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305/318

305.去就

内偵の情報によりにより カウゼル伯爵の館に潜入していたヘルツェイは、ビッチェルを追ってきたエイドルと合流を果たしていた。

ビッチェルの近侍・ソルタスは カウゼル伯邸に ビッチェルを滞在させていた。


『貴方様の存在は 切り札なのです』


ソルタスが囁く嘘の甘言を ビッチェルは 疑うことなく受け入れていたのだ。エイドルが 言葉を尽くして 疑うこと、自重するようにと諌言しても ビッチェルに聞き入れられることはなかったのだ。


ヴィレッツとマリダナの王妃ステリアーナがソルタスを伴いカウゼル伯邸に現れたのは夜闇の訪れと同じくして だった。

質素な誂の馬車から、マリダナの宰相が用立てたという豪華な馬車へと乗り換え、カルゼル伯爵を伴い慌ただしく出立してゆく。

ヘルツェイはソルタスの監視をエイドルに告げ、護衛のため、その後を追っていった。



「ビッチェル殿下!大変でございます!」


ヴィレッツの馬車が出立してから半刻の事だった。

ソルタスは青ざめた顔で、ビッチェルの元へ駆け込んだ。長く自身に仕え、こんなに取り乱した姿をビッチェルは知らなかった。自身を王族として称え、矜恃を支えてくれるこの男の姿に、ビッチェルは動揺した。

息の上がる年老いたその背に、そっと触れ その言葉の先を促した。


「大変でございます! ヴィレッツ殿下とマリダナの王妃ステリアーナ様を載せた馬車が マリダナの鷹の標的となっていると ━━━ !」


暗部から得た 情報なのです!

このまま馬車が襲われることとなれば、マリダナはエストニルの責任を追求することでしょう。万が一にも王妃様の身に何かあれば… エストニルはマリダナに……!


どうか お助けください、ビッチェル殿下!

貴方様の名声と剣の腕があれば … エストニルを救うことができます!


ソルタスの懇願に、自身の拠り所とする剣の腕を 持ち出されビッチェルは 鷹揚にうなづいた。


「私が 打って出る!

マリダナの鷹もエストニルの王子である私なら 不足はあるまい」

私が マリダナの鷹を引き付け、マリダナ王妃を逃そうぞ!


ソルタスの肩に置く手に力を込めて 鼓舞すれば、ビッチェルは、自身の存在が認められたような充足感に満たされ、鬱積した気分が晴れてゆくのを感じた。


私は 決して無用で無力でもない。

頼ってくれる臣下の期待に応えたい ━

マオ亡き今、交渉材料を失い マリダナの謀を暴くのは難しいが、王族として国の不利益を回避する一翼を担えるのならば本望だ。


ビッチェルの強い意志を孕んだ言葉に、ソルタスは深々と頭を下げ、礼を尽くした。

ありがとうございます!

伏せたソルタスの口元は歪み、嘲笑を浮かべていたが、ビッチェルが気づくことはなかった。


愚か者でも 王家の血を引く者。

ユラドラの地で 命を散らせば ユラドラに対して王族の死への責任が問える。愚か者は、死してヴィレッツ殿下(次期王)を救った名誉と 王族としての矜恃を保てるのだ。



打って出るぞっ!

自ら囮となり、マリダナの鷹を引きつける。


少数の騎馬を連れ ヴィレッツの馬車を追うビッチェルを止めきれなかったエイドルは その騎馬の一群の中にあった。


ビッチェル殺害を目的とした一団から、何としても護らなければならない。口元を引き締め 強く手綱を握り締めた。


これは 罠 だ。

ビッチェルを葬るための 誘い水。

ソルタスの弁にまんまと乗せられ、ビッチェルは自らその舞台に上がってしまったのだ。

ビッチェルに併走するように馬を走らせ周囲を警戒しながら、エイドルは強く唇を噛み締めた。


自身の命を賭しても、何としても護らなければならない。諌めきれなかった自身の責任だ。共に駆ける騎馬は十数人。このうちどれだけが味方なのであろうか。


そんな思考を断ち切るように、それは突然始まった。

空を切る矢を放つ鋭い音を合図に、剣戟の音が夜闇に響いた。

声はない。

それは、盗賊などではない、ということ。

ビッチェルを葬ることを目的とした 者たちであることを示していた。


「私が エストニル王子ビッチェルだ!相手になるぞっ!」

声高々に宣言したビッチェルが 抜き身の刀を構えた。


この闇の中で、なぜその存在を知らしめるんだ!


