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301/318

301.この腕に抱いて

何かが 爆ぜる。

その音が 、目覚めに向け揺らいでいる意識を 覚醒させた。続けざまに爆ぜる暖炉は、仄暗い室内の中で一際輝きを放っていた。眩しいくらいの焔の揺らめきに誘われるように重い瞼を開けてゆく。明るさに目が慣れてると、見慣れぬ男の後ろ姿が視界に浮かび上がった。

暖炉に向けて木片を投げ込んでいる。

それに火が移る度に焔が増して、薪が爆ぜる。

その様子を男の背中越しに 真緒はまだぼんやりとした意識の中で見つめていた。


誰……?


頭が割れそうに痛い。

考えたいのに 頭痛がそれを邪魔をする。

少しでも動かせば 胃が競り上がってくる。再び目を瞑りやり過ごす。荒くなる息遣いを必死に整えた。


「……起きたか…」

意外と時間がかかったな。薬が効きすぎたか…

感情のない声が、その男から発せられた。

振り返ることなどない。くべた薪を火かき棒でならすと、揺らりと立ち上がった。


…こっちに 来る!

気配が近付く。板の間のはずなのに不思議と足音がしない。

だが 感じるのだ。

暖炉がたかれ暖かい筈なのに 凍てた空気が真緒の肌を刺す。迫る恐怖に 閉じていた瞳をさらに強く瞑り、かけられていた毛布を強く握り締めた。



「渡りの姫」

その声に 身体が跳ねた。身震いが止まらない。

逃げなきゃ!

脳の司令が四肢に届かない。鉛のように重い身体は言うことを聞いてくれなかった。ざらついたシーツの上を無意味に足掻く。

ヒヤリとした感覚が頬に走り、身体の強張りが一層増して、真緒の心臓を締め上げた。


「… 興味深いな 」

忍び笑いが、空気を伝い耳朶を震わす。男の吐息が首筋にかかり、その不快さに悲鳴が漏れた。

「そう嫌うな」

一向に止める気配などない。

男の手が、髪に触れ、肩を撫でるたび、肌が粟立つ。

真緒は無意識に腕を伸ばしその手を払った。


払ったはずの腕に拘束されて、自由を奪われる。

毛布を掴む反対の腕で自由を得ようと足掻けば、男はニヤリと口の端を上げた。

「やはり、な」

徐に足掻いた腕も捕まれ、仰向けにシーツへ縫い止められ、真緒の恐怖は頂点に達した。

「…い…や…」

すきま風のようなかすれ声がかすかに口をつく。

負けるものかと目を見開くと、男を睨みつけた。暖炉の灯りに照らされて、陰影が濃く浮かび上がった横顔は、やはり知らない男だった。

表情の読めない能面のような顔立ち。

逆に整いすぎて 作り物のようだった。その唇が弧を描く。凍て刺す瞳は、真緒を見下ろしていた。


「…あなた…誰…?」

気力を振り絞り、口を動かす。先程よりも声が出た。そのことが真緒を勇気づけた。

「ねぇ、あなた 誰!」

二度目は しっかりとした声となり、室内に響いた。

「…名か?… マリダナの鷹 と呼ぶ奴もいるがな」

そんなものはどうでも いい。男は興味無いとばかりに言い捨てた。それでも外さない視線に、真緒も負けずに睨めつけた。

「…あなたが ここに連れてきたの?」

顔が近い。男は 真緒の身体に跨るように乗りあがり、拘束した腕を真緒の頭上で纏めあげると、片手で押さえつけた。男の瞳が途端に輝きを放ち 頭上に向けられた。真緒もそれに釣られて 視線を追った。


「…その腕は 渡り人の為せる力か?」

束ねる右腕は二の腕までグラデーションに透け、掴まれた手首は斑にその存在が可視できた。


「…あ…」

なんて答えよう…なんて言えばいい?


正直に答える必要はないだろうが、誤魔化すにしても腕が透けている現状は明らかに異常だ。

「言え」

冴え冴えとした声が真緒を追い詰める。男の指が真緒の首筋に触れる。喉を撫でるように触れた節榑立つ手は大きく、容易に真緒の首を締め上げた。

「ぐ…ぅ…っ…!」

苦しさに藻掻くが、抑え込まれた身体は動く事も出来ず、纏められた腕は緩むことがなかった。

苦しさに生理的な涙が溢れ出る。抑え込まれた気管が空気を求めて きゅぅきゅぅ と苦しげに鳴いた。


「…いいな、その()

生き足掻く姿は 何よりも美しいものだな…


妖しい光を瞳に湛え 舌舐めずりする様は 悪魔だ。

感心した口振りで、苦しみもがく真緒の姿を手を緩めることなく眺めている。

いよいよ 意識が薄らぎかけたとき、その手は突如外された。


大量の空気が流れ込み、激しく咳き込む。

身体を捩ることも許されず、咳き込みに波打つ身体は力によって抑え込まれた。

そんな真緒の様子など 気に止める様子もなく、男の視線は、左手に身につけているオペラグローブに注がれていた。


「…この 手袋」

徐にオペラグローブに手をかけ、真緒の腕から強引に抜き取ると、射殺す程の強い視線で真緒を睨みつけた。


証拠隠滅のため、木箱を割り、暖炉にくべた。

そのとき、底板の節穴に白い裂けた布端を見つけた。真緒の身につけていた服地だと思っていたが、その布の感触は正にこのグローブと同じだった。

「… お前 何をした?」


なに? なんのこと?


