ソルサの神殿跡(8)
戦士達が剣を抜き、シルラニーナが弓に矢を番える。頃はよし、と見たアルフレッドが通路を進む。少し行くと、奥からの熱気が感じられるようになり、一歩行くごとに、それが次第に強くなる。ここにいるのは、赤いドラゴン――炎を纏うドラゴンだ、と彼は確信した。部屋の奥、右の方に見える巨大な影がそれだろう。
ドラゴンは、自分のねぐらに侵入者が入ってきたのに気づかぬ風だった。いや、眠っているわけではないドラゴンが、アルフレッドに気づいていないわけはない。ただ、慌てて排除するほどのものではないと見て、様子を見ているだけなのか。
「ホワイトキューブ!」
1辺が2メートル程の白い塊が空気中から現れる。塊は次から次へと現れ、アルフレッドの両側、彼から3メートルほど離れたところに次々と積み上がっていき、天井まで達すると、次に横の方へ――真ん中のほう、アルフレッドの頭上へと迫り出してきて天井を埋めていく。あたかも白い小部屋の中にアルフレッドが陣取った形になる。それに合わせて、辺りの気温が徐々に下がっていく。
「コーズコールド!」
アルフレッドの前方1メートルほどのところに冷気の塊が生じる。そこから無数の細かい氷塊が飛び出し、猛烈な風とともに前方へと吹き出した。それは辺り全体に広がり、ドラゴンの方へも強烈な冷気が押し寄せる。
「ううーっ、アルフの奴、なんて寒さだい!」
魔法は、周囲の環境それ自体を支配するもので、ドラゴンに直接向けられたものではない。そのため、魔法の耐性で冷気を無効化することは不可能だった。パーティーのいるところは、さほどでもないが、ドラゴンのいる辺りの気温は急激に下がっており、耐えかねたドラゴンが全身を震わせて起き上がるのが見えた。
「でかい!」
モンドが声を上げた。赤いドラゴンは、今までの2頭の倍の大きさはある。それが、ゆっくりと進み出してきて、アルフレッドを、そして、パーティーの方を睨み据えた。
「来るぞ」
ドラゴンの口が大きく開いたその瞬間、アルフレッドの周囲に組み上げられていた白い塊が一斉に崩れ、音を立ててドラゴンの頭上へと落下した。無数の塊がドラゴンの頭を強打し、粉々に砕け散る。開いた口の中にそのかけらが飛び込み、ドラゴンが慌ててそれを吐き出すのが見えた。
「続け!」
モンド、リディ、ヘルマンが武器を手にかけ出し、シルラニーナが矢を放つ。目を狙ったその矢は、ドラゴンが目を閉じ、瞼で弾き返される。
3人が駆け寄る間に、アルフレッドは魔法を振い続けていた。新しく作られた白い塊が壁のように組み上がり、再びドラゴンの上に落下する。塊が砕け散ってドラゴンの体に白い粉が振りかかり、ドラゴンの体に触れたかと思うと、瞬時に消え去る。それを避けるように、3人はアルフレッドから離れてドラゴンの左右から斬りかかる。
ドラゴンの周囲は、凍えるほどの冷気に包まれていた。それに抗うように、ドラゴンの体が放つ熱が風の中に混じる氷塊を溶かし、体を覆う白い塊を消し去っていく。白い塊は、氷よりも遙かに温度の低い、炭酸ガスの結晶だ。人が素手で触れればたちまち皮膚に張り付き、大きな損傷をもたらすことになる。それは、ドラゴンに対しても同じだった。炎を好み、暑い土地に馴染んだ赤いドラゴンにとって、この冷気の魔法はこの上なく相性の悪いものであり、それを操る魔法使いは、実に呪わしい敵だった。
不意に、ドラゴンの頭が正面を向き、アルフレッドの方に向く。次の瞬間、その口が大きく開かれる。
「息吹…!」
リディが叫ぶのと、ドラゴンの口から炎が吹き出すのが同時だった。炎の奔流がドラゴンの正面にいたアルフレッドに襲いかかる。それをまともに受け、アルフレッドの全身が炎に包まれた、と見えた瞬間、白い影が横合いから飛び出してきて、アルフレッドの体を弾き飛ばした。
