5.宿屋での暮らし
目を開けると見慣れない天井に暫し固まる。シミが浮くアパートの天井とは明らかに違う。
身体が沈むマットレスも馴染みのないものだった。
残念ながら 夢落ちエンドはないらしい。
木枠の窓からは光が差し込み、鳥の囀りが聞こえる。
階下からは賑やかな声がし、宿屋の客だろうか、活気ある声が飛び交っていた。
リアルな営みがそこにあった。
真緒はゆっくりと身体を起こし、ベッドから降りた。
目が醒めても ここは見知らぬ世界だった。
窓の外に広がるのはどこまでも 森。
電線のある空も、行き交う自転車もいない。
大きく伸びをして窓を開けると、自然の風がふわりと髪を揺らした。
昨日は何度思い返しても理解できない出来事だらけだった。
エストニア王国ってなに?
これって異世界転移ってやつ?
一番の衝撃は母がこの世界にいたってこと。母の乙女な物語は空想の産物ではなかったようだ。この国の名前、この村の名前、登場人物(今のところマルシアだけだが)も物語の通りだ。母から託されたキャンパスには湖畔の大樹が描かれており、壁の日焼けに掲げるとなんだかしっくりとハマった。
「おや、起きたのかい?」
ノックと共にマルシアが顔を出す。真緒はマルシアに向き直り挨拶をした。
「そんな仕草もミクそっくりだねぇ」
なんとも嬉しそうに笑うと部屋のクローゼットを開けて服を選び始めた。
「マオのその服じゃ目立つからね。これに着替えな」
ミクのだけど大丈夫だろ、遠目でマオの身体に合わせて投げて寄越した。着方はわかるかい?と心配されたがワンピースタイプなので問題は無さそう。肯く真緒を確認すると、着替えたら下に来るように言ってさっさと部屋を出ていった。
一階へ降りると、昨日の部屋は食堂になっていた。
すでにピークは過ぎたのか食事をしている人はまばらだった。なのに雑然としているのは人の居ないテーブルの置きっぱなしの皿のせいだろう。
マルシア一人では手が回らないのだろう、片付けは後回しのようだった。
真緒は皿を集め、テーブルを拭きあげていく。
バイト先のフロアはこの何倍も広さがあるから、これくらいは朝飯前だ。
厨房へ皿を運ぶとマルシアは驚いた顔をしたが、助かるよと笑ってくれた。
客がはけると、マルシアとテーブルについた。
朝食とは思えないガッツリ系の朝食が真緒の前に置かれた。うん、見慣れない食材は無さそう。虫とか元が想像できないものとかカラフルなものとか出てきたらどうしようかと思っていたが、食文化は大差ないようだ。
香ばしい香りのする肉を小さく切って口に運んでみる。甘辛い味付けは真緒の食欲を誘う。白米欲しい。
最後に食べたのは山道に入る前だったから、何食か食べ損ねている。あっという間に皿は空になった。
真緒の食事が終わるのを待ってマルシアは これからの話をしよう と口火を切った。
「このまま ここに住めばいい。手伝ってくれたら助かるさ」
マルシアの申し出は真緒にとってとても有難かった。しばらく置いてもらえないか お願いしようとタイミングを伺っていたのだから。
宿屋の仕事なら真緒でも手伝いができそうだ。
「よろしくお願いします!」
勢い余ってテーブルにぶつけた額が痛かったが、真緒は居場所ができたことに安堵した。