エイドルは盛大に舌打ちして、ビッチェルの身体を絶え間なく放たれる矢から護るように馬上から、引き釣り下ろした。そのときに、肩や足に痛みが走ったが、構っている余裕は無かった。

ビッチェルが転がり落ちた先には、寝返った護衛がビッチェルに躊躇いなく刃を向けてくる。

容赦なく向かってくる相手に、エイドルも身動きが取れないでいた。剣の腕前に自信を見せていたビッチェルを信じ、目の前の男たちに集中する。

3対1の状況をどう対峙するか、思考を巡らせ距離を保ちながら、ビッチェルの背後に回り込むように動けばそれを阻止しようと、仕掛けてきた男を一刀だに伏した。


よし、これで 2対だ。


エイドルは剣先を返し、正面の男へとむけ、視線はもう一人の男へ走らせた。


「…っ!うわっ……!」

甲高い剣戟の音に重なるようにしとビッチェルの声に、エイドルの意識が 一瞬 逸れた。


そこに隙を見出されて、繰り出された一刀をかろうじて弾き返すと、臀を着き後ずさるビッチェルに向かう剣からビッチェルの身体を 力任せに薙ぎ倒した。

ビッチェルの身体に振られバランスを欠いたエイドルの身体は、繰り出された剣先を 身体を捻り躱すのが 精一杯だった。


灼熱の痛みが 脇腹を走り、思わず膝を着いた。

チカチカとする視界を、大きく目を見開くことで正し、漏れる声を奥歯で噛み締めて殺し 、腰の短剣を抜き 目の前の男を貫いた。


「殿下!お怪我は?!」

エイドルの問い掛けに、 大丈夫だ… とかすれ声が返ってきた。様子は気にかかるが、振り返る訳にはいかない。目の前には まだ 刺客が居る。



気付けば、剣戟の音は 止んでいた。

圧倒的不利な状況下であった筈だが、どうやら決着が着いたようだった。厄介だった矢も止んでいた。

その事実に勇気づけられ、エイドルはビッチェルを背にかばいつつ、目の前の男と対峙するためゆっくりと立ち上がった。


「…誰の指示だ?」

エイドルの問いの答えは、振り出された剣先だった。大きく開いた足で、不安定な身体を支えていたエイドルは低くした姿勢からその剣先を僅差で躱すと、一歩踏み込み薙ぎ払った。声もなく前傾に倒れる男の背に剣を立て、大きく息を吐いた。


視界が揺れる。

霞み、狭まる視界を、一瞬強く目を閉じ 大きく見開いて リセットする。

新たに近づく蹄の音に 舌打ちして、エイドルは集中を向けた。


護りきれるか…?

骸で剣の血糊を拭い去り、柄を握り込む。ヌメリで滑る手を荒々しく自身の服で拭い取ると、より力を込めて柄を握り込んだ。


そんなエイドルの前に、ビッチェルを護るように、闇から現れた男たちが 立ちはだかった。


その背に向かい、エイドルは声を振り絞った。


「……ここは 私が抑えます。殿下を … お願いします」


傷を負った自分では、ビッチェルを護りながら逃げるのは難しい。だが、新手の足止めくらいはできる。


エイドルの覚悟の言葉に 男たちは 迫る蹄に警戒を解くことなく 目配せし合い、ひとりがビッチェルの肩を掴み立ち上がらせると、数人を伴い深い闇へと 下がった。それを気配で確認したエイドルは、残った男に並び立ち、闇に浮かび上がったシルエットに全身に殺気を纏った。


俺は ここで死ぬのか……

ダメだ!

生き残れ!

マオを見送るのだと 決めたじゃないか!