「アラン!」
シルラニーナの声がその名を呼んだ。息吹の触れる前にアルフレッドをその射線から放り出したアランファルサートは、しかし、彼の代わりにドラゴンの炎をまともに全身に受けていた。
「アラン!」
ドラゴンに斬り付けながら、モンドが叫ぶ。アルフレッドの叩きつけた白い塊でドラゴンの体にはいくつもの傷が付き、更に3人の剣に切り裂かれて血が噴き出している。今、攻撃の手を休めることはできない。
「アラン、生きているか、アラン」
駆け寄ったのはランカスターだった。治癒魔法の心得のある彼しか、アランファルサートを救える者はない、と判断してのことだ。
「ディゾルブ!」
アルフレッドが魔法を床にかける。ドラゴンの足下で、石造りの床がみるみる崩れ、泥のようになっていく。それに足を取られ、バランスを崩してドラゴンが膝を突くと、その四肢が溶けた床の中に1メートルもめり込む。
「キャンセルマジック!」
その様子を見て、アルフレッドが魔法を解く。たちまちの内に崩れていた床が元のように固まって石となり、ドラゴンの足を4本ともその中に捉え込む。身動きのできなくなったドラゴンが叫び声を上げ、力任せに足を引き抜こうとする。床が激しく振動し、辺りが揺れるが、しかし、足は抜けない。3人の剣が、所を変えながら、次々とドラゴンの体を切り裂いていく。
「あっちは何とかなりそうだ、ラン、アランはどうだ」
ダグラスに言われながらアランファルサートを抱え起こしたランカスターは、驚愕を隠せずにいた。アランファルサートの見た目――175センチはある身長に比べると、その体重はないも同然の軽さだった。そして、ゆっくりと上がった、その顔。ドラゴンの炎で仮面が吹き飛ばされ、その下の素顔が覗いていた。目のない眼。歯がむき出したままの、笑ったような口。鼻の位置にある2つの黒い穴。ランカスターに向けられた顔は、淡い、青い光に包まれた骸骨だった。
「な…何(なん)としたことだ、これは」
かろうじて、それだけの言葉が口から出た。
ドラゴンの炎に焼かれたのか? 一瞬浮かんだその考えを、ランカスターは払いのけた。いくらドラゴンの息吹であっても、そんな悪魔的な力を持ってはいない。ならば、これは何だ。目の前にある、この顔は。
「…驚かせたようじゃな。
慌てて飛び出してしもうた。
後先も考えずに、の。
魔法を使うゆとりすらなかった。
不覚じゃった」
「怪我はないか」
それでも、ランカスターの口から出たのは、彼を気遣う言葉だった。
「大事ない。
あれしきのことで、わしは傷など負わぬ」
アランファルサートは体を起こすと、添えられていたランカスターの手をそっと押し戻した。
「話は後じゃ。
今は、ドラゴンの方に掛かろうではないか」
そう言って、ドラゴンの方を向いたとき、ヘルマンの剣に脳天を貫かれたドラゴンの上げる断末魔の叫びが辺りに響いた。その剣を引き抜いて、再び高く差し上げると、そのままヘルマンは、ドラゴンの首を切り落としていた。ズシ、という音がして、噴き出した血に押し流されるようにして、ドラゴンの頭部が床に転がった。
「やったぜ、さすがはヘルだ!」
ダグラスが叫ぶ。それよりも早く、踵を返してアルフレッドが駆け寄ってくる。
「アラン、大丈夫か!」
倒したドラゴンのことなど忘れたように走り寄ってきたアルフレッドは、アランファルサートの顔を見て、その場に立ち尽くす。
「アラン…」
その顔は、という言葉は出てこない。しかし、その顔に浮かんだ表情が彼の言わんとしたことを雄弁に語っている。
「どうしたのさ、アルフ、アランに何があったの」
「ラン、アランは大丈夫なのか」
