62..深更の宴
深更━━━━━
喧喧たるこの場所に訪れた静寂は 漆黒の闇をより深めていた。
灯りの消えたメイド部屋を囲むように暗闇のなかにマオを狙う者たちが潜む。
それらに距離を置いて更に囲む者たち。それぞれの張り詰めた空気が場を支配していた。
ライルは黒衣にその身を包み、そのときを待っていた。木立の中に身を置いて、窓から漏れる灯りに注視する。
根絶やしにしてやる。
マオに危害を加えるものは何者も許さない。 前方の闇に蠢く影を鋭い眼光が射抜く。ライルの脳裏に浮かぶ背に傷を負い、痛みに苦しむ真緒の姿。真緒が攫われ焦燥感に駆られた日々が思い出され、腹の底からせり上がる荒々しい鼓動が全身を駆け抜け、グッと剣の柄を握り息を殺す。
灯りが消え 少しの静寂の後、いくつかの影が室内へ消えてゆく。
「捕らえよ!」
ライルの鋭い声に反応して 方方で灯りが点り、前方の闇に剣戟の音が響く。勝敗はすぐに決し、辺りはすぐに静寂が訪れた。灯りを手に室内へとすすむ。そこには何事も無かったかのようにルーシェが待っていた。
「…流石だな」
「恐れ入ります」
ルーシェは軽く膝を折ライルに礼をとった。室内の乱れは殆ど感じられない。床に打ち捨てられた幾人かの男たちだけが 襲撃のあった証だった。動くものは無い。ライルはそれを一瞥しただけで、追って入ってきた騎士にあとの始末を任せ、ルーシェと部屋を後にした。
本命は医療棟だ。
使用人用の医療棟周囲はすでに兵を配置している。逃しはしない。真緒がここにいることを知ることができる者は限られている。ルーシェを病室の入口に残し、真緒のベッドへ向かう。カーテンの隙間から覗き見ると 丁度寝返りをしたところだった。目が覚めてしまえば危険に巻き込むことになる。マオを もう危険な目には合わせない、強く心に誓う。
華奢な身体が呼吸に合わせ波打つ。ウィッグの下の艶のある黒髪。閉じられた黒曜の瞳。抱き寄せると赤く染まる耳もと。視線を絡めれば笑みがこぼれる。その笑顔が鮮やかに蘇り、物狂おしさに息が乱れる。真緒に触れたい気持ちを納め、ルーシェの元へ戻った。
二人は一瞬だけ視線を交わし、己の役割を果たすために各々その場を離れた。
ライルは廊下を止まることなく進む。
窓の外は松明が勢いを保ち、薄闇にその姿を見ることはできない。しかしその闇の中に奴らはいるのだ、必ずくる。兄上と対峙するのは私の役目。ある男を探して部屋の前に立つ。入室を許可する声に、ライルは迷わず扉を開けた。
「これはライル様、このような所においでになるとは」
当直医師は立ち上がり、入口まで出迎えた。
「久しいな ケイヤール、義姉上の出産以来か」
礼を取るケイヤールを手で制して、ライルは親しげな笑顔を向けた。ケイヤールはニックヘルムの妻の自死で前任者が辞職した後、公爵家に出入りしている医師である。
「あのメイドの様子はどうだ?」
「ライル様が知っている者でしたか。傷は化膿しておりましたが、熱も明日にはさがるでしょう。明後日には仕事に戻れると思います」
メイドのことをわざわざ気にされていらしたのですか?ケイヤールは探るような視線をライルに向けたが、ライルはその視線に気づかない振りをして話しを続けた。
「あのメイドはヴィレッツ殿下が気にかけておられるからね」
私としても気にかけているんだよ、口の端を上げて薄く笑う。
「毒でも盛られて死んでしまったら、殿下に顔向けできないからね」
ケイヤールが息を飲むのがわかった。ライルは後は頼む、と言い残し 部屋を後にした。扉を背に表情を消すと、薄暗い廊下に控えていた影に目線で指示を送る。
「さぁ 宴の始まりだ」
殺気を全身に纏い、その背に焔が立つ。
一瞬のち、その気配を消し去ると自身も配置に向かった。
