ソルサの神殿跡(2)
ミルンファルド暦683年。アランファルサートが人としての生涯を終え、アンデッドとなるための眠りについてから4年の後。
当時、地球に陸地は1つしかなかった。いくつか、海に浮かぶ島嶼はあったが、それ以外の陸地――大陸は1つしかなく、地球全体を帯状に取り巻いていた。それ故、大陸に名前はなく――区別のための名前をつける必要がなかったので、単に、大地とのみ呼ばれていた。
大地には、複数の人類――人間の他に何種かの亜人達がそれぞれ別々の領域に住んでいた。人類と亜人達は互いに干渉し合うことなく、独自の文明と文化を持ち、別々に暮らしていた。
人間だけが、国家を築き、当初12に分かれていた部族が、部族の垣根を越えて纏まっていくつかの社会集団となっていた。その中で、最大の規模を誇っていたのが、ベグデュール・ドラセルの2部族を中心とする帝国、ミルンファルドだった。
ミルンファルドでは、魔法の研究が盛んであり、ミルンファルドで開発・発見された魔法の他、先史文明時代の失われた魔法技術についても研究が進んでおり、人類創造以前に神々が使っていたと言われる魔法についても解明が進んでいた。
そんな中で、帝王ユリーアッシーザーが、帝国紀元1000年に向けて、一大プロジェクトを立ち上げた。膨大な富と資源を投入した、帝国の威信をかけた、魔法によるプロジェクト。
大地の中に入り江のように入り込んだ大海にうかぶ巨大な島の1つを魔法によって作り替えようとする大計画。日本列島を全部合わせたより、やや大きい程度の島を空中に浮かべ、シュード・スペース──現実空間とは別の位相空間へ移し、そこに魔法で作り出した黄金やミスリル、オリハルコンなどの貴金属でできた大宮殿を建造し、その宮殿を中心に新たな帝都を作り上げようとする大建造計画。これを、300年以上もの時間をかけて造り上げようというものだ。
別の位相空間に築かれた帝都は、通常空間からは、見ることはできても、行くことも触れることもできない、幻の地となる。それを帝国の中心とすることで、当時勢力を分け合っていたシャニロン、アイゼロームの両帝国に対し、ミルンファルドの圧倒的な優位を見せつけることができ、また、人間以外の亜人に対しても、人間の文明の優越と、偉大さを示すこととなるものだった。
神を恐れぬ行為、人間の傲慢の極致、とそれを批判する声もあった。しかし、人間の優秀さを信じ、人間こそは神々に選ばれた種族であり、ベグデュールとドラセルはそのなかでも最も優れた種族であると考える帝国の主流派によって、反対する者は抑え込まれ、プロジェクトは着々と進められていく。
ミラクリエーション・プロジェクトと名付けられたこの計画のため、帝国内の主立った魔法使いが集められ、いくつものチームを組んだ。
巨大な島を宙に浮かべるための魔法を研究するチーム。膨大な質量を別の位相空間へ移し替える魔法を研究するチーム。何もないところから、黄金などの貴金属を作り出す魔法を研究するチーム。いずれのチームの研究も、多くの魔法使いが何世代にもわたって研究を続けて成果を上げることを期待されたもので、それぞれのチームの下に、更に細分化された研究チームが置かれたのだった。当然のことだが、どの研究も、簡単に結果の出るものではなく、またそのようなことを期待されてもいなかった。
しかし、ここで誤算が生じる。
それは、1人の超天才魔法使いの出現だった。アフリューリア・ディアーヌ。後になって、人類の増長と神への冒涜に対する戒めの笞として神々が送り込んだ人物とも評される彼女は、当初、200年はかかると目されていた問題に、わずか2年で答を出してしまう。
空間魔法の威力と効果範囲の拡大による、巨大質量の空中浮遊。時間流の複数化と空間への統合による位相空間への転移術。魔法のエネルギーの増幅と質量への変換の効率化の実現による物質生成。理論だけはかろうじて見いだされていたそれらの魔法すべてに、彼女は実現のための技法を見つけ出したのだ。
最初は、小さな島を宙に浮かべる実験だった。直径1キロほどのいびつな円形をした小島が、彼女の発見した方法で宙に浮き上がると、参加したすべての魔法使いの口から驚愕と賛嘆の声が漏れた。島は、数時間掛けて雲よりも高く上り、その後、倍の時間を掛けて元の位置に戻ってきた。
次に行われたのは、1軒の屋敷を別の位相空間へ送る実験だった。長い詠唱が行われ、魔力が屋敷に集中されると、ほんの一瞬だけ屋敷は陽炎のように揺らめいた。何事も起こらなかったのではないかと考えた1人の魔法使いが屋敷の門扉に触れようとしたが、その手は空を掴んでいた。数時間後、再び屋敷が一瞬だけ揺らぐ。そして、その後、屋敷は元のような触れることのできる存在に戻っていた。
