312.想定の襲撃
冷たい風が、容赦なく吹き付ける。
まだ春とは言い難い 肌を刺す寒さに、コートの襟をたて 詰める。手綱を握る手は、薄くとも暖の取れる手袋のおかげで悴みは無い。だが、寒さに凍えて いざという時に身体が反応しなくては困る。
騎乗に触りのない範囲で捩れば、薄く開いたカーテンの隙間からは、真緒の姿が見えた。
ライルは馬車と併走していた。
馬車の揺れに合わせて、まだ肩に届か無い真緒の黒髪が跳ねる。口を尖らせ それを五月蝿そうに払う姿は なんとも愛おしい。
……集中しなければ。
そう自分を律すべく 叱咤するが、結局は 何度も覗き見て 想いを募らせていくのだった。
夜明け前、ライルは真緒を伴い王城を発った。
山神の者たちとライックが連れてきたエストニル兵が馬車を囲む。
どうせ奴は 我々の動きを監視しているのだ。
なら その期待に応えてやる。
裏門を潜り、夜闇に紛れるように 城下町を抜ける。
周囲が明るくなる頃には 街を離れ 荒廃した街道を進んでいた。
隊列の先鋒に位置していた男が振り返り、ライルに視線を寄越した。この男は見覚えがある。
ライックがここぞという時に重用する男だ。
それだけ能力を買っているのだろう。
男の示す先を視線だけで追えば、廃屋の陰や木立の茂りに、蠢く 影 …… 奴ら、か。
予想通り ━━━━ いや、期待通り か。
そうでなければ 困る。
マオを 危険に晒してまで 引き付けるのだ。
口の端を上げ、確認したことを視線で返せば ごく自然に男の視線は離れていった。
この廃れた街を抜ければ、二手に別れる。
山神の者たちは、険しい山岳地帯を移動しながら 更に幾手にも別れる。奴らを峡谷に追い込んでゆくのが役目だ。幾手に別れる中で、真緒は山神の集落へと向かう事になるのだ。集落は護りに特化した 小さな要塞 ともいわれている。そこならば安全であろう。
荒廃した街道が途切れ、道幅が細くなってゆく。
次第に むき出しの岩肌が目立ち始めた。
登り始めた太陽と共に強まる陽射しによって泥濘んだ道に 車輪が取られる。極端に速度の落ちた馬車を護るようにライルは馬を寄せ、扉を二回叩いた。
扉の小窓越しに顔を出した真緒の顔色は、恐ろしく悪かった。
「マオ!?」
「……た」
ん???
「……酔ったのっ!」
━━━ 怒鳴られた
悪いのは顔色だけじゃないか…
思わず苦笑が漏れる。唇を尖らせる姿は、まるで鳥のようだ。文句も可愛い囀りのようなものだ。
不機嫌な様子まで 愛おしく感じるとは 己も大概だ。
「ここは道が悪い。馬で行こう」
まだ冷える。マントをしっかり被るんだ。
気持ちを入れ替え、表情を引き締める。
この先の道は、襲うには不向きだ。
━━━━━ 奴らが仕掛けてくるなら、このタイミングだろう
仕度するように声を掛け 視線で合図すれば、真緒はハッとしたように表情を強ばらせながらも静かに頷いた。
そのときだった。
風が耳元を掠め、馬の嘶きと共に悲鳴や怒号が飛び交い辺りは騒然となった。
「落ち着けっ!馬車を護れ!」
━━━━ 来たか!
ライルは声を張り、向かってくる火矢を薙ぎ落としてゆく。圧倒的火矢の数の有利さに、直ぐに周囲は炎に包まれていった。濃い煙が視界を狭め、視野を狭める。
馬車から立ち上がる炎の勢いが増し、ライルは扉を蹴破ると、頭からフードを被り、屈む身体を抱えあげて、馬の腹を蹴った。
立ち込める煙の中にある雑踏は敵味方の区別がつかない。風上を目指して馬首を向けると、名を呼ばれた。
「こちらへ!」
この声はライックの部下だ。
声の誘導を頼りに その背を追う。けもの道とも言えない場所を迷うことなく進んでいった。
…小柄で華奢な外見は真緒変わらないのに、こうやって抱くと違いがはっきりとわかる。認識してしまうと、どれもこれも違うことが、ライルの不安を煽った。
……マオは 無事だろうか…
己の腕の中で身を寄せる少女は ライックの部下だ。
まだあどけなさの残る少女は十二だという。
だが、歴とした梟の一員だ。
実年齢よりもずっと小柄で幼くみえる真緒の容姿に見合う者が、この少女だったのだ。
真緒の影武者だと ライックに引き合わされた少女はシーラと名乗った。年齢よりも大人びた…いや、感情を排したその言動が、人間としての温もりを感じさせないのだ。
その歳ならば、まだ親の庇護下にあるであろうに。
そんな感情をライックは読んだのだろう。
「お前が 騎士団に入ったのも この歳だろうが」
だかな、歳が問題なんじゃない。
生きてゆくために コイツは この道を選んだ。
その決断をして 今 がある。
お前もそうだろう?
