46.胸の内
イザに抱きかかえられて部屋に戻った真緒は、途中で意識を手放していた。
ベッドに横になる真緒の閉じられた瞼には 涙が溢れており痛々しかった。ライルは起こさないようにそっと髪を撫で、涙を拭った。
せめて夢の中では幸せに満たされてほしい、真緒の額に唇を寄せる。ライルは寝顔に願った。
イザが医師とメイドを連れて戻ってきたタイミングでライルは部屋を出た。
もうすぐ夜が明ける。庭園の篝火は勢いがなく、爆ぜる音も小さくなっていた。その燻りは己を見ているようでライルを苛立たせた。
拉致も襲撃もテリアスの仕業だ。
父の指示がどこまであったかは解らないが、テリアス主導で行われたのは間違いない。真緒に向ける憎悪に燃えたあの目。争いの火種だけでは到底説明がつかない。ミクの娘だからか…?
テリアスとライルの母は18年前に自ら命を絶った。父がミクを匿おうとしたことを邪推したのだった。ライルは幼かったので母が心を壊した姿を知らない。既に父に付き従って政務に関わっていたテリアスは母の自死をどう捉えたのだろう。兄の心の闇は考えている以上に深いのかもしれない。
その兄からマオを護る。
兄の姿をみて、 呼吸を乱し 意識を失うほどの恐怖を感じたのだ。悔しさに唇を噛み締め拳を握る。口内に血の味が渡り、ライルは拳で拭った。
「マオは心配ない」
その背中にイザが声を掛ける。ライルは振り返らずに頷きで返した。イザはライルの肩に手を置くと 先に休め と声をかけて立ち去った。ミクの護衛に戻るのだろう。何も聞かないでくれるイザに心の中で感謝し、ライルは自室へ足を向けた。
王都へ近づくにつれ、整備された路が続く。太陽が登り始め 辺りを照らし始めた。夜の移動は危険を伴う。急な出立だったため 充分な警備配置が検討できなかったが、ヴィレッツ殿下の配下はよく訓練されており杞憂に終わった。
小休止で訪れた街は王都まであと数刻といったところだろうか。マージオが休む邸宅の周囲を報告を受けながら警邏を兼ねて散策する。ライックは昔から自分の足と目で確認することを怠らない。どこにでも隙はあるもの。それを事前に予測し対処することが、警護の質をあげることだと身をもって知っているからだ。そんな自分の行動を把握しているものがいることも。
「宰相閣下、なにか御用ですか」
人気のない場所まできて、ライックは背後に声を掛けた。マージオの盾と呼ばれたシュエットのひとりがそこに居た。悪びれることも無くニックヘルムは姿を現し、腕が落ちたな、苦笑いを浮かべてライックの横に並び足を止めた。
「ライック、あれをどうみる?」
「…安定した治世の中でなら問題はないのかもしれませんが、磐石ではないナルセル王子を支えるには不安要素が多いかと」
ライックは忌憚なく意見を述べた。ニックヘルムは気分を害した様子もなく、表情も視線も動かすことなくそうか、とひとことだけ返した。昔からこの人は本心を明かさない。ライックもそれ以上聞くことは無い。
「ヴィレッツ殿下はナルセル王子の後見人になられると聞き及んでいます。殿下が後見につけば、貴族の流れもはっきりしてくるでしょう」
心強い後ろ盾ですな、そう言葉を続け、横目でニックヘルムをみると、満足気な笑みを浮かべていた。
ヴィレッツの動向を注視していたが、ニックヘルムは敵ではないと判断したようだ。ご苦労 と告げると背を向けて歩き出した。
「陛下は ミクを否定した私を許してくれないだろう。あの娘は陛下の救いになるのだろうか…」
返答を求めない呟きのようなものだった。。
この国のため、心を殺してきたのは国王だけではない。宰相もまた苦しみの中にあった。そのことをライックは知っている。止まることが許されなかった時代をそれぞれ想いを抱えながら駆け抜けてきた。
この国を護る、この想いは同じなのに歯車が噛み合わないまま 年月を重ねてしまった。
マオの存在は 救いの手になるのだろうか。
マージオと真緒の対面が叶わなかったことが悔やまれるが、まずはナルセル王子の立場を確実にすることが重要だ。不穏な空気漂う王宮が待っている。
真緒にはイザとライルが付いている。真緒の安全は大丈夫だろう。
ライックは改めて気を引き締め、建物に向かい踵を返した。




