66.聖殿へ
足手まといだ、というテリアスと攻防を繰り返し、結局テリアスが折れて真緒は同行することになった。
火が放たれるのだ。大切な人たちがここに居て、死ぬかもしれない。何もせずに自分だけ助かるなんて嫌だ。それならば、自分の力で足掻きたい。
そう言いきった真緒が テリアスには眩しくみえた。この娘の母、ミクもこんな女性だったのかもしれない。だから陛下も父上も護ろうとしたのか、胸のかなで何かが解けた。
食料庫に開けた穴は麻袋を積んで隠した。運ぶとき、ちょっと袋が破けて中身がこぼれてしまったのはご愛嬌だ。バレないように掻き集めてハンカチに包む。証拠隠滅、完了!
テリアスの話によれば、食料庫は神殿に引き込む水路近くにあり、水路を辿れば聖殿に辿り着ける筈だ。食料庫にあったマントを拝借して目深に被り、テリアスに続いて廊下に出た。一晩の祈祷とはいえ、王族が滞在しているのだ。行き交う人が増え、揃ってみんな忙しいそうだ。厨房に近づいているのかもしれない。
気付かれないように、壁沿いを下を向いて足早に歩く。脚を引き摺らないように意識して足を運んだ。痛みを感じられるのは生きていればこそ。死んでしまう危機の前には些細なことだ と自身に言い聞かせる。
細い路地に身を隠すと、ここで待ってろ、と言い残しテリアスは廊下へと消えた。えっ?置いてけぼり?
真緒は納得がいかなかったが、一人動くにはあまりに土地勘のない場所。脚を休ませるには丁度いいか、物は考えようだ。渋々ながら真緒は テリアスの帰りを待つことにした。
廊下の壁には灯りが揺らめき、当たりを照らしている。それをぼんやり見つめ 考える。
どうやって火をつけるのだろうか…?
黒い油ってなに?重油みたいなものかな。油は水と混じらない。タンカーが座礁して海に積荷が流出したときになるみたいなやつかな。こんなんなら居眠りせずにちゃんと授業受けておけばよかった。ボソボソと喋る拠れた白衣姿の理科担当の森谷先生にドヤ顔が目に浮かぶ。汚れの目立つ白衣を羽織り、独特の匂いを放っていた。ついたあだ名が<モリアン>、あの匂いが強い果物を掛けた傑作だ。そのモリアンにバカにされてる気がしてイラッとした。そのイラつきを持て余していると修道士のような出で立ちの男が近づいてきた。しまった、気づかなかった。真緒の背に嫌な汗が伝う。身を固くして膝を抱えて顔を埋めた。
「おい、これを着ろ」
目深に被ったフードを軽くあげてテリアスは顔を見せる。テリアスが手に持つ服を真緒に押付けた。
それは服の上からでも身につけることが出来た。床に擦れそうなほど長さがあり、ゆったりとしたシルエットは男女の差すら判りにくい。フードを目深に被れば髪も顔も隠れる優れものだった。どこから調達したのかは聞くまい。無理矢理剥ぎ取られた人が居ることは確かだろう。真緒は心の中で深くその人たちに同情した。
再び廊下を歩く。
行き交う人は多いが、真緒たちと同じ衣装をつけている者も多く、上手く紛れているようだった。周りと歩調を合わせて、目的の聖殿を目指す。騎士の姿が目に着くようになると、空気感が変わった。澄んだ空気の張り詰めた心地よい緊張感を 感じる。
何故だろう この感じ、私 知ってる。
思考に気を取られていると いきなり引き込まれた。テリアスに腕を引かれたのだ。
通路とも呼べない細い隙間を 奥へ進む。少し進むと耳に心地よい水音が入ってきた。湿り気のある空気を深く吸い込む。更に進むと、マイナスイオン溢れる空間に出た。さほど広くはないが、排水溝程度の水路と人がすれ違えるくらいの通路が併走している。その水路の流れを目で追うと、この先が聖殿になる、と教えてくれた。水路の通路は壁から細い光が差し込み、仄かに明るい。壁からの光は隙間から漏れているようで、その壁が人の手によるものだということがわかる。ということは、ぶち壊せば聖殿に突入できるということか…。いざとなれば、聖殿の壁を蹴り壊して叫べば逃げてもらえるかもしれない。利き足でないのが悔しいが、左足は無傷だから蹴り壊せるだろう。そんなことを考えながら壁を手すり替わりに前へと進んだ。
「ここから中の様子がわかるぞ」
テリアスは光の入口を指さした。興味本意で真緒は覗き込んだ。
少し遠いが、聖殿の祭壇だろうか。信仰心の薄い真緒でも荘厳な雰囲気に気圧される。
1段低いところに並べられた椅子には見知った顔があった。中央に座っているのはお父さん?華美ではないが、白を基調とした衣装は威風堂々たる雰囲気でまさに王の風格だった。その近くにいる少年が第一王子なのだろうか。真緒の視線は姿を求めて彷徨う。
いた!
少年の後ろに控えている姿は、凛として、祭壇の炎に照らされて一段と輝いて見えた。この距離感よりも遠い人…。一瞬、目が合った気がした。そう思うだけで心が満たされた。