ケイヤールが灯りを頼りに、病室に足を踏み入れる。真っ直ぐに真緒のベッドへ足を向けると、カーテンの隙間からその姿を確認した。まだ毒の効果はないか…規則的に上下する背中を忌々しげにみつめ、その場を離れる。窓際までゆくと、予め決めていた合図を送る。何度か灯りを左右に揺らす。松明の届かない闇の中に一瞬光を認めて、灯りを落とした。
これでいい、後はやってくれる
ケイヤール口元をゆがめるとそのまま病室を去っていった。アレニエの糸に絡められた憐れな男、後ろ姿を目だけで追いルーシェは口端を歪めた。
医療棟脇に広がる木立の陰に身を潜めて、ある男を待つ。病室の窓から灯りの揺らめきが見えたが、すぐに消えた。松明の灯りが届かないこの場所は闇が支配しており、ライルの心の闇とリンクして深みを増した。
きたか…
医療棟に忍ぶ影を見送り、背後に合図を送る。
木立を風が抜ける気配を微かに感じ、視線を正面に向けた。軽く目を瞑り集中を高めてゆく。空気の動きを全身でとらえ、タイミングを図る。
柄を握る手に力を込め 一気に引き抜き、襲う刃を払い除けた。息つく間もなく繰り出される刃を躱し、間合いを詰める。雲間から現れた月が互いの姿を照らしだした。
「やはりお前か、ハルツェイ」
名を呼ばれた男は 動揺を見せることも無く 油断なく剣先まで緊張を漲らせ 殺気だった視線をライルに向けた。
「兄上の命令か」
それに反応はない。ライルも否の返事を期待していなかった。背後の建物から聞こえていた剣戟の音が途絶えた。終わったのだろう。そうなれば ライルがすることは目の前の男に集中することだった。
呼吸を忘れる程の張り詰めた緊張感の中、互いの動きはない。
その均衡は唐突に破かれた。
ハルツェイは横に飛び身体を捻るとその刃を辛うじて避けた。
油断なく2手、3手を繰り出し、ハルツェイを追い詰める。足払いをかけ同時に短剣を抜くと一気に勝負に出た。組み付し剣先を首元へ突き立てる。しばしの睨み合いの後、ハルツェイは全身の力を抜いた。
「出番はなかったな」
この場面にそぐわないのんびりとした声がした。闇夜に同化した黒衣を纏い、似つかわしくない笑顔を浮かべ ライックが現れた。
ライルにライックがつけられていたように、テリアスにはハルツェイが幼少の頃より付いており、師であり護衛である。梟の中で単独で活動を許される者たちである。
「…ライックか」
ハルツェイは視線だけ向けて、武器を捨てた。ライックはそれを拾い上げると、ライルに短剣を引かせハルツェイに向き直った。
「我々は主に忠誠を誓ったもの。何を護るのか忘れてはいないな?」
剣呑な雰囲気を纏わせ、ハルツェイの身体を起こす。シュエットの二人は同じ視線で睨み合った。
「兄上の命令か」
ライルの問いに、ハルツェイは違う、自分の判断だと言い切った。テリアスがビッチェル派と接触していること、そのビッチェル派に不穏な動きがあり、テリアスが利用されることを危惧し、何度も進言したが聞き入れられなかったことなどを淡々と語った。
「このままでは王家に反旗を翻す旗印にされてしまう。テリアス様は渡りの姫の存在を消すために手を組んだまで。公爵家を テリアス様を守るためにも目的を達する必要があったんだ」
ライルは全身からみなぎりたつ殺気を隠さなかった。
そんなことのためにマオは狙われたのか…?
マオの命はあんな家の名誉のために危険にさらされたのか!
ライックはハルツェイから視線を外さず、ライルの殺気を牽制した。
「ハルツェイ、奴らはユラドアと繋がってるな?」
場所を移すぞ、ハルツェイの拘束を緩めることなく、ライックは立ち上がる。
「ライル、これは公爵家の問題だけでは済まない。この国の存亡に関わる。解るな?」
そこに居るのは梟をかつて率いた男の姿だった。




