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306/318

306.寒空の下

微睡みの中を漂う意識は、寄せる波のように絶え間なく攫われる。

深く … ときに浅く。

その浅瀬の縁で、会話を拾う。


「…ルーシェ、ちょっと いいか? エイドルが…」

その声に、温もりが離れた。

繋がれていた右手の温もりを失い、淋しさに襲われた真緒の意識は急速に浮上した。額に持ってきた自分の左手の冷たさに、軽く身震いする。随分長く 右手が握られていたのだとぼんやり思った。


「マオ? … 気分はどう?」

気遣う声に瞼を開く。

思ったより重い瞼は 思うように開かず、まだ視界がぼやけている。身体の気怠さとのしかかるような重みが 真緒の気持ちを苛立たせ、乱暴に首を振った。

「…少し傍を離れるよ。直ぐに戻るから」

大丈夫。ここは安心していい場所だから。

ルーシェは苛立つ真緒を宥めるように 優しい手つきで髪を撫でてくれる。真緒は のろのろと手を伸ばしてルーシェの腕を掴んだ。

「…エイドルが どうかしたの?…私も 行く」

否、と言わせないとばかりに、真緒は無理矢理開いた双眸でルーシェを見つめると、ふんっ!と心の中で気合いを入れて軋む身体を起こした。


━━━━━ うん、起きてみれば、さほど辛さはない。


強いていえば、腰や背中が痛いくらいだ。

「…エイドルに何かあったの?」

そう尋ねれば、ルーシェ はなんてことは無い風を装い、肩を竦めた。


「傷を負ってるらしいの、本当に まだまだ よね」


…ねぇ ルーシェ、私は知ってるよ

エイドルのことを いつも心配していること。今だって本当は すぐにでも駆けつけたい ことも。

でも それを隠しているから 私も気付かないフリをする。


ベッドからの立ち上がりに手を借りながら、

私、結構寝てた?

と 話題を変えて 尋ねれば、

うーん、疲れが出たんでしょうね… と ルーシェの苦笑いが返ってきた。


… そんなに寝てたの…… ?

ライルに助けられて、一緒に馬に乗って移動し始めたところまでは 覚えている。その後、どうしたっけ…?


うわぁ…あのまま 寝落ちしたのか…私……


…緊張感の欠片も無い。

殺させかけてたのに 眠りこけるとは…

流石に自分に呆れる。


…いやいや、今は 考えるのやめよう。

気にしてしまったら、誰の顔も見れないような 気がした。


よしっ!


気合を入れて、気持ちを入れ替えて、両足に力を入れ軽くスクワットする。ぐっと伸びをすれば、モヤのかかったような思考もクリアになってきた。

控えめに灯りのともされた室内は、暖炉も焚かれ、調度品のぼんやりのとしたシルエットが浮かび上がっている。薄暗い室内にもようやく目が慣れてきたようだ。


「ここは マスタリング公爵の別邸よ」

ここどこよ? とばかりに落ち着きなく視線を動かす真緒に、ルーシェはそう教えてくれた。

うーん、聞いたことの無い名前。


転ぶわよっ!

ルーシェは叱責と共に支える腕に力を込めた。

縺れて よろめいた足元を指摘され、慌てて気を引き締めた。



ユラドラの邸の造りは、エストニルのように回廊や中庭がない。強いて言えば、ホテルをバージョンアップしたような感じ。ホテルとは規模が違うが、長廊下には大きな窓があり、廊下に沿って重厚な扉が存在した。

廊下を進むと、渾然とした人の行き交いがある。

無秩序な人の波を縫うように ルーシェに手を引かれ辿り着いた先に、ヘルツェイが待っていた。


ルーシェの後ろに真緒の姿を認めたヘルツェイは、儚さを増したその姿に眉を寄せたが、何も言わずに 扉に手をかけ、二人を室内へ誘い入れた。


「………姉さん? ごめん…しくじった」

照明を落とし、月明かりに頼っ た室内に身動ぐ人影を見つけ、ルーシェは足を早めて近づいていった。部屋を満たす鉄の臭いに 真緒は少し躊躇い足を止めたが、ヘルツェイに背を押され 二人の元へ足を向けた。

「…何やってるのよ、まったく…」

怒ったような口振りなのに、安堵の気持ちが滲み出ていた。ルーシェはエイドルの身体に触れ、傷の程度を確認していく。真緒は その様子をベッドの足元で見守った。


「……ん…?…マオ?」

エイドルからかけられた声に、顔が見る位置まで近づく。ルーシェが真緒を気遣い、椅子を勧めてくれる。立っていることが少し辛く感じ始めていたので 有難い。勧められるまま、大人しくエイドルの枕元に腰掛けた。


