ソルサの神殿跡(6)
「俺はモンド。アランファルサート、よろしく頼むぜ。俺の武器は、この長剣だ。それに、この盾。魔法の武器なんかじゃない、どこにでもある、ありふれた品物さ。どうせ、こんなものは消耗品だ。手入れはきちんとしてるけどな。戦ってるうちに、なくなることなんてよくあることさ」
「わたしはリディ。よろしくね。得意な武器は…、ん、剣ね。盾は使ってない。まだ、剣と盾を両方持って、上手に扱えないから。練習はしてるよ? でも、実戦は使い慣れた武器の方がいいかな、って。ああ、確かに実戦で使わなきゃうまくならないのはわかってるけど、まだ、なんか、ね」
「小生はランカスター。女神ジュランの僕。どうぞ、ラン、と。冒険に出たのは、自分を鍛え、経験を積むため。勧めてくれたのは、神殿の長殿。小生のいた神殿の、これが習わし。法術をいささか。少々の怪我なら、心配ご無用」
「僕はアルフレッド。アル、と呼んでくれていい。君と一緒に冒険できてうれしいよ、アランファルサート。長い付き合いになりそうだね。そんな気がする。得意な魔法かい? ファイヤースフィア、ライトニングボルト、アイスストーム、魔力をいろいろな形のエネルギーに変えて相手にぶつける魔法だね。こう見えても腕はいいんだぜ。童顔のせいで、経験不足に見られることが多いけど、信用してくれていい」
「あたしはシルラニーナ。ニーナって呼んで。人間じゃない、って、見ればわかるわよねえ。エルフは年齢不詳? って、よく言われるけど、人間にとってはそうなのかねえ。あたしはまだ若いよ。39歳。人間換算じゃなくってさ、これが実年齢なの。若いから、年齢は気にしてないんだ。もしかして、ひよっこじゃないかって思ってる? およしよ、何考えてるの。人間でもエルフでも、同じだけ生きていれば、同じだけの経験をするものよ? 寿命が長い分、年を取ればそれだけ経験が積める、長く生きたエルフは、人間よりもはるかにたくさんのことをして、たくさんの智慧を蓄える、ってこと。でも、あたしはまだ若いから、その辺は、まだ、人間と同じだ、ってことねえ」
「オイラの名はダグラスだ。ダグでかまわねえ。皆そう呼んでる。闇に潜み、人知れず動き回る、って言やあ格好がいいが、要は、盗人ってことだよな。まあ、そんなに馬鹿にしたもんじゃねえぜ。鍵開け、罠外し、抜け道探し、そんなことならお手のもんだ。任しといてくれ、損はさせねえからな。情報集めもオイラの得意だ。大きな声じゃ言えねえが、掏摸だって腕に覚えがあるんだぜ」
既に名乗っているヘルマン以外の仲間が、口々に自分のことを語って聞かせる。咄嗟の場合に呼びにくい、長い名前はやはり敬遠されているようだ、と思い、アランファルサートは自分のことはアランと呼んでかまわない、と伝えた。
「あなたのしゃべり方、随分おじいさんみたいね。歳はいくつなのかな?」
そう訊いてきたのは、一番若そうなリディだった。おじいさん、といわれて、アランファルサートは面食らった。
「わしの歳か?
