捕らえられた女騎士が頑なに「殺せ」と言うのでなんとか説得しようとした話
警備に立つ男たちに軽くうなずいて、リョウは扉に手をかけた。
重たいはずの扉は、するりと開く。
まるで力を入れている様子はないのに。
だが、男たちは驚かなかった。
リョウ・ミヤモト伯爵。
ランデール王国では知らぬもののない、有名人だ。
伯爵という地位によってではなく、その強さによって。
魔術を使えば王国一。
どんな魔術師も、その足元にすら及ばない。
威力も、精度も、術式も。
何をやっているのかすら、理解できない。
そのくせ剣の腕も一流。
噂では騎士団の団長と、純粋な剣のみの勝負で引き分けたことがあるという。
そんな人物だから、常人には動かすことも困難な扉を、音もなく、いとも簡単に開いてみせたとしても、驚くようなことではなかった。
鎧こそ着ていないものの、軍の制服に似た、実用のみを考えた服装。
伯爵であるにも関わらず、きらびやかさとは無縁のたたずまい。
腰には剣を下げ、それがピクリとも動かない、滑らかな体重移動。
戦うことが日常になっている人間の、張りつめた気配を漂わせていた。
リョウが扉のなかに消える。
そうしてようやく、男たちはホッとしたように息をはいた。
***
部屋のなかには女がいた。
鎧を着た、女騎士だ。
剣は奪われている。
だからこの女騎士には、もう戦うすべはない。
「ナナカ・リンドウだな?」
リョウが問いかける。
ナナカは床に落としていた視線をゆっくりと上げた。
「殺せ」
力なく床に座りこんでいる。
だが、何も話すことはないという強い意志が、そのひとことにこめられていた。
リョウは深いため息をついた。
「お前、ずっとそんな感じらしいな。捕まってから」
「……殺せ」
「何も喋らないって、お前を担当していた情報局のやつが、ぼやいてたぞ」
「殺せ」
「はあ……。あのなあ」
リョウは無造作に、ナナカへ近づいた。
ナナカを警戒する様子はない。
「俺も同じなんだよ」
「殺せ?」
「俺も、転生者だ」
リョウが告げた事実に、ナナカは返事をせず、また視線を床に落とす。
何かを考えているようでもある。
「お前とは知り合いでもなんでもないけど、おまけに敵の国の近衛兵だけど……でも同郷だからな。気になったんだよ」
「……殺せ」
ナナカが絞り出すように言った。
「こんなところにいつまでもいたって仕方ないだろ。なあ? だから喋ろうぜ? 喋れば解放される」
「殺せ」
「こっちは情報さえ手に入ればいいんだ」
「殺せ」
「悪いようにはしないさ」
「殺せ!」
ナナカは立ち上がり、リョウに詰め寄る。
「こんなこと続けたって何も変わらない。誰も助けに来ないぞ?」
「殺せ! 殺せ! 殺せえええ!」
ナナカが手を伸ばす。
「俺なら力になれる。こんな世界に放りこりこまれた数少ない同郷だろ……って、おい!」
「殺せ!」
リョウの腰に差した剣を、ナナカが奪おうとしていた。
「ちょっと、おい! こら! 引っ張るなよ!」
「殺せ! 殺せ!」
「痛い! ねじるな! 痛いって!」
ナナカは剣の鞘を握りしめ、リョウの腰に足の裏をあてて踏ん張って、奪い取ろうとしていた。
ベルトから引き千切ろうとしていた。
「痛い! マジで痛いから! 剣を奪おうとするにしてもだよ!? こんなに強引な方法ないでしょ!?」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「殺せ」に合わせて、ナナカが剣の鞘を持った腕を、上下に振り回す。
リョウの身体がガクガクと揺れる。
「こ・ろ・せ! こ・ろ・せ!」
「おい、やめ、ちょ、やめて……いい加減にしろ!」
リョウがナナカを突き飛ばした。
倒れこみ、床に手をついたナナカが悔しそうに言う。
「ッ……殺せ!」
「それはわかるよ。いまの『殺せ』はよくあるやつだよ。マンガとかで女騎士がよくやってたよ。でもほかの『殺せ』は、間違ってるからな……!『いや、完全におかしいでしょ?』ってやつが、何回かあったからな!?」
「殺せ!」
「頼むから、会話してくれよ……」
ため息をついたリョウは、部屋の隅にあった椅子に座った。
「別に世間話くらいしたっていいだろ……」
「殺せ」
「あっ、そうだ……。お前、『殺せ』って十回言ってみろよ」
「? ……殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ……殺せ、殺せ!」
「じゃあ『キテレツ大百科』の主人公は?」
「殺せ!」