残りの3人も戻ってくる。そして、アランファルサートの素顔を見て、一様に言葉を失う。
「見たようじゃな。
左様、この通り、わしは生きた人間ではない」
淡々と言いながら、床に転がっていた仮面を拾う。と、その時。
「へええ、本当だったんだ!」
「…何?」
ぱあ、っと顔を輝かせ、大声で言ったリディに、面食らったのはアランファルサートの方だった。
「さっき、自分で言ってたじゃない。生まれて1200年だ、もう生きていない、って。…やっぱり、本当だったんだね!」
「…そなた、あれを本気にしておったのか?」
「だって、あなたが自分で言ったことでしょ? どうして疑うの?」
アランファルサートは、何も言い返せなかった。もし、彼の顔が、人間のそれであったら、苦笑いを浮かべていたところだ。しかし、彼はやれやれ、というように首を振っただけだった。
「そのとおりじゃな。
これは、参ったわい」
「生きていない、ならば、非死の者…アンデッド?」
ランカスターの問いにアランファルサートは頷いた。
「貴殿のような存在を見たのは、小生は、初めてだ。アンデッドと言えば、意思のない死体か、人を見れば襲ってくる怪物ばかり。そう思っていた」
「アンデッドの魔法使いか。すごいね、それは。魔法でアンデッドになったのかい? ひょっとして、君はネクロマンサー?」
「違うな。
魔法でこのような身になったのは事実じゃが。
ネクロマンサーではない」
「じゃあ、やっぱり魔法でアンデッドになったのか。わあ、なんてこった。死ななくなれる魔法があるなんて、思わなかったよ。そんな魔法使いとお近づきになれて、アラン、僕はうれしいよ!」
「知性を持った生ける死者。貴方のような存在は見たことも聞いたこともない」
「そうかい、ヴァンパイア、なんてのなら、オイラは聞いてるぜ。あれは、それなりに知性がある、ってな」
「血を吸うアンデッドは邪悪。しかし、生死の理を捻じ曲げた存在のはずなのに、邪悪なものは、アランからは、感じられない」
やれやれ、とアランファルサートは嘆息――いや、呼吸はしないが、そんな思いで首を振る。
「よいのか?
わしは、アンデッド…怪物なのじゃぞ?」
「怪物? 人間でない、という意味でしょうか? それが、どうかしたのですか? それを言うならば、私も鬼、人間ではない。しかし、誰もそんなことは気にしません」
「あたしだってエルフだよ」
「…一度死んだ人間なのじゃぞ?」
「現に、こうして一緒にいるじゃないのさ」
彼等は人がいいのか、それとも、馬鹿なのか? あるいは、心底、明るいのか? アンデッドの自分を前にして、こんな風に振る舞うとは。ひょっとしたら、今の時代の冒険者というのは、皆こういうものなのだろうか? アランファルサートは、なんとも判断が付きかねていた。
「貴様には命を救われた恩がある。貴様が、実際にどんな奴でも、それは変わらないさ」
「それとも、お前、オイラ達と一緒に組むのが嫌なのか?」
「い、いや、そんなことは言わぬ」
「だったら、それでいいじゃねえか、よ!」
「…そうじゃな。
そなた達の言う通りじゃ」
「よし、それなら、貴様は俺達の仲間だ。わかったな!」
ああ、とアランファルサートは頭を振った。
「ところで、だ」
あらたまったように、モンドがアランファルサートに言う。仮面を戻しながら、アランファルサートがそれに耳を傾ける。
「貴様はどう思う? どうしてこんな、宝のかけらもない場所に、よりによって一番でかいドラゴンがいたか、だ」
彼の言う通りだった。これまでに遭遇したドラゴンたちは、いずれも申し合わせたように財宝の山を守るようにして、この神殿地下にいた。しかし、今いるこの場所は――一番巨大で最も年を経ているはずの赤いドラゴンの住処には、金貨1枚、水晶のかけら1つ転がっていない。
