88.一条の光
全身を突き抜ける激痛に、死んだ方がマシ!と思う。思えるということは死んでない、ということだ。良かった、生きてる。ちょっとした切り傷で大騒ぎしていた自分はなんだったんだろう、この世界に来て、私、痛みにかなり強くなった気がする、うん。
エドが助けてくれたのかな、こんな痛みを負う前に助けて欲しかった、文句のひとつも言いたい。
痛みを堪えて気力で目を開けると、知らない男が見下ろしていた。
初めまして、だよね?どなたでしょう…?
朝日に照らされた金髪が眩しい。目が合うと、しゃがみ込み、真緒の顎に手をかけた。
「会いたかった…マオ」
無理に顔を上げた状態は身体の痛みを増長する。眉間に皺を寄せ、低い唸り声を漏らす真緒をみつめ、口の端を歪めた。誰なの?私を知っるの?
視線は射抜くように鋭く、冷たい。男の指が真緒の唇をなぞる。真緒は動かない身体の代わりに、嫌悪感を込めて強く睨みつけた。
「気の強い女は嫌いじゃない」
アルタスは薄く笑う。真緒の耳元から首筋をなぞってはだけた胸元へと指が動く。悪寒が真緒を襲う。
(…嫌!)
身を攀じるが、思うように動かない身体に苛立つ。拘束されていいる訳ではないのに身動きができなかった。
「私のものになれ」
射抜く視線に熱がこもった。横抱きに抱えられると胸元に唇を寄せた。チリッとした痛みを感じる。少し乾いたざらつきのある唇が肌を這う。その気持ち悪さに身体が震える。声を出したいのに、声が出ない。痛む手足を必死に動かし逃れようと身をよじって抵抗した。
「その目、そそられるな」
欲情の焔を燃やしたその目は真緒を見つめ薄らと笑った。抵抗が無意味だと知れても、真緒は逃れようとアルタスの胸を押した。首筋に チリッと痛みを感じ、真緒の瞳に涙が溢れる。視界が霞む。
神様、私を殺してください━━━━
「マオから離れろ!」
真緒の意識が闇に落ちる寸前、愛しい人の声が聴こえた。神様、最後にありがとう…
アルタスの腕の中で力なく横たわる真緒の姿。
ライルの怒気を込めた鋭い声がアルタスの動きを封じた。
アルタスは背後に 先程までなかった鋭い殺気を感じ、真緒をその腕から降ろすと、ゆっくりと立ち上がった。
「無粋だな」
だか、不利だ。独り言のように呟くと、サッと騎乗した。
「争う気は無い」
言い捨てると馬の腹を蹴り、走り去った。そのあとをヘルツェイが追う。
ライルは真緒に駆け寄ると、抱き上げて強く抱き締めた。涙の筋が乾く間もない。意識を失っているのに涙は止まらなかった。意識を失っても苦しみの中にいる愛しい人の姿に、自分の無力さに強い苛立ちを感じ、更に力を込めて抱き締める。
(マオ!マオ!)
何度呼んでも焦燥感が募る。血の味を感じ、唇を強くかみ締めていたことを知る。強い悔恨の念がライルを支配する。
ライルの肩をヘルツェイが掴む。
「宿へ戻りましょう」
その言葉に、ライルは現実へ引き戻された。マオをこのままにしておけない。自身のマントで真緒を包むと、しっかりと抱き抱えた。
「…あれが王太子か?」
ライルの低い声が森に広がる。ヘルツェイは肯定の頷きを返す。許さない。ライルは馬が走り去った方向を鋭く睨みつけた。
ヘルツェイは真緒の傍を離れたことに強い自責の念に駆られていた。
あの夜、森には真緒を狙うものが潜んでおり、先手を打って奇襲をかけた。連絡の梟が途絶える事実を確認したかったのだ。しかし、予想以上の人数が潜んでいたことで、自然と真緒を護る防戦へとシフトしていった。拉致があかない…。ヘルツェイがシュエットの報告を受け 思案していたとき、現れたのがライルだった。
ライルの参戦で形勢は大きく変化した。
ヘルツェイとライルは森の奥へと追い詰め、決着が着いたのは 朝日が登り始める頃だった。
大きな音が辺りに響き渡り、二人は急いで宿屋へと引き返す。
その途中で目にしたのは、アルタスと真緒だったのである。
真緒はうなされていることが多かった。
左手首は熱を持って腫れ上がり、微熱が続いていることも一因だが、いつも以上に陽気に振る舞うが、食事量は目に見えて減り、ベッドに伏している時間が多かった。
ライルはベルタの街へ入ることを決めた。
ライルは真緒を王家の庭の邸宅へ移すつもりだった。
あそこなら渡りの樹に近く、ミクが護ってくれるような気がしたからだ。もうこれ以上、辛い思いをして欲しくない。
そして、ライックがベルタの街に入った。それは、ユラドラとの間に動きがあったということ。
「マオ」
窓の外をぼんやりと見つめていた後ろ姿に声をかける。遠くからでも分かるくらいに大きく身体を震わせたのに、真緒は笑顔で振り返った。
「ライル、なに?」
ライルは真緒の数歩手前で足を止めた。無自覚だろうが、ライルが触れるとき真緒の身体が強ばるのだ。きっと時間が必要なんだと、ライルは自分を納得させる。
「ベルタの街へ行こうと思う。マオも一緒に」
その言葉に真緒は首を横に振って、
ここにいたらダメ?といった。なぜ?その問いに真緒は寂しそうに笑った。もう少し元気が欲しいの。
元気がでてから、イザに会いたい。お母さんが話してくれた 思い出の欠片が沢山あるベルタの街へ、こんな気持ちで行きたくない。
「ずっとベルタにいる訳じゃない。その腕の治療が終わったら、王家の庭へ行こうと思ってる」
渡りの樹の側で 休もう、ずっと一緒にいるから。ライルは意を決して真緒に一歩ずつ近づいた。
そして、自分の首からペンダントを外すと、真緒にそっとかけた。
「護るなんて言葉だけだった俺を許してほしい。もう離さない、離れたくないんだ」
片膝をつき、そっとマオの左手を取る。
「全てを賭けて、貴方だけに」
その指先に唇を落とす。ライルの髪に何かが触れる。真緒が震える手で、髪を撫でていた。その気持ちよさにライルは目を細め、その手を取ると頬に当てた。マオの温もりを感じる。
そのことの喜びがライルを満たす。ライルの頬を真緒の手がなぞる。
ライルはゆっくりと立ち上がると、壊れものを包むように真緒の身体を抱き締めた。ぎこちなく背中に回される真緒の手の温もり。
ライルは 一条の光がみえた気がした。