「だよなあ……。そうなるよなあ。前の世界の話なら盛り上がったり、しないよなあ……」
リョウが頭を抱え込む。
「なんでそんなに喋りたくないんだよ?」
「殺せ」
「喋れば自由になれるんだぞ?」
「殺せ」
「帝国のお姫様がそんなに大事なのか?」
「殺せえええ!」
明らかにこれまでよりも大きな声の『殺せ』だ。
「ふーん」とつぶやき、リョウはナナカの全身を確認するように、視線を動かした。
「お姫様が、大事なんだな」
「殺せ! 殺せえええ!」
「というかお前、お姫様の逃亡先を知ってるな?」
ナナカは頭を振り回し、両手で床を叩いた。
何度も何度も。
鎧がガシャガシャと音をたてる。
そして叫んだ。
「殺せえええ!」
「いや、わかりやすすぎだろ……。完全に知ってるやつの反応だろ」
「殺せ……」
「言いたくないのはわかったが、別にお姫様を捕まえても殺さないからな。心配しなくてもいいぞ?」
「殺せ」
「いや、殺さないって。利用価値があるんだから」
またナナカはうつむいてしまった。
「ふむ」とリョウはうなる。
「な、教えてくれよ。お姫様の行き先はどこーー」
「殺せえええ!」
リョウの言葉を遮るように、ナナカが叫ぶ。
「いや、だからお姫「殺せえええ!」様」
「聞けって。お姫「殺せえええ!」様」
「落ち着けよ。ただお姫「殺せえええ!」様の」
リョウがため息をつく。
ナナカはタイミングを計るように、リョウの口元を見つめている。
待ち構えている。
「お姫「殺せえええ!」様」
「……おひな「殺せえええ!」さま」
「おひさ「殺せ……えええ?」ま」
「おにぎり」
「……」
「そうそう、おにぎりは殺さなくていいよな」
ナナカは唇をギュッと結んでリョウをにらみつけた。
騙された、とでもいうように。
「まあいいんだけどさ……さっきのだと、お姫様を殺せっていってるように聞こえるからな。実際そう言ってたとしか考えられないやつもあったからな」
ナナカはショックを受けた様子で後ずさった。
首を振る。
そして、言った。
「殺せ……ッ!」
「だから殺さないけど……」
ナナカは何かを決意した表情で自分の鎧に手をかけた。
ガチャガチャと動かし、なんとか腕の部分を外す。
そして、胴の部分もなんとかして外す。
「なんだ? 何を始める気なんだ……よ?」
ナナカは薄いシャツ一枚になっていた。
騎士だけあって、鍛えられている。
だが、ほどよくついた筋肉によって、女性らしい曲線は、かえって印象的に浮かび上がっていた。
むき出しのその肩をつかんだら、どんな感触なのだろうかと、リョウの視線が釘付けになってしまう。
皮膚はうっすらと汗ばんでいて、大きな胸が上下していた。
「どういうつもりだ……?」
ナナカは答えず、髪をかきあげる。
首筋を見せつけるように。
そして、人差し指を立てて首をトントンと叩く。
リョウを見上げた。
「殺せ」
「うん、だよなあ……。お前はもう、そうなんだよな……。『鎧を脱いで殺しやすくなったから、殺せ』ってことだよなあ」
ナナカがうなずく。
「殺せ」
「殺さないって言ってるだろ……」
とリョウは立ち上がった。
「そんなに頑張っても……無駄なんだよ」
「殺せ?」
「この部屋には魔術的な結界が張ってある。壁に薄い結界が浮かんでるの、わかるだろ? だから出られない。ここでは、お前は魔術も封じられている。肉体強化もできない。一般兵程度の力しか出せないのは、自分でも感じてるだろ」
「……殺せ」
「おまけに死ぬこともできない。外に神官が控えてるからな。死のうとしても、回復させるぞ」
「……殺せ」
「逃げられない。魔術も使えない。死ぬこともできない。だから、頑張っても無駄なんだよ」
「……殺せ」
「まあ、俺はちょっと散歩してくるよ」
とリョウは扉に手をかける。
「ひとりになって、冷静に考えてみろよ。俺に言われたことを思い出して」
「……」
「じゃあ、また来るから」
とリョウは部屋から出ていった。
残されたナナカはうつむいていた。
しばらくして、ゆっくりと立ち上がった。
歩きだす。
部屋の端にたどり着くと、壁に手を這わせる。
たしかめるように、じっくりと。
手のひらで軽く叩くが何も起きない。
次に入り口の扉へ向かった。
ノブは回る。
だが、開かない。
鍵がかかっているから、というよりも扉がまったく動かない。
壁の一部になったようだ。
ナナカは扉から離れた。
部屋の中央に、ぺたりと座りこむ。
そして、宙を見つめる。
あきらめた様子ではない。
必死に考えているようだ。
そして、ふと何かを思いたように、つぶやいたのだった。
「コロ……すけ?」