ソルサの神殿跡(5)
「気をつけろ、ドラゴンの首がそっちを向いたぞ」
「息吹よ、避けて!」
その言葉が終わらないうちに、チェインメイルに身を固めた男が横跳びにジャンプし、床を転がる。次の瞬間、彼のいたところに、青白い光が突き刺さる。光は床を貫き、轟音を上げた。次の瞬間、床に、直径1メートルほどの深い穴が開いていた。
「くそ、こいつめ!」
エルフの女が矢を射る。狙うのはドラゴンの目。しかし、矢の当たる直前、ドラゴンは目を閉じ、矢は瞼にはじき返される。ドラゴンの目が、エルフの女をとらえ、そちらに向かって向きを変えたかと思うと、鋭い爪の生えた前足が彼女を襲う。エルフは器用に身をひねると、その一撃を軽くかわした。
(ほう、なかなか、やる)
ドラゴンは、先ほどのものより二回りほど大きい。色も、濃い藍色で、ところどころ、明るい青の模様が刻まれており、それは、あたかも天から地上へ下される稲妻のように見える。だが、先ほどの息吹は稲妻どころではない。真っ直ぐに目標に向かって走る閃光、死を運ぶ光だ。
「ライトニング・ボルト!」
明るい青のローブをまとった青年が叫ぶ。青年の頭上に、瞬時、光球が出現したかと思うと、それは一条の稲妻となり、ドラゴンに向かって放たれた。全身を電撃に貫かれ、ドラゴンが叫び声をあげる。
「アルフ、お見事!」
角の生えた男が、刃渡り150センチはある幅広の長剣を振りかざしてドラゴンに躍りかかる。目にもとまらぬ速さで振り下ろされたそれは、ドラゴンの背を深々と切り裂き、鮮血が吹き出す。再び、ドラゴンが叫び、体をひねって、自分を傷つけた相手の方を向く。角の生えた男は、すぐさまドラゴンの背の上から飛び退いた。
次の瞬間、ドラゴンは翼を大きく広げた。そして、一度、天井に向かってあげた翼を大きく羽ばたかせた。突風、としか言いようのない猛烈な風が起き、ドラゴンの周囲にいた者達を吹き飛ばす。体勢を崩し、何人かが床に転がるのと同時に、ドラゴンは後足で立ち上がった。全身が露わになり、ドラゴンが、上から冒険者達のパーティーを見下ろす格好になる。そして、ドラゴンの口が大きく開かれた。
(いかん…!)
ドラゴンが、息吹を放とうとしている。そう気づいたアランファルサートは、後先も考えず、ドラゴンの目の前にテレポートした。いきなり現れた新しい相手に視界を遮られ、ドラゴンが息吹を吐くタイミングを失い、後ずさる。それに併せて、アランファルサートは天井近くまで舞い上がった。
ドラゴンが怯んだと見た冒険者達が、体勢を整えてドラゴンを取り囲む。戦士達の剣が代わる代わるに斬り付け、その間を縫って、魔法使いの放つ魔法がドラゴンの顔面を襲った。目を狙ってエルフの射る矢が、ドラゴンにパーティーを注視させず、息吹を放つ機会を与えない。次第にドラゴンの体に傷が増え、流れる血の量も増していく。
再びドラゴンが翼を広げた。もう一度、あの突風を使って局面を打開しようということか。そうアランファルサートが思ったときだった。
「ファイヤー・スフィア!」
魔法使いが叫ぶと、直径10メートルはあろうかという巨大な火球がドラゴンの翼を直撃した。衝突の勢いで翼は大きく弾き飛ばされ、次の刹那、紅蓮の炎に包まれる。ドラゴンの悲鳴が空気を劈いて響く。
そのまま、どうっ、と後ろに倒れ込んだドラゴンの腹に飛び乗り、剣を突き立てたのは角の生えた大男だ。柔らかい腹が割け、血柱が上がるのに、更に勢いを緩めず、長剣でドラゴンの腹を切り裂き、力を込めて、かき回すように刃を動かす。腹の中からいくつもの赤黒い塊が転げ出たのは、ドラゴンの臓物だ。
苦しげに叫んだドラゴンの口から、青白い光線が飛び出し、天井を抉る。深い穴がうがたれ、そこから日の光が差し込んでくる。
エルフの女が続けざまに矢を放つと、それは容赦なくドラゴンの両目に突き刺さる。太い木の枝でできた、長さ1メートルはある巨大な矢。それが目から脳を貫いたのだ。断末魔の叫びが上がり、最後にもう一度、大きく口を開くと、そのままドラゴンは息絶えた。
(ドラゴンを仕留めたか。
なるほど、大した腕じゃ)
彼等の力量を値踏みしながら、アランファルサートは床に降り立った。冒険者達が駆け寄ってくる。
「貴様のおかげで助かった。礼を言う。あのまま、息吹を出されていたら死んでいた」
リーダーらしい男が言う。チェインメイルに身を固め、長剣を持った男だ。
「なに、大したことはして居らぬ。
気にするほどのことではない」
アランファルサートが答えると、それを待っていたように他の面々が口々に話し始める。
「あなたは魔法使い? いかにもな格好だけど」
「当然じゃないか。あんな風にいきなり現れたり、空中に浮いていたりなんて普通の人間にできるわけがないじゃないか。この人は魔法使いさ。それも、かなり凄腕の」
「そうねえ。でも、人間の匂いはしない…かな?」