ようやく酸素不足を補えた呼吸は荒々しく、まだ思考する余裕はない。胸を突き出し上下させて荒い息を繰り返しながら、睨めつけるのが精一杯だった。


男は 奪い取ったオペラグローブを真緒の目の前で揺らした。

「もうひとつは どうした?なぜ ない?

この透けた腕は どういうことなんだ?」


答えろっ!


再び首にかけられた指に 力が籠る。


さっきのは本気じゃなかったんだ!


そう理解できるほどの力で締め付けられる。再び襲う加減のない力に、真緒は死神の足音を聞いた。


死神って 足あるんだ …


どうでもいいことが頭を過ぎる。

いよいよ 花畑に召されたかも。


ライル …

ライル …


そういえば 前に殺されかけた時、誰か 言ってたな …

死ぬ直前は 脳内麻薬が効いて 苦しさから解放されるんだって。

それ、ホント かも。


踏み鳴らされ乱れた足音と共に、風を切る音が混じる。ノック音のような規則的な音が トン トン トン と壁から鳴り、急に身体に乗る重みから解放された。


息が吸える!


慌てて吸い込めば、大きく咳き込んだ。

身体が咳き込みに合わせて波打つ。身体を起こすことができない。無様にシーツの上で身体を丸めた。


「マオ!」

この声…… ルーシェ?

確認するまでもなく、ルーシェの顔が近づいてきた。頭から腕、身体と慌ただしく擦り 大きな傷がないことを確認しているようだった。真緒の身体を引き起こし壁に寄りかける。壁に刺さるスローインナイフを回収しつつ、その背に真緒を、庇った。


引き起こされて 視界に飛び込んできたのは、男と間合いを取り、睨み合う ライルの姿だった。


ライル!


その名を呼ぼうとして、口を噤む。

素人にも分かる、張り詰めた空気。

研ぎ澄まされた均衡は 容易に崩れる。

背中からルーシェの服を掴み、その緊迫に耐えた。



「…ふーん…。ナイト(騎士)のお出ましか」

残念だな。唇が弧を描く。

「貴様が マオを攫ったのか?貴様は誰の犬だ?」

ライルの問いに、男は片眉を上げ、不満げに鼻を鳴らした。


「馬鹿にするな。私は 誰の犬でもない。己の意思で動く。私が渡りの姫を欲っした。それだけだ」

異世界の人間、それだけで興味が湧くだろう?

噂にある 渡り人の知恵にも興味がある。国を挙げて護る人間とは どんなものか 。だから手に入れたのさ。


「いい加減にしろ!マオは 道具じゃない!」

ライルは抜きみの剣を構え直し、半歩進み出て間合いを詰めた。


「ねぇ、その腕。なぜ 透けているのか、それだけでも教えてくれないかなぁ?」

男は 油断なくライルに向けて短剣を構えながらも、真緒に声を掛けてきた。真緒の身体がその声に反応して震えたのを背中越しに感じたルーシェは、その視界を遮るように真緒を、庇った。

緊張の沈黙を払うように、男はわざとらしいため息をついた。

「得たいことを手に入れるためには、力づく ということか」

焔が上がるように瞬時に満ちた殺気が、剣に纏う。

容赦なく繰り出される短剣を、ライルは十分に引き寄せて跳ねあげた。そのまま狙った剣は宙を切る。

男は 床を跳ね 回転した後には、剣を握っていた。


まるで軽業師だ。足音が しない。

剣戟の甲高い音と、ライルの足音が 暖炉の爆ぜに混じる。

「私をね 追い詰めた男がエストニルに一人いたよ」

お前は知ってるかな?

くっくっ と忍び笑いする。暗部の男だ。宰相の犬だ。

「奇遇だな、俺もその男を知っている」

ライルも不敵な笑みをうかペて、男に応えた。

「貴様は知っているか? その男の弟子が 俺だ」

言葉と共に繰り出した剣は男の直前で向きを変え、下から跳ね上げるように 剣先が男の胸を攫った。

剣は止まらずに、そのまま滑らかな弧を描いて胴を薙ぐ。

それを男は寸で で躱し、服地が裂けるだけで終わった。

一刀浴びた胸元は血が滲み出し、男は不思議なものを見るようにその血を指でなぞった。


「分が悪いな … 今はナイトに譲るよ」

私も 仕事しないといけないからね。

そう呟いたときには、背中から窓を突き破っていた。

ライルは何太刀か繰り出し その姿を追ったが、捉えることはできなかった。


闇が支配する渓谷に、逃れる者と 追う者の気配が動く。

それを確認したライルは、大きく息を吐き剣を納めた。


ルーシェの背に縋る腕は、服地の拠れが真緒の指先がそこにあると示す。肘先はグラデーションに透けていた。

ライルには、それが意味することが 解る。

だから あえてその事実から目を背けた。


「マオ…無事でよかった」

ルーシェの背からようやく覗いた瞳には、安堵と喜びが溢れていた。真緒が手を伸ばす。

ルーシェは真緒の腕に気付き、表情を固くしたが、何も口にすることはせず、黙ってライルに場所を譲った。


外の警護を 見てきます

ルーシェはそう告げて、ふたりから離れた。


そっとライルの腕が 真緒を包む。

真緒の腕がライルの背中に回された。


今は 言葉なんていらない

この温もりが 全てだ。














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