76.渡り人の知恵
不思議なあの空間から救出されて、真緒は宰相邸へ移された。ヴイレッツ殿下の元へ戻るはずだったのだが ライルが譲らず、ルーシェを護衛につけることで、国王も折れたらしい。
あ、お父さん無事でした。
ルーシェたち蜘蛛に護られ神殿を脱走した国王は、謀反者を一掃する宰相の計画遂行のため、離宮に身を隠していた。第一王子…王太子にはその真相を伏せて、王となれ!と発破をかけたらしい。
王の自覚に目覚めた王太子は、やーコルを筆頭とする謀反者を一掃し、速やかに国内の混乱を抑え ることで 諸外国の要人たちに、次期国王としての力を見せつけた。それと同時に、大部隊を編成させてベルタの街に派兵すると、樹海を挟み進軍していたユラドラを牽制した。開戦こそしていないが、緊張が続いている状態なのだ。
テリアスは一時的でも謀反に加担したとして、王宮の地下牢に投獄されているらしい。ルーシェはテリアスに対して思うところがあるらしく、テリアスのことを聞いたときは鼻息荒く、話してくれたのだった。
宰相邸に来た頃は全身打撲の影響で高熱にうなされたが、5日も経てば、脚の傷と共に回復した。骨折はしていなかったものの全身打撲の程度は酷かったらしい。心臓が止まらなくて良かった、と白髭先生は呆れていた。
熱もすっかり下がり、食欲も出てきた。もう 動ける。
脱走を重ねる前科者、そんな真緒をライルもルーシェも許してはくれなかった。蜘蛛に本気を出されたら、逃げられない。いや、逃げたい訳では無いのだ。ちょっと外の空気を吸いたいのだ。それがダメでも、ベッドから降りたいのだ。
真緒は、ベッドに身を沈めて ため息をついた。
いくら寝返っても落ちない広さと、そのベッドの柔らかさはまさに悪魔の代物だ。何度も睡魔に襲われ、薬の効果と相まって、めでたく寝たきり生活5日目に突入した。
このままでは人間でいられなくなりそう…
「マオッ!」
ルーシェの雷が落ちた。ルーシェがベッドに背を向けてテーブルに向かっていたので、反対側から起きようと試みたのだ。ルーシェは背中にも目があるのか…。肩を竦めて一応反省の意を示す。しかしルーシェは騙されなかった。
「形ばかりの反省なんて不要。私は約束を守って、と言ってるだけよ」
約束した覚えはないんですけど…そんな心のボヤキもちゃんと伝わるらしい。ルーシェの目が三角になったので慌ててベッドに潜り込んだ。わざとらしい大きなため息が聞こえる。あぁ、自由が欲しい。
本日何度目かの攻防に決着が着いたとき、来訪を伝えるノックが聞こえた。
ルーシェがドアに向かい何やらやり取りをしている。この部屋、無駄に広くてこういった時に盗み聞きできないんだよね。流石にこの機会に脱走しようとは思わないので、大人しくベッドに埋もれていた。
「マオ、ちょっといい?」
ルーシェの声にもそもそとベッドに上体を起こした。ネグリジェは恥ずかしい。ショールをもらい肩から羽織った。
来客はライックとライルだった。
ナイスミドルなライックの登場に 真緒のテンション急上昇だ。それを敏感に感じたライックの視線が怖い。視線だけで殺されそうです。ライルの殺気に気づかないフリしてライックに向き合う。苦笑いのライックはひと通り真緒の体調の確認をすると、聞きたいことがある、と本題を切り出した。
「あの神殿でのことをききたい。あの爆発はなんだ?」
へっ? 爆発?
一瞬なんのことか分からなかった。呆けた真緒だったが、とぼけていると勘違いされたらしい。
「きみが火に向かって何かを投げた途端に、吹き飛ぶような爆発があったよね」
マオの打撲はそれによるものだろう?ライックは、表情こそ穏やかな笑顔を浮かべているが、目は笑っていなかった。言い逃れを許さない厳しさをたたえていた。まぁ、隠すことでもないし。
「あれは粉塵爆発っていって、細かいことは忘れちゃったんですけど、粉に引火して爆発するんです」
かなり大雑把な説明だが、外れてもいないだろう。モリアン、ごめんなさい。怒ったモリアンしか記憶に残ってない。
「…それは誰かに教わったの?」
「モリアンに」
「どこで知り合ったの?」
やけに突っ込みますね、なんでかな?
「えーっと、向こうの世界の学校の先生です」
モリアンと知りいにされるのは真っ平御免だ。
「マオは、そういうこと、他にも知ってるの?」
ライックは笑みを消して、真面目な顔で真緒に向き合った。真緒は首を横に振った。
「渡り人が起こしたことを、探っている奴らがいる。その知識を得たいと考える奴らがいるんだ」
えー、そんな知識ありませんけど。それってまた誘拐されたり命狙われたりするパターンですか?きっと渋い顔をしていたんだろう。ライックは苦笑いを浮かべ、真緒の頭をポンポンと触った。
「いいかい、マオ。きみは、国王の娘である以上に渡り人としての利用価値があると思われてしまったんだ。だからできるだけ一人にならないでくれ。身の回りに気をつけてくれ。いいね」
父親のような慈愛に満ちた瞳で真緒を見つめる。お願い、と言うより無事でいてくれ、という願い。本当のお父さんではないが、やっぱりライックは父さんポジだ。改めて納得していると、無視できないくらいに殺気が強まっていた。
「ライル、それ引っ込めろ、煩いぞ。ろくに話もできない」
ライックがため息混じりに注意してくれたので、私の寿命も延びたようだ。
「王がマオに会いたいと仰ってる。迎えに来たんだ」
えー、それ早く言ってよ…
会いたくないなぁ、無事だってわかってるし。喧嘩別れの気まずさが勝った。でもさ、これって外に出れるんじゃない?真緒の中で、気まずさよりも外に行きたい欲求が勝った。
「いきます!」
勢いよくベッドから降りると、身体中に稲妻が走った。う、動けない…。流石に打撲の衝撃からの全快は5日では無理があったようだ。こんどは用心して、そろり そろりと上品かつ優雅にベッドへと腰掛けた。
ルーシェが男性二人を追い出すと、鼻歌交じりに声を弾ませて微笑んだ。
「謁見だから、着飾ろうね!」
さっきとは違うものが全身を駆け抜けた。
これ、きっと悪寒だ。




