表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/49

ソルサの神殿跡(1)

 ソルサ。

 かつて、ミルンファルド帝国の時代、数万の人口を擁した都市のあった場所。

 アランファルサートが死の眠りについて二十数年後に起きた大破局のため、ここも残るのは、いくつかの巨大建造物の跡ばかりとなっている。

 その中でもひときわ目を引くのは、ソルサの中心にあった大神殿の跡。神帝ゼフューダを中心に、命女神リーライン、招幸神フォスディーン、神妃ジュラン、冥王イロムといった多くの大神(たいしん)を祀り、代々の帝王の葬儀を執り行った由緒ある場所。ミルンファルド最初の帝都近くにあって、遷都の(のち)にも信仰の中心として知られ、かつては多くの巡礼が訪れていた場所だ。

 そこを、今、アランファルサートは訪れていた。

 ここは、大破局の影響を免れた場所としては、大破局の中心に比較的近く、また、当時の有数の大都市でもあったことから、大破局の手掛かりを得られるかもしれないと考えたこと、ミルンファルド時代の遺跡でありながら、いまだどの国の領有ともなっておらず、盗掘の手が伸びていないことを期待できるからであった。

 この手の神殿は、地下に墓所を備えており、この世に未練を残したまま葬られた者がアンデッドとなったまま、それと知られずに封じられていることも少なくない。そのため、神殿が朽ち果て、廃墟となったのちには、墓所が往々にしてアンデッドの巣窟となることがある。そのため、なまじの盗賊が盗掘に訪れることもない。

 それだけではない。ソルサの廃墟には、何頭ものドラゴンが住むという噂があった。大破局の前から、このあたりで時折目撃されていたドラゴンが、人が死に絶えた後、この場所をその住処(すみか)に定めたという。古代の財宝に引き寄せられたのか、あるいはこの地に残る魔力が呼んだのか。数千年の齢を重ねたドラゴンがいるという噂は、この地に近づくことの愚かさを、聞く者に思い起こさせるに十分だった。が、それすらも、アランファルサートの好奇心を鈍らせるには不足だった。

 巨大な――1辺が5メートルはある立方体の石を積み上げて造られた地上部分は、建造当時の東西南北に正確に合わせて建てられ、東西に400メートル、南北には800メートルにも及ぶ広大なものだ。1000年を超える時の流れは、深い樹林の中にその全部を埋もれさせていた。あたりの地面には、ところどころ陥没し、深い穴の開いたところがある。その穴も生い茂る草木に隠れて、よほど近づかなければそれとはわからない。

 周囲の壁が崩れ、柱が砕け、天井の多くが落ちた廃墟の中は、床に敷かれた石畳の隙間を破って背の高い草が伸び、押しのけられた石畳の間から床に積もった土の上に草が茂って、あたかも原野の様相を呈する。神々を刻んだ数十体の石像が倒れた様は、死屍累々という言葉を連想させる錯覚を見るものに(もたら)す。祭壇奥の5(はしら)の大神の像は、それでも倒れずに残っているが、あるものは腕が折れ、あるものは首が落ちるなど無残な様子を見せている。

 もとより地上部分の施設は、神殿に訪れる参拝者のためのもので、かつての繁栄を偲ぶ便(よすが)とはなっても、アランファルサートの興味を引くような場所ではない。聖職者の宿坊や修行場、書庫や宝物庫などは、その多くが外部の者が立ち入れない地下に設けられている。当時の神殿の基本的な建築様式は帝国の内外、どこでも大体決まっており、アランファルサートはそれを熟知していた。地下へ降りる階段の場所も基本的に大差はない。迷うことなく、彼は神殿地下への入り口にたどり着いていた。

 階段の前には、左右に1体ずつの等身大の神像が立っていた。神話の中で名も与えられていない下位の神々。その身なりから、人や半神ではなくれっきとした神であることがわかる像で、神殿のあちこちに装飾のように置かれているもの。雨に打たれ、錆に覆われた青銅の像だ。


 (ほう、この像には、まだ魔力が残っておるな)


 これらは、見た目通りの装飾品ではない。侵入者を(はば)む衛兵の役割を持った人造の偽生命、ゴーレムだ。まだ魔力を残していると言うことは、今もなお衛兵としての役に就いていることを意味する。不用意に近づけば動き出し、侵入者を排除しようとし、この場所から追い出すか、あるいは殺害しようとする。もっとも、一般の参拝者が迷い込む可能性もあるこの場所に置かれたゴーレムが、人を殺すように命じられている可能性は低い。アランファルサートは、素知らぬ顔でゴーレムに近づいた。

 階段まで数歩のところまで近づくと、2体のゴーレムが動き出す。これをゴーレムと知らないものには、神々を(かたど)った彫像が動き出した、と見えるはず。そして、動き出した神々が、手振りでこの場所に近づかぬよう命じているとわかる。偶然に迷い込んだ参拝者であれば、(おそ)れて直ちに立ち去ったことだろう。