そう言って気合いを入れるかのように背中を叩いてきた。
「シーラはな 、ルーシェのようになりたいらしいぞ」
あんなのが二人もいたら、オレは 敵わんな…
わざとおどけた口調で ボヤくライックに ライルは 苦笑するしかなかった。
「…シーラ、宜しく頼む」
向き直り 声を掛ければ、シーラの身体がビクリと震えた。初めて彼女がみせた感情 は 『戸惑い』 だった。
「………はい」
かなりの間を置いて、漸く返事が返ってきた。
蜘蛛が王家の御庭番であるように、梟は宰相の手足となるものだ。
後継では無いライルは 梟の全容は知らないが、この歳で実戦に投入されるといことは、シーラはもっと幼い頃からこの世界に居る、ということだろう。
真緒にシーラを引き合わせれば、真緒は 妹ができたみたい とはしゃいだ。
感情の乏しいシーラは、真緒の勢いに気圧された様子だったが、満更でもないのかされるがままになっていた。
慌ただしく出立の準備に追われ、ライルは真緒のそばを離れなければならなかったが、シーラは護衛としても優秀だった。真緒が眠りについている間に、忍び込む輩をしっかりと排除してくれたのだった。
奇襲の知らせは、馬車に突き刺さる火矢から燃え広がる炎だった。
「失礼します」
シーラは有無を言わさず真緒の身体を、座席下に押し込めた。
シーラの突然の行動に、閉められた羽目板を押しやったが真緒の力ではビクともしない。立ち込める煙と燃える音が真緒の恐怖心を煽った。
ライルから聞いてはいた。
途中で襲撃を受けるだろう と。
自分は真緒の影武者シーラと共に敵をひきつけ 峡谷へ誘い出す。
その間に真緒は、山神の者たちと集落へ向かえ。
そこで 待っていてくれ と。
「━━━━ そのまま 声を出さずに」
思考を中断させる声に、身を固くすれば それは見知った人物だった。ライックの右腕だと、紹介された壮年の男だ。
そのことにホッと息を吐き、言われるがままに身を任せる。
馬車の下から引きずり出された真緒は、全身を布に包まれて担がれた。ツンとした臭いに無意識にそれを避けようと身をよじれば、その声が動きを制した。
「燃えにくい薬を染み込ませてきます。しばらくご辛抱を」
そう言われてしまえば、仕方がない。
黙って その臭い耐えながら馬の揺れに翻弄された、
襲撃で 忘れていた馬車酔いが 威力を増して襲ってきた。
本気で吐きそう……
意識が飛んでしまえば楽なのに、馬体に打ち付ける痛みがそれを許してくれない。
身体中 痣だらけになるじゃん!
この作戦を考えたのって、絶対ライックな気がする。
次会ったら 文句のひとつも言わなければ気が済まない。怒りを 吐き気を抑える燃料にして 耐え続けた真緒は、激しい揺れから解放される頃には 疲労と痛みで身体の自由が失われていた。
朦朧とした意識の中で身体にヒヤリとした風を感じ、包んでいた布が取り払われたのだと わかった。
しかし、地を丸太のように転がったのは何故だろう?
荷物宜しく、乱雑に布を剥がしたようだ。
私の扱い 雑じゃない…?
流石は ライックの仲間だわ…
類は友を呼ぶ ってことね…
もう 目を開ける気力もない。
朦朧とする意識は、次第に闇に飲まれてゆく。
「…マオ? …困りましたね、まだ貴方の役割は終わってませんが」
…そんなこと言われても 無理 です
って、役割って なに?
沈む意識は安易に浮上しない。
言うことを聞いてやる義理はない。疲労困憊の身体は既に限界を超えていた。
真緒は 引き込まれる闇に逆らわず 意識を手放した。




