315.知らせ
ごく僅かな休息だけで、真緒は再び馬上のひと となった。
勿論、一人で騎乗できないのでハイツと一緒だ。
背後の男を振り返り見上げれば、冷ややかな視線とぶつかる。
「余裕ですね。では 馬を速めますよ」
言葉が終わるより早く速まり、真緒の身体はバランスをとる暇も無かった。ぐらりと揺れた身体を、ハイツの片腕が支えてくれる。
「ロデオでもするつもりですか?」
自らバランスを保つか、掴まるなりしてください
いやいや…
そもそも 馬に乗り慣れてないし。
それに これ、裸馬 だし。どこに掴まれと?
そうは思っても ハイツの纏う雰囲気が質問を受け付けていない。真緒は口を噤んだ。
だって私、空気読めますから。
でもさぁ… 容赦ないんじゃない、ハイツさん ……
口調は丁寧だし小娘だと見下してくる訳でもない。国王の娘だからと媚びを売る訳でもない。が、愛想がない。気遣いもない。
この世界での身近な人達は、大方、好意的に接してくれる。
ライックやイザは 小言も多いが、裏を返せばそれだけ情があるということだろう。
ヴィレッツ殿下、然り。アルマリア様、然り。
だが、この人はどうだ?
私のことが嫌いなの?
言動に棘があるように感じるのは、気のせいだろうか?
案外ライックに心酔していて、敬愛するライックが私に構うから面白くないとか? やだ、やきもち?
それともライルと私の関係が 気に入らない、とか?
暇に任せて自己分析をして 気が滅入り、深いため息が漏れた。…うん、ハイツのことは考えるのは止めよう。
さっさと 別の思考に切り替える。
『囮になれ』かぁ…
ライルのため、シーラを助けるためなら やりますとも。
シーラは12歳。12といえば小6だ。
まだ大人に護られべき歳。
なのに どこかハイツと通ずる シーラの無機質な表情。
髪を結われた自身の姿に 鏡越しに躊躇いをみせたシーラ。
でも、扉の向こうでそっと自身の髪に触れていた姿は年相応にみえた。
やっぱり シーラの笑顔がみてみたい
それは、決して私のわがままでは無いと思う。うん。
ハイツが遠慮なく速めたため、ただでさえ足場の悪い山の中で大きく揺すぶられて酔いが襲ってくる。馬には申し訳ないが、鬣を一掴みづつ握り揺れに耐え、 シーラのことや あれこれ考えて気を逸らしていたのに。こんなに気持ち悪くなってしまったら、気の所為では済まない。胃の迫り上がりを、唾を飲み込み必死で抑え込む。ジワリとかく汗が背を伝った。
「塞ぎ込めば、余計に酔いますよ」
何かお喋りしてくださって結構ですよ。吐かれても 止まることはありませんので。
…… この人、本当に人の機微に敏いのだろうか。
いや、沸点を突いてくる辺り、ある意味 敏いのかも知れない。こうも容易く人の神経を逆撫でするのだから。
ふつふつと怒りが湧いてくるが、生憎 酔い止めの代わりにはならなかった。
せめて何か言い返したい。
酔いは治まらなくても、怒りは鎮められるかもしれない。
一矢報いるために、散漫になる思考を無理やり巡らせてみるが妙案は浮かばなかった。
「…オ、マ……、━━━━━━ おい!起きろっ!」
背中に強い衝撃を受けて、ビクリ と身体が震え覚醒する。
気付けば馬の首にもたれかかり、寝落ちしていたらしい。
呆れとイラつきを隠さない声が、背後から容赦なく降り注いだ。
「馬の首に抱きついて寝落ちとは。戦場に向かっている自覚は無いのですか?」
ハイツによる雷と鉄拳を落とされた真緒は、続く小言を無視した。地味に背中が痛い。乙女を起こすのに 暴力は駄目だろう。のろのろと身体を起こして睨めつけて気力を振り絞った。
「痛いんですけどっ!馬から落ちたらどうするんですか」
真緒が抗議をすれば、ハイツは鼻で笑った。
「一度落ちて馬に蹴られたら宜しい。そうすれば そんなふざけた台詞は 間違ってもでないでしょうから」
いつ襲われてもおかしくない状況下にあるのです、ふざけるのも大概にしてください。目的をお忘れか?
