299.マリダナの鷹
ユラドラ ━━━━━━━━━
近代の王族が私欲にまみれ、放蕩の限りを尽くした愚かな国。宝石、絵画、美術品などが無秩序に飾り立てられた王城は衆愚の残滓である。
テリアスは初めて王城に足を踏み入れたとき、その光景に唖然とした。
身に纏うものは最早衣服では無い。
ボロと化した布を纏い、力なく項垂れる。
その瞳は生気が失われ、絶望を通り越し、虚無を移す。
目にするのはそんな民の姿ばかり。
王城へと辿り着いたテリアスにとって、無秩序に飾り立てられたその場所に 言葉を失った。
民から搾取し尽くし、贅の限りを尽くす。
宝飾品を飾り立て、享楽に耽ける。
から騒ぎの宴が 毎夜の如く繰り返されていたであろう広間には 先王と前王太子アルタスの肖像画が掲げられていた。
そのときの激情は、思い出すだけで 今でも怒りで身体が震える程だ。
愚か者たちたちは ━━━━━━
民の暮らしに目を向けることも無かったのだろう。
生きることすら保証されない民に 思いを馳せ寄り添うこともなかったのだろう。
大河ひとつ挟んだ土地では、飢えた民が生きる希望を見いだせず、絶望すら抱けず、虚無の中で死を待っていたのだ。
これほどの悲惨な状態だと知らなかった。
知ろうともせず 過ごしていた己の罪は重い。この国の民を、未来ある子供たちを救いたい。
テリアスは強く心に誓った。
新たに王となったのは、エストニルが後見した15歳の第三王子・ヨルハルだった。
暗殺の手をかわしながら、王宮の隅でひっそりと息を凝らして妹姫と過ごしていた王子だ。
先々王に仕えていたユラドラの良心と呼ばれていた忠臣たちは 先王によって追放されていたが、ヨルハルの要請に応え、国を立て直すために戻ってきてくれた。
テリアスは父の元で学んだことを活かし、二人の忠臣と共にユラドラの復興に力を注いだ。
ヨルハルは王としての才覚をみせ、広く意見を聞くことを躊躇わず、決断も早い。
即位後、直ぐに行ったことのひとつが 民への救済であり、王宮の殆ど全ての美術品や宝飾品を売り、その資金を惜し無ことなくつぎ込んだ。
ヨルハルはテリアスの期待以上の人物だった。
夜霧が朝日に呑まれる早朝、
何も無い廊下を 自身の執務室に向かいながら テリアスは当時を思い出し、回想にふけっていた。
…随分と サッパリしたものだ。
国が安定してきたら、少し買い戻し 体裁を整えねばな。些か 他国の使者を饗すには 華が無さすぎる。
チラリ と目を向けた先にある 離宮を見遣り、短く息を吐き出す。
数週間前から秘密裏に離宮に滞在する御仁は 、ヨルハル王の行いを賞賛し 理解しつつも、王城のあまりの様子にわざわざテリアスを呼び付けて、王城のあるべき姿について説教を始めたのだ。
これでは他国に足元を見られる。なんとか致せ!
そう激を飛ばされたのだ。
......... まったく 痛いところを 突いてくれる .........
そこまで思い返し、テリアスは軽く頭を振り 今度は深く息を吐し、足を速め 執務室へと向かった。
小気味よいノック音と共に三人の男が顔を見せた。いずれもテリアスが呼んだ者たちだ。
「お早いですな」
忠臣のひとりであるマスタリング公爵の嫡男・ソリュートは、爽やかな笑顔で挨拶を口にした、その後ろにライルとヘルツェイが続く。
この顔ぶれが呼ばれるということは、エストニルから何かしらの連絡が入ったということだろう。ライルは兄であるテリアスに話の続きを促すように、注目した。
「何か 動きがありましたか?」
口火を切ったのはソリュートだった。
ソリュートはテリアスより二つ年嵩の穏やかな男だ。
それは見かけだけで、テリアスに通ずるものをライルは感じている。
現にヘルツェイがユラドラで暗部を錬成しているが、短期間でそれらを使いこなし、反乱貴族の動向監視に役立てている。その手腕はヘルツェイのお墨付きだ。高齢のマスタリング公爵やターナー公爵が一線を退いても、この男が居ればユラドラが揺らぐことは無いだろう。
「『マリダナの鷹 』を知っているか?」
テリアスが三人の顔を見廻す。申し合わせたように頷く三人の応えをみて話を続ける。
「……それが ベルタの街からマオを拉致してユラドラにいる」
深い渓谷に無惨に打ち捨てられた荷馬車の経緯を伝えれば、ライルの顔つきが険しいものとなった。
「…… 御者と数人の人夫、マオを運んだとわ思われる紋章入りの木箱ごと行方不明だ。マリダナの国境を越える前に捕らえたい」
そして、もう一人。
もう一人?