…そうさな、生まれたのは、かれこれ1200年以上も前になるかのう」
冗談ではなく、本当の話だった。人としての生を受け、87年の生涯を終え、アンデッドとなって甦ったのが10年ほど前。アンデッドとなるための眠りの期間を加えれば、実際に1200年を超える時間が過ぎている。もちろん、リディが本当にするなどとは思っていない。
「やだあ! それじゃ、生きてるわけないでしょ」
「はは、そのとおりじゃよ。生きてはおらん」
嘘は言っていない。しかし、それに答えたのはリディの屈託のない笑い声だった。
さて、とアランファルサートはモンドの方に向き直って言う。
「わしの見たところ、ここにいるドラゴンは、あと2頭だと思う。
そなたの見立てはどうじゃ」
そうだな、と、頷きながらモンドが答える。
「間違っていないだろう。噂だと、緑、青、黒、赤の4種類のドラゴンが住んでいるということだった。だが、このドラゴンを見れば、多少は青く見えるとはいっても、ほとんど黒みたいなものだ。だとすれば、残りは緑と赤、2頭だな」
モンドは、アランファルサートがすでに1頭を仕留めているのに気づいていなかった。緑のドラゴンの居場所を知らずに通り過ぎているのだから無理もないが、だから青と黒が同じドラゴンだと思い込んでいるようだった。
(残りは、黒と、赤か…)
「次のドラゴンも、この先だろう。ここはどうやら昔の宝蔵(たからぐら)のようだ。ドラゴンが財宝をため込むにはもってこいの場所だからな」
「なるほど、財宝か」
「知っていると思うが、ドラゴンというのは強欲だ。貯められるだけの財宝をため込んで、その上で寝るのが好きな習性がある」
「そうじゃな、確かにその通りじゃ」
「ここのドラゴンも、俺たちが来た時には眠っていたんだ。おかげで、最初のイニシアティブが取れたのさ」
「そうれは幸運じゃった。
じゃが、次もうまくいくかの」
「わからないさ。…だが、多分だめだろう」
「ほう?」
「俺たちがここへ降りてきたときは、ドラゴンのでかい鼾が響いてたんだ。遠くからでもよく聞こえたからな」
「なるほど?」
「しかし、もう鼾は聞こえない。近くにドラゴンがいて、眠っているなら鼾が聞こえてくるはずだろう?」
「確かにそうじゃな。
何も聞こえぬ」
(なるほど、緑のドラゴンの方へ行かなかったのは、鼾を頼りに進んだからか)
ひそかに、アランファルサートは得心する。
「だから、みんなもそのつもりでいてくれ。次は、きついぞ」
「最初の一撃が与えられるとは限らない、ってことだね」
「それは覚悟の上でしょう。ここが、たまたま運がよかっただけのことだ」
「なあに、相手の居所さえ先につかんでしまえば何とかなるだろうぜ」
「だったら、いいけれどねえ」
「まあ、任しといてくんな」
そう言って、ダグラスが先に進む。
足音を忍ばせ、地上から差し込む日の光を避けながら、薄暗い影になったところを探すようにして次の宝物庫の扉を目指して進んでいく。ところどころ、壁や床の崩れたあたりまで来ると、そこで止まって、周囲の様子を窺う。もろくなって壊れやすい箇所を調べ、不用意に崩れかけた床を踏んで物音を立てないように注意を払う。
逆に、崩れた様子のない、きれいな状態の壁や床では、表面を注意深く探り、罠が仕掛けられていないか、あるいは隠し扉の類がないかを確認していく。アランファルサートが頓着したことのない類の注意深さだ。少々の罠やモンスターに遭遇しても、害を受ける気遣いのないアランファルサートと違って、人間のパーティーには、細かいところも疎かにしないものであることに、彼は思いいたっていた。ここへ来るまでに、罠や、隠し扉の類に気を払ったことのないのを思い出し、アランファルサートは苦笑した。
(たしかに、わしのやり方は杜撰じゃな。
それでも、生前はもっと注意を払っていたものじゃったが、そんな感覚は、とんと忘れておった。