乱れる息を 大きな深呼吸で整えると、顕になってきたシルエットを睨みつけた。

シルエットから抜け出しそこに現れたのは、ヘルツェイだった。

その姿を視界に捉えたとき、エイドルの緊張の糸が途切れ、膝をついた。

息の荒い馬の首筋を撫でおちつかせながら現れたヘルツェイは、エイドルの姿に、眉をひそめた。

「…怪我をしてるのか?」

その問いに、

「かすり傷です。心配いりません」

エイドルは即答した。

それを厳しい顔でうなずきかえすだけで、ヘルツェイは何も言わなかった。

事の成り行きの報告を受けながら、馬を降り、呆然とし言葉を失っているビッチェルの前にヘルツェイは 立った。


「…… お前は … あのときの 傭兵…?」

見上げるその姿に、ビッチェルはかすれ声を掛けた。


ああ、覚えてらっしゃいましたか?

「エストニル宰相閣下 配下のヘルツェイと申します」


不遜な態度でヘルツェイが応えれば、ビッチェルは目を見開いた。


この男は、自分が王子だと 初めから知っていたのか!

マリダナを出国し、ユラドラの森で 出会ったこの男。


この地で偶然を装い 接触してきたというのか!

私は ずっと 宰相に見張られていた、というのかっ!


ビッチェルの心の声を 正確に 汲み取って、ヘルツェイは慇懃に言葉にした。


「殿下の履き違えた王家の矜恃のせいで、どれだけの者たちが、危険に晒され 命を散らせたことでしょう。貴方は 我々が生命を賭す価値に値するのでしょうかな?」


王家は 国を護り、民の生活を護り豊かに過ごすために尽力する。王は舵取りを、王妃は慈愛を。

王家に連なるものは、その一翼を担う責務があるのだ。責務を果たさず、利益と名声だけを享受する者は 必要ない。


「わ…わ、私は…、エストニルを…護りたいと…」

ヘルツェイの冷ややかな眼光に晒されて、ビッチェルの言葉は尻窄み、その視線は 力なく地を向いた。

「自らの置かれている状況を承知で、このような行動に出られたのですか?」

ヘルツェイの容赦ない言葉に、ビッチェルは俯いたまま口を閉ざした。

その姿に大きく嘆息し、これ以上言うことは無いとばかりに ヘルツェイは指示を出しながらその場を離れた。


「申し訳 ありませでした。殿下を諌めることが出来なかった私に責があります」

処罰は如何様にも受けます。

ヘルツェイの足元に膝を着き、エイドルは口にした。(ルーシェ)と同じ金色の髪が揺れる。騎士としてはまだ線の細い青年の身体は、至る所に黒ずんだ染みが広がり、痛みに耐えるかのようにその背はかすかに震えていた。

「━━━━ 後悔など なんの解決にもならない。最後まで責務を果たせ」

エイドルの腕を掴み引き立たせると、その足元に血溜まりができていた。エイドルはヘルツェイの視線でそれに気づくと、足払いで血溜まりを土で隠した。

「やれます!」

ヘルツェイの言葉を制するかのように、力強い視線を向けるエイドルに、ヘルツェイはビッチェルと馬車に同乗しての護衛を命じたのだった。


蹄の音が、漆黒の闇に響く。

取り立てて特徴の無い馬車を囲むように併走するいくつかの影。黒衣に身を包むもの達の姿は闇に紛れていた。


その先陣にたつ ヘルツェイは 何度目か分からない嘆息をこぼした。

馬足を落とし、馬車に並ぶ。

カーテンの隙間から車内を伺えば、背もたれに身を預けうずくまるように身体を丸めるビッチェルの姿を捉えた。そのままその向かいに座るエイドルへと視線を向けた。

馬車の揺れに眉間の皺がより深くなる。

そっと自身の手を脇腹に沿わず様を、ヘルツェイは見逃さなかった。

(…… もう少しだ、堪えてくれ ……)

姿勢を崩すことなく、声を漏らすことなく耐えるエイドルの姿に ヘルツェイは唇を強く噛み締めた。


あと少し早く 引き返していれば…

エイドルは怪我を負うことは なかったかもしれない。


馬鹿な…

後悔など なんの解決にもならない。

己が よく知っているではないか …


それでも

思わずには 居られない



馬首を前に向け、馬足を早める。


すまない …


そっと 胸の内で詫びるのだった。








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