成功に気を良くしたプロジェクトチームは、次に、生きた犬を屋敷の中に入れ、実験を行った。別の位相空間へ送られた屋敷の中には、変わらずに動き回る犬の姿が見えたが、声は聞こえなかった。数時間後、屋敷が戻ってきたとき、犬は元気に飛び出してきた。
最もセンセーショナルに報じられたのは、10キロもの黄金を作り出す魔法の実験だった。無限の富を生み出す魔法とも報じられたその実験は、少なくとも当初は、プロジェクトの予算に大きく寄与することとなった。しかし、10日ほどして、実はその実験は失敗だった、という知らせが前よりも大きく報じられることとなる。これについては、黄金の価値を――希少性を一挙に失わせる禁断の術と判断した帝国が、その成功を秘匿しようとしたのだとも言われた。
いずれにせよ、アフリューリアの功績によってプロジェクトは大きく進んだ。最初の実験の成功が大きく発表された後は、細かい経過が一般に知らされることはなくなったが、事情を知るものの間では、予定が大幅に前倒しされているのは周知の事実だった。達成があまりに早くなりすぎて、本来の建国1000年記念プロジェクトという大看板がなくなってしまうことが、プロジェクト遂行上の最大の懸案事項だ、という冗談までがささやかれるほどだった。
魔法の効果範囲が広がり、持続時間が少しずつ伸びてゆく。空中に浮かぶ島は、最初は数時間だけだったものが、実験を重ねるにつれて、1昼夜、そして1週間から1か月へと滞空時間を伸ばしてゆき、実験に使われる島も、徐々に巨大なものへと変わっていく。それに合わせるように、異なる空間へ移される対象も、次第に大きく、重量のあるものに切り替わっていった。
一方、黄金だけでなく、様々な貴金属を作り出す術式が解かれ、そしてついにはミスリル、さらにはオリハルコンさえ魔法だけで作り出すことが可能となった。作られる金属も、最初は形の定まらない、丸くごつごつした塊だったものが、次第に洗練され、完全な球となり、そして、直方体、正多面体を経て、さらには複雑な、意図された通りの多面体となって生み出されるようになっていく。
2年がたつうちに、アフリューリアは実験の総指揮者の地位に着き、多くの魔法使いを配下において、彼女の編み出した術式を授け、全員を統括して同時に同じ魔法を展開する修練を行った。発想力だけでなく、指導能力にも優れたアフリューリアの下で、魔法使いたちはその能力を伸ばし、魔法の威力に磨きがかかってゆく。
そして、ついにその日が来た。
ユリーアッシーザーの号令一下、アフリューリアに従えられた数百人の魔法使いが、魔法の術式を一斉に展開した。かねてから選ばれていた島に、強力な魔法が掛けられる。国中が見守る中、巨大な質量を持った島が、最初はかすかに鳴り、そして振るえ、やがて人の耳にかろうじて聞き取れるほどの低い音を立てる。聞こえない、というのは人の耳には音として感じられないと言うだけで、周囲の海が震撼し、沸き上がるように水面が上下する。そして、島は、ゆっくりと、空中へ上り始めたのだ。
逆巻く波が、陸地へ押し寄せて災害となることのないよう、島は、人の目にはそれとわからないほどゆっくりした速度で上昇する。だが、それも、島の最も低いところが水面から離れるまでのことだった。海から完全に離れた島は、まるで積乱雲が盛り上がるような勢いで、ぐんぐんと大空へ舞い上がっていく。そして、宙に浮いた島は、少しずつ高度を増し、海面から数十メートルのところでいったん上昇を止めた。
これが、プロジェクトの初日とその翌日に起こったことだった。島が空中で安定するまで、10日の間、作業は停止され、魔法使い達はしばしの休息を取ることとなる。
続いての日々、島の上に、巨大な建造物が姿を現した。あらかじめ島に運び込まれていた資材が、島を空中に浮かべたのと同じ魔法で、しかし、より複雑に制御された動きによって、組み上げられ、次第にその形を整えていく。しかし、それは建造物のごく低層部分、土台となる部分に過ぎない。低層部分が完成すると、別の魔法使い達が、今度はその場で黄金やミスリルを無から生み出す。芯となる鋼や石の骨格部にそれらは組み合わされ、また、表面に魔法で作られた化粧板が貼られ、美しく輝く巨大な城が姿を現す。
先端は雲間に隠れ、天にも届こうとする巨大な塔。差し渡し数十キロにも及ぶ広大な土地の大半を占めてそびえる大宮殿。その表面は、見る角度によって異なる色に輝き、見る者の目を捕えて放さない。その完成までには、200人を超える魔法使いが携わり、50日にも及ぶ期間が掛けられていた。