いや、ずいぶんと横着になったものじゃて)
その気になれば、魔法で罠も隠し扉も見つけることができるからこその、アランファルサートのやり方ではある。それでも、まず、とにかく何の注意もなく通路だけを歩いて行ってしまい、後から魔法で調べ直すというアランファルサートのやりかたは、効率的でもなければ、注意深くもない。
(これは、慣れ、というよりは、性分じゃからの…)
それでも、今までそのやり方で十分に成果は上げてきているのだ。それに、ドラゴンの住み着くような場所の近くに罠などあるわけがない──そもそも、誰がそんなものを仕掛けるのだ、というのがアランファルサートの考えなのだが、今はそれは言わず、新しい仲間たちのやり方に任せようと思っていた。
数十メートル先に、左右の壁が崩れ、廊下に金貨や宝石があふれ出しているところがあった。アランファルサートなら、ためらわずにそこまで歩いていくところだが、ダグラスは、床や壁を調べながら、そして、崩れた壁の奥から覗かれないような位置を取りながら、少しずつ歩を進めていく。そして、彼の合図に従いながら、他のメンバーもそれに続いて奥へと進んでいく。1時間でおよそ50メートルほどといったところか。じれったくなるほどの速度で一行は廊下を進んで行くのだった。
そして、崩れた壁のところで、身にまとったケープで体を隠すようにしながら、ダグラスは壁の向こうを窺った。わずかな空気の動き、針の落ちるほどの音でさえ逃さぬ注意深さを保って。しばらく後、これも用心深く、空気を揺らすことすら恐れるほどのゆっくりとした動きで体を引く。そして、仲間のところへ戻ってくると、小声でささやいた。口早にモンドとダグラスが言葉を交わす。
「いるぜ。寝ちゃいねえ。黒だ」
「大きさはわかるか」
「さっきの青と、どっこいだ」
「ならば、行けるか」
(あの青は、それなりに年を経た奴じゃった。
同じくらいの大きさの黒、ということは、それよりは幾分若目の齢のドラゴンか)
息吹をまともに食らわなければ、このメンバーならやれるかも知れない。そうアランファルサートは踏んでいた。ただし、ドラゴンに不意打ちを食らわされなければ、だ。
ドラゴンの体表の色は、その個体の属性――ドラゴンの持って生まれた能力や性質を反映する。緑の皮膚のものは毒を持ち、執念深く、陰湿な性格を持つし、青い皮膚のものであれば、飛行能力に長け、動作が素早く切り替えが早い。
「黒いドラゴンですか。ならば、気をつけた方がいい」
そう口を挟んだのはヘルマンだった。
「知っているのか、貴様は」
「はい。黒いドラゴンは青いドラゴンよりも大きくなる。そして、知恵が回る」
「それは、青いドラゴンよりも頭がいい、と言う意味か?」
「黒いドラゴンは、他のドラゴンよりも感覚が鋭い。そして、ずる賢い」
「つまり、どういうことだ?」
「もう、私達に気づいている可能性が高い、ということです。しかし、それを隠している。多分、私達が奇襲を掛けようとしているのに気づいていて、逆に待ち伏せているのに違いありません」
「本当かよ、さっき覗いたときには、そんなそぶりは全くなかったぜ」
「だまされてはいけません。それが、奴の手なのです」
そうなのだ。黒いドラゴンほど始末の悪い相手はいない。アランファルサートの経験では、黒いドラゴンに罠を仕掛けようとして上手くいった例はない。こちらの意図を正確に読み取り、確実にその裏をかいてくる。知恵を尽くして移動もうとしての駆け引きでは、いつも、黒いドラゴンは人間の上を行く。
「おそらく、今、こうしてわたし達の話していることも、奴には筒抜けでしょう。それほどまでに黒いドラゴンは耳がいい。その上、人間の言葉を完全に理解する」
「つまり、奇襲は掛けられないってことか。厄介ねえ」
「ならば、正攻法。正面突破」
「それは無茶だね、ラン。ドラゴンに正面から向かって行ってはひとたまりもないよ」