「たしかにそうだねえ。ドラゴンと言えば、お宝のそば、と相場が決まっているはずなのに、こいつはこんな何もないところにいた」
何もない、は言い過ぎだが、とアランファルサートは思う。奥に立っている神像は、美術品としての価値もそれなりに備えている。だが、たしかにドラゴンの興味を引くようなものでないことは間違いなかった。
さて、と思いつつ、アランファルサートはゆっくりと辺りを見回した。ドラゴンのいた場所の奥、その一番奥の壁に扉があるのが目に入る。
「あの扉の向こう、そこに何かがあるようじゃな」
「あれか。なるほど、他にはなさそうだ」
「だけど、あんな扉、小さくてドラゴンには通れないんじゃない?」
「あの姿のままでは、じゃな。
じゃが、ドラゴンには、自由に体を変えられる者もおる。
人間の姿になれば、十分通り抜けられるじゃろう。
もっとも、あのドラゴンがそうじゃったかどうかはわからぬがの。
それに、あれはドラゴンが入るための扉かどうかも、わからぬよ」
「え? それはどういうことなんだい?」
「単に、ドラゴンがあの扉の門番だった場合じゃな」
「つまり、あの扉の、ドラゴンは守護者だと」
「かも知れぬ、ということじゃ。
もっとも、あのドラゴン、時折あの天井の穴から出入りしておった節もある。
じゃから、当たっておらぬかも知れぬがな」
そう言いながら、一行は扉の前までやって来た。頑丈な造りの石の扉。表面に刻まれた文様から、扉らしいことはわかっても、押して開くのか、引いて開くのかも定かでない。
「一丁、押してみるか? 随分重そうだがよ」
「引っ張るところがないもんね。押すしかないんじゃない」
ならば、と扉に歩み寄ろうとしたヘルマンを、アランファルサートが止めた。
「触れてはならぬ」
「どういうことですか、アラン。何か危険なことでもあるのですか?」
そうじゃ、と頷く。
「この扉は、魔法で守りを固められておる。
うかつに触れれば何が起こるかわからぬ」
「へええ、わかるの、アランには。すごいね」
「魔力を感じ取る術があるのでな」
「それは魔法? それとも、アンデッドの持つ力なのか?」
「さて…、いずれじゃろうか。
正直、わしにもわからぬ。
はっきり言うて、どちらとも意識したことはないのじゃよ。
無意識のうちに魔法を使っておるのか、それとも魔法ではない力なのか」
「無意識に魔法を使ってる、だって? まいったな、これは。なんて、魔法の達人なんだい、君は」
「アルフよりもすごいんだね!」
「よしてくれよ、リディ、なんたって、彼は1200歳の魔法使いだぜ、年期が違いすぎるじゃないか」
「…で、どうなんだ? この扉は開くのか?」
「そうじゃな、ここは若い者に花を持たせようではないか」
「え、僕かい? いいね、やってみようじゃないか」
そう言いながらアルフレッドが扉の前に進み出る。
「デテクト・フォース!」
一声、小声で唱える。瞬間、その表情が打って変わって真剣なものになる。
「間違いない、魔力が充満してるね。さあて、僕の力でこれがやっつけられればいいんだが…」
そう言うと、大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。同時に目を閉じ、精神の統一を図る。
「キャンセル・マジック!」
ぱちぱち、と何かが扉の表面に踊ったと見えたのは錯覚だろうか。ゆっくりと目を開いたアルフレッドは、満足そうに頷いた。
「できたよ!」
「おお、見事じゃ。
そなた、なかなか見所があるのう」
「いやあ、照れるじゃないか。でも、君みたいな人にそう言ってもらえて光栄だよ」