その言葉にハッとする。
ハイツの怒りはもっともだ。
敵に『私はここに居る』と宣言しに行くのだ。
敵に向かって進んでいるのだから、襲撃を警戒するのは当然のことだ。
「…… ごめんなさい」
ここは素直に謝るべきところだ。
ハイツだけでなく、多くの人が生命を賭けてここにいるのだ。
体調が悪かろうとも、居眠りして起こされたことに逆ギレしていい理由にはならない。
真緒の謝罪に虚をつかれ、ハイツは目の前の娘をまじまじとみつめた。小柄で華奢な体躯は、己の片腕で容易に抱えられる程だ。そして、グローブと長袖で隠しているが 身体の一部が透けている。それは生命の燈の弱まりを現しているのだと、ライックから聞いている。そんな身体でこの娘は 燈がいつ潰えるかわからない恐怖と闘い、抗っているのだ。そんな状態の身体が正常な訳が無く、無理をしていることは想像に難くない。
「…いや…」
すまなかった、そう言いたかったが 言葉が続かなかった。
その代わりに先に馬から降り、真緒の身体を馬上からそっと抱き下ろした。 壊れ物を扱うかのように。
腕の中から見上げる真緒の双眸は見開かれ、半開きの口元をわなわなと震わせ、染まる頬に手を当てるとそのまま顔を覆ってしまった。
━━━━ 気遣ってやれず すまない
労りの気持ちを行動に込めた。
思った以上に自分は この娘が気に入っているのかもしれない。
… ふん… これくらいの意趣返しは許されるだろう…
心の中で呟く捨て台詞は 照れ隠し、だ。
真緒の反応を堪能したハイツは、控えていた部下に視線で報告を促した。
真緒を何処かに降ろした後に 報告となるだろうと様子を伺っていた部下は、一度目の視線に反応できなかった。
珍しいどころか天変地異が起こるくらいのことが目の前で 起きているのだ。
あの冷徹無比の上官が 大事そうに胸元に抱いているのだ、少女を。しかも 下ろす気配がない。
ハイツの咳払いで 射殺さんばかりの二度目の視線に気付き 慌てて報告を始めるのだった。
「…予定区域より手前で戦端は開かれました。
予想のおよそ三倍の奴らの襲撃を受け、戦況著しく不利。山神の援軍もあり、全体の崩壊は免れましたが…」
不自然に途切れた報告に、ハイツは不機嫌に片眉を上げた。続けろ、と発せられた声に 報告は続く。
「ライル様の消息が不明。陽動に出たシーラとも連絡が取れません」
真緒の身体の強ばりが、プロテクター越しにもわかった。
━━━ 泣くか? 喚くか?
この娘は、どんな反応を示すのだろうか。
ハイツは真緒を 無遠慮に見遣った。
「行こう、休んでる場合じゃない」
ハイツは、その言葉が何を示すのか解らなかった。
予想外の反応にしばし戸惑う。真意を探ろうと真緒を見つめれば、震える声は同じ問いを繰り返した。
「今すぐにいけば敵の後ろから攻撃できるんじゃない?まだ闘っている人たちを 助けられるんじゃない?」
声が震え掠れている。何かを堪えるように唇を噛みしめ、潤う双眸は強い力を宿してハイツを捉えていた。
降ろして、とばかりに胸元を押し返し身を捩る。
更に報告を重ねようとする部下を視線だけで制し、ハイツは真緒を抱き直すと、離れたところにいた女騎士を呼んだ。
「この先にあるカダの村に連れて行け」
「ダメ!まだ助かるかもしれない!行かなきゃ!
私がここにいるって引きつければ、沢山の人が逃げられるでしょう?
ライルだって見つかるかもしれない…!
ライル…!ライル…嫌っ!いやぁ……」
終わりは嗚咽にまみれて聞き取れない。真緒の叫び声も腕の中の抵抗も意に介さずハイツは真緒を女騎士に押し付けた。
「戦況は動いているのです、今更 です」
「ハイツさん!」
ハイツの腕を掴み 縋った。その真緒を容赦なく払い除け、連れて行けと背を向けた。
叫び 、いや 咆哮 が相応しいだろう。
この華奢な身体のどこからそんな声が出るのだろう。
更に追いすがろうとする真緒は地に伏せて拘束されるが、抵抗が止むことは無かった。背後から意識を落とされ、真緒の抗いは終わった。力が抜け抵抗の無い身体を女騎士は抱き起こした。
「エイラ」
声を掛けられ、女騎士は真緒を抱き振り返った。
「シュエ、ありがとう。助かる」
手伝うわよ、そう言って駆け寄ってきたシュエに、エイラは微笑んだ。
 