「ほほう、ニーナもそう感じましたか。私にも何か違和感があります」
「人間じゃねえ…ってことは、亜人か? 仮面の下に、どんな顔を隠してるんだ?」
「恩人にそれは失礼。ダグ、口が過ぎる。出自を言わないのは貴殿も同じ」
「あ、ああ、そうだったな。済まねえ。許してくんな」
「それにしても、貴方は何をしにここへ? それも、たった1人」
そう尋ねたのは、法衣に身を包んだ男。陰気そうな、ぼそぼそとした口調が耳に残る。
「わしか。
ここへ来たのは調べ物のためじゃよ
この神殿に、昔のことを書いた文書でもないかと思うてな」
「昔?」
「大破局のこと、聞いたことはあろう?」
「人間の奢りで、暴走した魔法。…そのことか?」
「そうじゃ、そのことじゃ」
「なるほどねえ、魔法使いなら関心があるのも当然か」
「わたしはそんなの知らないわ」
「有名な事件なのですよ。それを知らない人がいるとは驚いた」
「リディは魔法使いじゃないから、そうかも知れないね。でも、魔法を学んだ者なら誰でも知ってる。戒めとして、一番最初に教えられる話だよ」
「ふうん、それで探してた物は見つかったの?」
「ああ、ここにはたくさんの資料があった。
はるばると来た甲斐があったというものじゃ」
質問攻めにあって、アランファルサートは彼らの前に姿を見せたことが、果たしてよかったのかと思い始めていた。彼らが、もし自分の正体を知ったらどう反応するだろうか。ドラゴン以上の脅威であるアンデッド。しかも高位の魔法使いと知って、かれらは自分を放っておくだろうか。だが、今すぐに彼らの下を立ち去ることもできなかった。なので、逆に彼らに質問をしてみる。
「…時に、そなた等は、なぜここへ?」
それに答えたのは、最初に話しかけてきた男だった。
「このあたりに出るという、ドラゴンの噂を聞いたからだ。腕試しさ」
「ほう。
なるほど、先程の腕前からすれば、それもわかる話じゃな」
「最近は、この近くまで人間の住む場所が広がっていている。そのうち、人里に被害が出るのも間違いない。それもあって、このあたりの土地を調べているんだ」
「ふむ、人間がこの近くにか
それは、知らなんだな」
「ここから西の方にあるペネルースという国が、最近国力を伸ばしてきている。それで、東の方の、無人の土地へ領土を広げようとしているんだ」
「そうじゃったか。
わしは東の方から来たゆえ、そちらの土地には疎くての」
「東、というとアインサス領か」
「左様。
一時、ビルニファの方へも立ち寄りはしたがの」
「ビルニファ…随分と南だな。俺達はそんな方へは行ったことがない」
「ところで、貴方はこれからどうするのですか」
その丁寧な言葉は、頭に角のある大男から発せられたものだ。彼の方を見たアランファルサートの視線が角に向けられたのに、男は嫌な顔もせず平然としている。
「私の頭が気になりますか。わかります。そう、見た通りの鬼族です。私はヘルマン。仲間は、ヘル、と呼びます」
「鬼族。
亜人じゃな。
噂に聞いたことはあるが、実際に見えるのは初めてじゃ。
それにしても、そなた、流暢に人の言葉を話すのじゃな
人間であっても、それほどきれいな言葉を話すものはめずらしい」
「きれい、というのは、丁寧な、という意味ですか? ああ、最初に私に人間の言葉を教えてくれた方が、こういう話し方を教えてくれましたから。もっとくだけた、乱暴な言い回しというのは、なかなか出てこないのですよ。鬼の言葉ならともかく、何といっても他の種族の言葉というのは、どうも使い慣れなくてね」
(なるほど、彼にしてみれば、人間の言葉は外国語の会話。
それゆえ、語彙が少ないと言うことか。
彼に言葉を教えたのが、下品な言葉の者でなくてよかった、というわけじゃ)
「わしは、アランファルサート。
見ての通りの魔法使いじゃよ。
ここへ来た理由は、既に話した通りじゃ」
「もう、目的は果たされたのですか。先程、そう言っていたと思います」
「そうじゃな、もう用は済んだ」
「それなら、私達と来ませんか。それとも、戦いは嫌いですか」
(単刀直入じゃのう。
いや、語彙が少なくて、遠回しには言えぬのか…?)
「同行するのはかまわぬよ、わしは、な。
じゃが、そなたの仲間はどう言うかの」
そう言いながら、アランファルサートはパーティーの他のメンバーを見渡した。
「俺は異存はない」
「僕もだ。テレポーテーション、レビテーション、さっきの魔法の手並みを見れば、君の凄さはよくわかる。一緒に行ってくれれば心強い」
リーダー格の男と、青ローブを纏った魔法使いの青年が答える。他の仲間も異議を唱える者はいない。アランファルサートは、そのまま一行とともにこのフロアでドラゴンと戦うこととなった。もとより、ドラゴンとの遭遇は予定していたことだ。ならば、冒険者達とパーティーを組んで臨むのも悪くはない。そう彼は考えていた。