「…作戦Bだ」
話を強引に打ち切るようにモンドが言う。
「作戦B?」
「そうだ、打ち合わせの通りに行くぞ」
「ああ、わかったわ。ここで話しててもドラゴンに丸聞こえだもんね」
「そういうことさ。…行くぜ!」
モンドが声を掛けるや否、7人が一斉に駆け出す。そして、アルフレッドを除いた6人が、先程ダグラスが様子を窺っていた壁の裂け目の脇に、二手に分かれて取り付く。
「ファイヤー・スフィア!」
一呼吸遅れて、アルフレッドが魔法で作り出した火球を打ち込む。アルフレッドの手元では、握りこぶし大だった火の玉が、みるみる大きくなり、壁の中に消えるときには直径2メートル以上に膨れ上がっていた。轟音がとどろき、金貨や砕けた宝石のかけらが、宝物庫の外まで飛び散って来る。その結果も見ずに、アルフレッドは続けざまにもう3発の火球を打ち込んでいた。
(何と、荒っぽいことをする)
半ば呆れ、そして感心しながらこの様子をアランファルサートは見守っていた。広範囲にダメージを与える魔法を続けて打ち込み、有無を言わさずに先制をかけようとする、強引な作戦だ。相手がこちらを待ち伏せているのであれば、痛烈なカウンターになり得る方法だが、1つ弱点がある。
「随分と乱暴な振る舞いをするではないか」
パーティーが一斉に飛び込もうとしたとき、壁の奥から、低い声が響いてきた。感情のこもらない、平坦で抑揚のない、巨大だが淡々とした声。人の言葉だが、唸るような、岩の転がるような響きを伴ったそれは、明らかに人間の声ではない。
金貨や宝石を蹴散らしながら、のしのしと床を踏みならしながら、巨大なドラゴンが姿を現した。全身を覆う真っ黒な鱗、その1枚1枚が黒曜石のようななめらかな光を放つ。その体には、傷1つなかった。
「僕の魔法が、効かなかったのか!」
アルフレッドの驚きは、そのまま他のメンバーの戦慄となった。
「人というのは、なんと愚かで短慮であることか。そして、分をわきまえぬ。何と浅ましき存在であることか」
そういう間に、ドラゴンの体を中心に、数条の煙のようなものが流れ出してくる。それは少しずつ広がりながら、次第に高く立ち上り、徐々に色が黒くなっていく。それは青黒い霧の塊となり、そして、まるで雲のようにあたりを覆い始めた。
「な、何なのよあれは」
「息吹じゃ、ないわ!」
アルフレッドは、一目でその雲の正体を見抜いていた。人が一息でも吸えば、いや、その霧に触れただけでも皮膚が爛れて溶け、そこから体が崩れていくほどの猛毒だ。息吹などではない。このドラゴンは、魔法を操るのだ。
「みんな、この霧に触れてはだめだ、逃げるんだ!」
アルフレッドが叫ぶのと同時に、全員がその場から逃げ出す。待機していた場所に合わせ、パーティーが左右に分断される。
「目の利く者が居るようだ。だが、逃がさぬ」
ドラゴンが、首を左に向け、大きく口を開いた。そして、次の瞬間、その口の中へ十数発の、指先ほどの光球が飛び込んだ。
「ぐ、ぐわわぁぁぁ!」
吐こうとした息吹は出てこず、代わりにドラゴンの口から、苦痛とも、驚きとも付かぬ叫びが上がる。1歩後ずさりしながら、ドラゴンの睨み付けたところに、アランファルサートの姿があった。
「いくらか、魔法に耐性があるようじゃが、まだ、十分ではないようじゃ」
アランファルサートの静かな声が響いた。ヘルマンは語らなかったが、黒いドラゴンは、齢を重ねるにつれ、魔法に対する抵抗力を身につける。したがって、難易度が低く、威力の小さい魔法は黒いドラゴンに効果をもたらさない。だが、技量の高い使い手の、技術力の高い魔法であれば、ドラゴンの魔法耐性を打ち破って、効果を及ぼすことができる。
「そして、多少は魔法の心得もあるのじゃな。
…されど、わしには及ばぬ」
アランファルサートが右手を挙げると、あたりに充満していた黒い霧が、たちまちの内にかすれ、空中に溶け込むようにして消えていった。