 だが、アランファルサートはそうしなかった。立ち去る代わりに、ゴーレムの1体に歩み寄り、その肩に手を触れたのだ。人を傷つけるように命令されていないゴーレムは、アランファルサートの行動に戸惑ったような様子を見せる。そして、アランファルサートにぶつかるのを恐れるかのように足を止めた。

 アランファルサートは、ゴーレムに触れた手に心を集中した。古代の聖職者がゴーレムに込めた魔力が温かな感触となって伝わってくる。これが、ゴーレムの、いわば生命力(ライフフォース)であるとわかる。次に、そのライフフォースに心を集中する。最初は暖かだった感触が、次第に熱くなり、触れている手の先からアランファルサートの中に流れ込んでくるのがわかる。その感覚が数秒続いたと思うと、突然途絶える。そしてゴーレムは、アランファルサートにライフフォースを残らず吸い取られ、ただの像に変わっていた。

 同様にして、もう1体のゴーレムも片付けると、アランファルサートは地下への階段を降りていった。階段の表面を飾った化粧石は、その大半が割れ崩れ、美しかったかつてを偲ぶべくもない。半ば風化した石段は、通常の人間よりもはるかに軽いアランファルサートの体重にすら耐え切れず、足を乗せただけで崩れるものさえあった。


 (時の重みに耐えかねた、というところじゃな。

 1100年、短くはないものだて)


 何度か、石段の崩れるのを見て、アランファルサートは体を浮かび上がらせた。石段が崩れ、転がり落ちたところで傷つく体ではないが、無駄な時間を取られるのも面倒だった。

 階段を下るにつれ、地上から差し込む光は薄れ、あたりは次第に暗く、闇の中に沈んでゆく。アンデッドであるアランファルサートは、目を使って視界を得るということがない。そのため、同行者でもいない限り、暗闇の中でも灯りを必要とすることはない。象牙色のローブに身を包んだその姿が、空中を滑るように進んでいく様は、灯りのない闇の中を漂う幽霊のようにも見えた。

 20メートルも(くだ)っただろうか。広いホールにアランファルサートは立っていた。

 何か所か天井が崩れ落ち、瓦礫が(うずたか)く積みあがっている。煉瓦を積んで作られた壁もところどころひび割れ、あるいは崩れ落ちて向こう側が見えている。

 南側の通路へ続く出口に備え付けられた木の扉は、カビに覆われ、ボロボロになり、半ば腐った上半分ほどが失われている。補強のために貼られていたのであろう金属板も、錆びて剥げ落ち、表面に刻まれていたであろう装飾も、崩れて見る影もない。

 ほんのわずかな魔力を、朽ち果てた扉にぶつける。パキパキという乾いた音を立てて、扉の残骸が砕け、粉々になって床に飛び散った。その奥に続くのは、幅10メートルほどの廊下。石でできたタイルの張られた床には、いくつもの亀裂が入り、どこかから入り込んだ小さな虫が這いまわっている。割と()い状態で残っている壁には、両側に一定の間隔をあけて扉があるのがわかる。

 一番手近な扉に触れ、少し力を入れてみる。扉そのものは入口のもののように朽ち果ててはいないが、蝶番(ちょうつがい)が錆びてかろうじて形を保っていただけだったようで、簡単にはずれて部屋の中に倒れてしまう。それでも分厚い木の扉は崩れたり欠けたりはせず、形を保ったまま、なんどかバウンドして重々しい音を響かせた。

 かなり広い部屋の中には、木でできた机や椅子、ベッドなどがあった。空気はよどみ、床にも家具の上にも埃が積もり、扉が倒れた拍子にそれが舞い上がっている。


 (ここは、神官の宿坊か…)


 おそらくは、あまり地位の高くない神官か、あるいは修行者のための宿舎として設けられた部屋だろう。家具の数から、20人ほどが一緒に暮らしていたことが推測できる。同じような部屋がいくつも並び、かつてのこの神殿の規模をうかがわせる。


 (この辺りにはめぼしいものはなさそうじゃ…)


 室内には、いくばくかの衣類の外には、個人の持ち物らしいものは何も残されていない。この宿坊は引き払われていたようだ、とアランファルサートはあたりをつけた。おそらくは大災厄の前だろう。あるいは、大災厄の起こることを予見して避難したものか。室内の様子から見て、大災厄に巻き込まれて、慌てて逃げ出したものでないことはわかる。


 (…なれば、その時の記録が残っておらぬじゃろうか。

 もし、ここを放棄した時の記録でもあれば、何を恐れて逃げ出したかが知れよう。

 さすれば、大災厄についての手掛かりも得られるはず)


 さらに廊下を奥へと進む。時間は十分にあった。アンデッドの体は、食事も睡眠も必要とはしない。アランファルサートの実体である、骸骨の体を覆う青い光は、通常の物理的な力や熱などで傷つくことはない。普通の人間では長居できないこの神殿の地下も、アランファルサートにとっては、何の脅威もない、ごく安全な場所なのだった。

 いくつかの執務室らしい部屋がみつかる。そこに並ぶ何十もの棚には数百冊もの帳簿や、何百年分もの日誌らしい書類が整理されて収められている。この発見に、アランファルサートは目を輝かせた。書類の多くは巻物で、古いものは金属の箔に、比較的新しそうなものは動物の皮らしいシートを使って作られている。