宮殿が完成すると、ユリーアッシーザーが島へ上陸した。多くの皇族や貴族、そして重臣達と千人を超える騎士達や魔法使い達を従えて。そして、虹色に輝くバルコニーに彼が姿を現すと、国中の者達が彼の偉業を褒め称えた。歓呼の声は天にまで届き、いつまでもやむことがなかった。そして、それは、神々の元にも届いていたのだった。ミルンファルドの民と違い、ユリーアッシーザーの企てを、決して好意では見ていない神々の元に。
予兆はあったのだ。当初、プロジェクトが発表されたとき、ユリーアッシーザーは帝都の神殿で、神帝ゼフューダにプロジェクトの成否を訪ねた。そして、得られて答えは、否。神は、この企てが成功することはない、と告げたのだ。
しかし、人間の英知と、努力によってつかみ取ることのできないものはないとするユリーアッシーザーの信念は、神の声を受け入れることを拒んだのだった。神の見た未来でさえも変えうる力が人間にはある。そう信じたのだ。
ユリーアッシーザーの思いが正しいと証するのは、アフリューリアの存在だった。彼女こそはプロジェクトの要であり、また、人間の英知と才能の証だった。彼女を得たことが、ユリーアッシーザーに、神々にすら人間の能力の限界は推し量れないのだと確信させるに至ることになったのだ。
宮殿の中、玉座に座ったユリーアッシーザーは、プロジェクトの最終段階の実行を命じた。空中宮殿を、島ごと別の位相空間へ転移させよ、と。命令を受けたアフリューアの指示の元、魔法使い達が魔法を展開する。これまで、幾度ともなく繰り返し、成功してきた魔法だ。そして、プロジェクトの最後の仕上げのため、今日という日のために繰り返し展開してきた術式だ。何の問題もなく、転移は終わる。誰もがそう確信していた。
だが、唐突にそれは起こったのだ。
決して失敗するはずのなかった術式。そのどこかに誤りがあるなど、誰も夢想だにしなかった魔法。それが、初めて破綻したのだ。魔法に誤りがあったのか。それとも、元々が特定の条件で予期せぬ結果を生む術式だったのか。あるいは、何者かが魔法の完成を妨げたのか。一切は謎のままだ。しかし、魔法は失敗したのだった。
島を転移させるため、捻じ曲げられた空間が、魔法に抗して元に戻ろうとする。その反動で、空間そのものに歪みが生じ、質量が消滅し、あるいは無から出現し、重力がバランスを失って荒れ狂う。
元に戻ろうとした質量が、あたりの空間を捻じ曲げ、空間に穴が開いて、ワームホールが生み出される。空間に開いた穴が、空間を別の場所につなぎ、異なった性質を持った空間同士がぶつかって巨大な力の反発を生んだ。
魔法で作り出された莫大な黄金やオリハルコンが不安定となり、それらの巨大な質量を生み出すために集中されたエネルギーが解放される。魔法で物質化していた黄金がエネルギーに戻り、巨大なエネルギーが解放され、あたりのものを吹き飛ばす暴力的な力となる。
そのままであれば、大地だけでなく、地球そのものが消し飛んだかも知れない。しかし、解放されたエネルギーの大半はワームホールから別の次元に吸い出され、最悪の事態は避けられていた。そして、その反動でワームホールが閉じ、空間に開いた穴が塞がったとき、空間の捻れは、ほぼ、元に戻っていた。
だが、それですべてのエネルギーが消え去ったわけではない。残ったエネルギーが、島を中心に大陸のかなりの部分を消滅させることとなったのだった。ユリーアッシーザーも、彼に従っていた多くの陪臣達も、アフリューリアも、その行方は知れなかった。
(これが…かの大災厄か)
古代世界最大の帝国を衰退させたばかりか、人類――人間と亜人すべての勢力図を完全に書き換え、大地の形状を変え、地軸を揺らがせた大異変。その原因が、この大災厄であったのだ。
読み進んでいく内、アランファルサートは背筋に冷たいものを感じた、と錯覚した。アンデッドの身に、そのような感覚は、本来ない。しかし、あまりの破滅の規模に、言い知れぬ恐ろしさを感じたのだ。
ミラクリエーション・プロジェクトについては、生前、噂程度に聞いたことはあった。だが、その中で語られている魔法――巨大な島嶼を浮かべる魔法、別の位相空間への転移、無限の財宝の創出などは、いずれも理論上は語られていたにせよ、実現は不可能とされていたものだった。
(アフリューリアさえいなければ、プロジェクトは成功どころか、推し進めることすら不可能だったであろう。
あるいは、アフリューリアとは、プロジェクトを推進させるために、神々が使わした預言者ではなかったのか。
無論、目的はプロジェクトの成功などではない。
プロジェクトを完膚なきまでに打ち砕き、破滅を齎すことによって人間にその分際を思い知らせ、身の程をわきまえさせえるのが、神々の目論見だったのではないだろうか)
アランファルサートの考えが正しいかどうか、を知る術はない。神々に尋ねても答は得られないだろう。だが、記録を読み進む内、アランファルサートはその推測の正しさを裏付ける文書を見ることになる。