえますか?」
怪訝そうにしながらも公爵令嬢は従った。窓側に彼女を立たせて、メロディは更にメアリ・アンを呼んだ。
「フィリップスさん、あなたもこちらに」
「……はい」
有無を言わせぬ声に彼女も上に行き、王太子を挟んで抗争状態の二人は向き合った。
「今は昨日とほとんど同じ状況です。マールバラ様の髪はどう見えますか?」
メアリ・アンは息を呑んだ。公爵令嬢のプラチナブロンドは夕陽に染められ朱金になっていた。
「えっ? じゃあ、あれは誰なの?」
うろたえる彼女に誰も回答を持ち合わせず、赤い夕陽に照らされた階段は沈黙したまだった。