 (保存状態は…、千年以上もの時を思えば、悪くない、か)


 そう、思わず(ひと)()ちた通り、金属箔は表面を錆びに覆われ、ところどころ崩れている。表面に記された文字が削れ、あるいは腐食して消えているところも少なくなかった。(きん)のような腐食に強い素材であればこのようなことにはならなかっただろうが、そういった素材は神殿の書類などに滅多に用いられるものではなく、どうしようもないことだった。

 動物の皮の方はもっと状態が悪く、(かび)に覆われた部分もあれば、虫に食われたり、あるいは湿気と乾燥に交互に晒されて割れ、裂けて崩れているものも多いばかりか、年月を得る間にインクが退色して書かれた文字が消えたり、厚く塗られた顔料が割れて欠け落ち、描かれていた図画が崩れ去っているところもめずらしくない。


 (何にしても、これだけの数。時間が、かかりそうじゃな)


 書類の数もさることながら、保存状態にも相当の難があったが、それ以上にアランファルサートを驚かせたのは、使用されている文字だった。彼の生きた時代よりもはるかに古い年代に書かれたものは言うまでもなく、比較的新しい、アランファルサートの生きていたのと同じ時代のものであっても、書類に記されているのは、彼になじみのない、古代文字だったのだ。一般社会では使用されなくなった文字であっても、神殿の中では、帝国の黎明期から、脈々と伝統として受け継がれ、用いられ続けていたものらしかった。

 だが、アランファルサートはそのすべてを読み解くつもりであった。時間を気にかける必要のないアンデッドであることと、生前の経験に基づく博識に加え、幸いなことに、彼の知る魔法にはこういった目的に最適なものがある。

 文書読解術(リーディング)として知られるいくつかの魔法。文書に書かれた内容を、その言語を理解することなく、直接読み解く魔法。これまで幾度となく、アランファルサートの探求を助けてきたものだ。他の魔法と同様に、文書の内容を読み解く魔法にもさまざまな種類のものがあり、状況に応じて使い分けられる。

 一番簡単なものは、文書の書き手が文書に込めた思念を読み解くもので、一種のテレパシーともいえるものだ。

 人間が文字を記すとき、人の意識には文字で表わそうとする内容が強く浮かび、それを文章に練る際に思念が強化され、さらに文字として書き記す際には、書く、という動作を通じて書き手の念が文書に込められる。込められた念は、書き手の思いの強さにもよるが、時として半永久的に文書に残される。この念を読み解くことで、文書に書かれた内容を読み取るのだ。文字の読み、発音についても、多くの書き手は、文字を書く際に頭の中で書こうとしている文書を読み上げ、意識的に、あるいは無意識のうちに発音を思い浮かべているため、副次的に知ることができることが多い。

 そして、読み取る対象が、文書の残留想念である以上、記された文字そのものを読み取る必要はないし、文字がかすれたり消えていたとしても問題はない。極端な話、文書のほんのわずかな断片からでも書かれた内容を読み解くことが可能である。

 その代わり、書かれた言語を知らないものが書き写した写本──言ってみれば、画像として描き写されている写本に対してはこの魔法は使えない。書き手ならぬ描き手が内容を理解しておらず、当然、その内容が念として残されていないからだ。そういった描き手であっても、まれには、文書に込められた想念が、わずかながら引き写されることもなくはないが、それはごく例外的なものだ。なお、一般に印刷されたものでは、描き手によるものよりは多くの念が文書に残されるが、それは、印刷に(たずさ)わる者が、文書の内容を無意識のうちに心に思い浮かべ、それが印刷物に転写されるからだ。

 それよりも高度な魔法は、文字そのものや、文字を組み合わせて作られた単語といった抽象的なものが、長い間人々の間で使われ、広がるうちに、自然に内包していく人々の想念を、文字列から読み取るものだ。

 この方法であれば、文字や言語を知らない描き手による写本でも、あるいは印刷物からでもその内容を読み取ることが可能になる。この系統の魔法は、熟練すれば、長期的に使われなくとも、広範囲で多くの人々に使われていなくとも、その言語体系の内在する想念を読み解くことができることとなり、一度も使われたことのない人造言語や、あるいは暗号ですら、解読可能になる。

 こういった魔法を使いながら未知の言語を読むうち、読み手は、文字や単語、文法の知識が身に付いてゆき、長期的には魔法を使わなくともその言語を読み解くことができるようになっていく。

 さらに別系統の、探索系として分類される魔法の中には、わずかな文字や単語の断片から、言語それ自体の体形を解析するものもある。しかし、これは極めて難易度が高く、熟達するものもまれだとされる。


 (では、とりかかるとしようか)


 見つかった書類は、いずれも人の手によって書かれたものだった。なので、内容を読み解くことはそれほど難易度の高いものではない。執務室に置かれたデスクの前に陣取ると、アランファルサートは棚の書類を、片端から読み漁り始めたのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