三人の表情に疑問詞が浮かぶ。思い当たらないとばかりにテリアスに視線を集中させた。
「ビッチェル殿下が近侍と共に行方不明だ」
腐っても王族。どんなに困った殿下でも、マリダナの手に落ちれば厄介だ。
ヘルツェイは虚勢を張っていた王子を思い出す。
国を護りたいという気持ちは本物だった。だが、諌める者も導く者もおらず 甘言に乗せられ罪を犯した王子。今回も マリダナ王の手の者の甘言に踊らされているのだろうか…。
「ソリュート殿、国境を固めよ。不穏分子が手を貸すことのないよう目を光らせよ」
「ヘルツェイ。エイドルが殿下を追ってユラドラに入った、速やかに合流せよ。 場合によっては........解っているな?」
続けざまに指示を出す。了承を受けるとライルと視線を交えた。
「ライル」
強く噛み締めた下唇は色が無い。固い表情に不安の色が濃く浮き立つ。そんな弟に喝を入れるように テリアスは一段と低い声で問うた。
「マオを保護せよ。『マリダナの鷹』が相手だ。できるか?」
マリダナの鷹。
ヤーデンリュードの命令でも 気に入らない依頼は拒絶する 暗殺者だ。
だが、暗殺を生業にしている訳では無い。
要人警護から暗殺、策謀… 今回のような拉致までこなす。依頼を受けるかどうかは この男の胸三寸。報酬や権力では無いのだ。マリダナという大国で名を馳せたためそう呼ばれているが、実際はどこの国にも現れる。依頼者も王族から平民まで様々だ。
ヤーデンリュードが、靡かない姿勢が一興だと 保護しているとも聞く。
今回の拉致については、マリダナの関与は不明だ。
「やります」
ライルは即答だ。相手が誰かなんて関係ない。マオを害するものは全て 敵 だ。
生命の力を失う中、多くの時間が失われてゆく。傍にいて護ることすらができない。その歯痒さに苛立ち過ごしていたのだ。まさか拉致されていようとは。
必ず 助ける。
この手で 護る
ライルの気炎万丈の様に、テリアスは珍しく表情に感情を浮かべ、念押しした。
「無理はするなよ。いいか、ライックが向かっている。くれぐれも無理はするなよ」
まずは、在処を確かめるんだ。
立ち上がり、執務机越しに肩を掴んだ。その手に自身の手を重ね、そっと肩から剥がした。
「兄上、大丈夫です。マオは勿論ですが、自分自身を軽んじるつもりはありません」
無言で交わす視線は、互いの心情を読んでいる。
「…ルーシェを連れてゆけ」
それには 素直に頷いた。右腕に申し分ない。
話はそれだけだ、そう言わんばかりにテリアスが手を挙げれば、ソリュートが礼をとり、それに続きライルが足早に退室して行った。
ヘルツェイは退室仕掛けて一度足を止め、テリアスを振り返った。視線の先 テリアスの瞳は不安と少し後悔の色が見えた。
「…… 大丈夫だ。ライル様は強い。そして、マオのこととなれば より強くなれます」
信じましょう、その力を。心の強さを。
ヘルツェイの言葉に、テリアスは相好を崩した。
「…敵わないな、お見通しか」
その笑みは一瞬で、苦いものに変わった。
「……もう父上に失う悲しみを味合わせたくないのだ。あんな父上だが、母上が自死したあと、深酒に溺れ、酒で短い眠りを得ていたのを知っている。深い悲しみを仕事に向かうことで目を逸らしておられた」
あの頃は、それが宰相として高潔な行為なのだと思っていたが、今なら解る。
「…頼む。ライルを護ってくれ…」
上に立つ立場で口にしてはいけない言葉。
それを十二分に承知で テリアスは口にした。
手練を選んで付けます。
ヘルツェイは それだけ告げて 今度は振り返らずに部屋を後にした。




