95.密談
夜闇に紛れる影5つ。
勾配を易々とあがり、息が上がるものは一人もいない。その影が静かに動きを止めた。
「さすがですね、ニックヘルム様」
「わざわざ次期族長に迎えてもらえるとは。老体に鞭打った甲斐があったな」
雲間から射す月光が照らされた タクラの差し出した手に、ニックヘルムは手を重ね、二人は互いの顔に笑みを向けた。
「リュードは?」
こちらです、タクラは ニックヘルムの言葉に 背を向けて歩き出し、ある建物へと誘った。
夜闇に慣れた目には眩しい室内には、リュードと長たちがテーブルを囲み ニックヘルムたちを待っていた。
ニックヘルムの姿を捉えると、リュードは自ら歩み寄り出迎えた。
「マージオが来れず、すまない。全権は私が担っている、構わないか?」
「あぁ、構わない」
勧められた椅子に、ニックヘルムが座ると、ヴィレッツ、ライック、ヘルツェイがそれにならった。ルーシェは入り口近くの壁に移動していた。
リュードの視線がヴィレッツで止まる。目を細め見つめる視線は懐かしむような温かいものだった。
「初めてお目にかかります。ヴィレッツと申します」
柔らかなほほ笑みを浮かべ礼を取ると、リュードはひとりの長と視線を交わした。目尻の皺の深さと瞳に湛える哀愁がその人物の歴史を語っているようだった。ヴィレッツを見つめる瞳に光るものが浮かび、大きく頷く。
「貴方の母はこの者の縁者だ」
そう紹介され、ヴィレッツは目を見開きその人物を見つめた。もう昔のことだ、その人物は懐かしむように呟き、表情を戻すとリュードへ頷いた。リュードはそれを受けて、ニックヘルムに向き直った。
「さぁ、始めよう。ときが惜しい」
リュードによって呼び寄せられたニックヘルムは、その本意を確認したかった。
王権争いのときに交わした密約をマージオは守り、山神の使いは この地で他国からの侵略を受けることはなかった。一族はリュードを長とした自立国家として存在してきた。
この機に更に何を望む?
ニックヘルムはリュードに問う。
「マージオはちゃんと約束を果たしてくれた。エストニルの民は豊かで平和な生活を送っている。他国に侵されることもなかった。この国の平和と発展を願う始祖の縁者として嬉しく思う。
そして、我々のことを重んじ、ひとつの国家として対等の扱いをしてくれた、礼を言う」
マージオの名を口にするとき軽く目礼し、敬意を表した。
「今度は我々がエストニルに力添えをしたい」
リュードはテーブルに両肘を乗せ、顔の前で拳を組んだ。
「知っての通り我々は大きな力を持たない。シャーマンの力を持つ者も今はいない。この厳しい大地と暮らす知恵があるくらいだ」
ニックヘルムは視線で話の続きを促す。
「ユラドラ、サウザニアの両国から庇護を条件に協力するようにいわれている」
「狙いはエストニルだ。鉱物資源の占有。そのためにはこの土地を知る我々の協力は不可欠」
瞑して黙するニックヘルムを見遣り、ヴィレッツが口を開いた。
「…一族の持つ力も、ですよね?シャーマン程の力はなくとも山々を護る精霊との交流ができる。その力で渡り人を召喚できる、そう考えられている。渡り人の知恵はどの国も喉から手が出る程欲しいもの。言い伝えの域を出なかったものが、マオの存在で現実となった。両国の要求が本格化した、と」
リュードは目を細めてヴィレッツに視線を合わせた。
「その通りだ。我々は始祖の一族。エストニルを想う気持ちに偽りはない。他国に売るつもりは無い」
「一族の戦士は精鋭揃いだ。一時的ならどの国でも退けられるだろう。しかし、恒久的には維持できない」
「━━━我々と恒久的な関係を望むということか?」
ニックヘルムはリュードと視線を合わせる。互いの視線を逸らすことなく、言葉のない会話が続く。
永遠と思える重い沈黙に、終止符を打ったのはタクラだった。
「ナルセル殿下が信頼に値するのか否か、それによっては恒久的なものになり得ない」
その言葉にニックヘルムはタクラに視線を移した。
「それは次期族長としての言葉か?」
そうだ、タクラは頷く。
「我々も試されているということだな…」
ニックヘルムは口端を上げて呟いた。ヴィレッツはタクラを見据えた。
「次世代を継ぐ者として誓う。マージオ国王の精神は変わることはない」
四者の思惑を含んだ視線が絡み合う。
「王太子はまだ若い。即位までの中で我々が信用に値するか評してもらって構わない。我々は山神の使いと手を取り合う意思がある」
ヴィレッツは胸に手を当て礼を取った。それにリュードは手を挙げて応え、タクラは目礼でその言葉を受け入れた。
「…今の話をしよう。山神の力添えに感謝する」
ニックヘルムはリュードに手を差し出し、その手を取ったリュードが強く握り返す。
ニックヘルムの視線を受けて、ライックが地図を広げた。ユラドラ、サウザニア、エストニルの全てと接する山脈が連なる土地が現れる。
男たちの密談は、闇が更に深くなるまで続いた。