青白い顔に、色のない唇。うっすらと浮かぶ汗。

エイドルの動きで、鉄の臭いが濃さを 増す。

身体に視線を這わせば、不自然な配色の服が月明かりに照らしだされており、それが血痕だとすぐにわかった。

「…大丈夫…じゃないよね…」

かすり傷、なんて 嘘。

これくらいの傷、なんてことは無いさ、

と言うエイドルを睨みつけた。


少し離れた位置で話していたヘルツェイとルーシェだったが、扉の外から呼ばれて少し前に出ていった。

だから、今は二人きり。

エイドルの少し速い呼吸が、二人の間の沈黙を埋めていた。


「…… いつもと 逆 だね」


その沈黙に耐えられず、真緒はおどけて口を開いた。


「ほら、いつもは私が心配かけてることが 多いでしょ? こんなことも あるんだね~

でも こんなに怪我して 心配させないでよね!」


真緒の言葉に、エイドルは 軽く手を挙げて わかったよ、と返してきた。その姿が おどけているように感じて、真緒は苛立ちと共に言い返そうとした。それを遮るように、エイドルが口を開いた。


「ビッチェル王子は 無事だ。

ここまで 一緒にきた ……王子の近侍には気をつけろ」

真剣さを宿した双眸で見つめられ、真緒は言葉に詰まり、頷き返した。


「……ちゃんと、ライル様に護られろよ…」

見つめる瞳が優しさを帯びて 一瞬で閉じられた。

「ちょ、ちょっと!どうしたのよ! 死んじゃうみたいなこと、言わないでよ!縁起でもない!」


不安…違う。

失う 恐怖だ。


エイドルの姿に 真緒の恐怖心が煽られ、エイドル両肩を掴んで揺すった。立ち上がった勢いで椅子が倒れ、鈍い音が室内に響いた。


「…おい、 勝手に殺すな…」

苦笑いを浮かべ、肩にも傷があるんだ。痛いから離せよ。エイドルの呟きに 慌てて手の力を抜けば、背後からの鋭い声に 真緒は大きく身体を震わせ飛び退いた。


「怪我人に何をしているっ!」

はい!そうです、その通りです、ごめんなさいっ!


誰が見ても そう思うよね。

怪我人に襲いかかっているようにみえるよね。


灯りを手にした白衣の男たちが、エイドルの居るベッドに真っ直ぐ向かってきた。真緒は気圧されるように彼らにベッドサイドを譲ると、ゆっくり後ずさった。

暖炉に火を入れる者、灯りを灯す者。

押されてきたカートにはガーゼなどの診療材料が載っていた。


「わっ、私、外にいるね」

エイドルの服が脱がされてゆく様に慌てて 目を逸らし、それだけ言うと 扉に向かった。エイドルが呼び止める声がしたが、知ったことではない。裸を眺める趣味も、血だらけの傷を見る度胸も 無い。


後ろ手に扉を閉めて、大きく息を吐いた。

廊下の喧騒は 続いていた。

人目を避けるように、廊下に背を向け、窓から外へ視線を向けた。

黒の濃淡で、茂みの存在がわかる。

(…庭 かな?)

通りすがる人達から向かられる視線から逃れたい、そんな思いが真緒の足を向かわせた。廊下を辿れば、容易に外へ通じる扉をみつけて、躊躇うことなく外へ出た。


開放感に心浮かれての散策は、すぐに後悔に変わった。

「うわっ、寒い…」

何も考えずに 出てしまったが、コートなしで冬の屋外は無謀だった。暖炉が焚かれ、廊下も暖かかったのでうっかりしていた。

仕方ない、散歩は取りやめて、早く室内に戻ろう。

こんな所をライルやルーシェに見つかったら、小言くらいでは済まない。

建物に沿ってゆけば、さっきのように中に通づる扉がある筈。震える体を擦りながら、足を早めて先に見える灯りを目指して建物の角を回り込む。


そこは 庭とテラスに面した部屋だった。

暖炉の灯火だろうか。

厚地のカーテンの隙間から室内の灯りが漏れていた。

端の大きなガラス窓がカタカタと音を立て揺らいでいる。どうやら窓が開いているらしい。


「すみません…… お邪魔します…」

薄く開いていた窓ガラスに手をかけてそっと開いて身体を滑り込ませる。厚地のカーテンに行く手を阻まれ掻き分けると、布地の温もりに包まれてゆく。その心地良さに手が止まった。


暖かい…


思った以上に身体が冷えていたようだった。悴む(かじかむ)指先がジンジンと脈打つ。それが全身に広がり、痺れるよに巡る温もりの感触を 己の身体を抱きしめて逃した。温もりに満たされると、身体の力が抜けてゆく。


…動かないと 寝ちゃう…


このまま気が緩んだら 睡魔に取り込まれる。

包まれた温もりは蠱惑的だった。誘惑に負けそうな心を一喝し、振り切るように一歩踏み出してしまえば、後はスムーズに抜け出せた。

薄暗い部屋の中をそろりそろり と歩みを進める。

部屋の真ん中辺りまできた時だった。


「…ご覚悟を お決めなされ」


感情を排した低い声が 空気を震わせた。
















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