296.トラサーズ商会
「━━━━ どうぞ お入りください。お待ちしておりましたよ」
ノックから間を置かず、内から扉が開かれた。
マキシナスは愛想の良い笑顔を浮かべ、イザとエイドルを迎え入れた。指し示されるまま ソファにふたりして腰掛ける。その正面にマキシナスは腰を下ろした。背もたれに身を預け、突き出た腹をゆったりと擦りながら 視線はエイドルに向けられていた。上から下まで行き来する視線は値踏みされているようで、エイドルは眉を寄せた。
「…いや、失礼。あのダンの息子かと思うと 感慨深いのですよ」
悪びれもなくマキシナスは目を細めて 豪快に笑った。
「…ダンやライックと共に 国王や宰相を支えた男だ」
イザは、目の前の男をそう紹介した。
どう答えたら良いのか戸惑い、無言でぎこちない会釈を返す。
そんなエイドルの姿を、間違いなくダンの息子だ、と嬉しそうに口にするマキシナスに 警戒心がほぐされていく。
「父とは親しいのですか?」
「もう長いこと 会っていないですが、若い頃は酒を酌み交わし、理想を語り合ったものです」
エイドルの問いに応えたマキシナスは、懐かしそうに目を細めた。あの無口な父さんにも そんなときがあったのだと 純粋な驚きと共に父親を身近に感じた。
「さて、何をお望みですかな?」
マキシナスは足を大きく広げ、その股に突き出た腹を押し込むように前傾姿勢を取ると、声を潜めイザを見た。その顔に笑はない。
イザも身体を前に倒しマキシナスに向き直った。
「その前に ━━━ 殿下に何を話した?」
イザも表情を消し、ふたりは静かに視線を交し腹を擦リ合う。
「…ご挨拶 申し上げた だけです。あの方の息子ですからな」
どちらも視線を外さない。
多弁に交わされる視線の会話に、エイドルは完全に蚊帳の外だった。己の出番はない。静かにその攻防の成り行きを見つめていた。
「ダンの息子よ、貴方は殿下をどう見ますかな?」
突然 会話の矛先を向けられ、身体が跳ねるように震えた。イザの視線も己に注がれていることに気づき、背筋を伸ばした。
「━━━ 幼い そう感じました。
策もなく御身を囮にする。死して償いとするなど、自己陶酔以外の何物でもない。
あの方のために生命をかけるものがいることにお気付きでは無い。
… 王子としての言動に 疑念を持ちます。
しかし、周囲を囲む者たちの中で 今まで諌める者が無かったのかと思うと、可哀想なお立場なのだとも思います」
エイドルは素直に口にした。
父の知り合いということもあって思いのままに言葉にしてしまったが、批判とも取れる発言をしたことをすぐに後悔した。後悔が表情に現れていたのか、イザは愚直だな と苦笑した。
マキシナスはその答えに満足したようだった。口許を緩め、何度も頷き、エイドルに優しい瞳を向けた。
「私も、貴方と同じような感想を持ちました」
ゆっくり身体を起こし 背もたれに寄りかかると、腹を撫で大きく息を吐いた。
「━━━ ことを進めるにあたり、殿下は邪魔にしかなりません。王宮へお帰りなさい、と申し上げました」
王子の身勝手に付き合う義理はありませんからな。
そう呟きなからマキシナスは 立ち上がり、数枚の紙をイザに差し出した。
「マリダナ国内の情報操作は仕上がり上々でしょう。
王は王妃を見限り、辺境の古城に幽閉する命を出しています。同時に王妃と懇意にしていた貴族らが追放されており、それらの王妃への叛意が高まっております。
王はそれを黙認しており、暗殺の可能性は否定できないでしょう」
「…我が国で仕掛けられたら厄介だな。揚げ足を取られぬうちに早々に国へお帰り頂かねばな」
イザの言葉に深く頷き、話を続ける。
「ユラドラ内の小競り合いは、マリダナが裏で糸を引いていました。そちらもテリアス様が収めております。商隊に扮したマリダナ兵は既に拘束しており、ユラドラに入ったマリダナの宰相は 裸同然です」
マキシナスは背を起こすと、愛嬌のある容姿に似つかわしくない残忍な光を瞳に宿し、口の端を上げた。
「━━━ 宰相閣下の 筋書き通りに。順調かと」
イザは黙って頷き、エイドルに視線を移した。
「さて、お守り役のエイドル、どうする?」
「ほぅ 、 どうしますかな? 頼りの渡りの姫が死んでしまって、殿下はさぞお困りでしょうな」
イザに続き、マキシナスも揶揄うような口振りだ。
まさか 真緒が死んでいると騒ぎ立てた人夫は…
ハッとして マキシナスを見返せば、満面の笑みだった。
……これも 謀のひとつ なのか……
一体 どれだけの策が巡らされているのか …
しかし、それを上回るのが 真緒だ。
あの行動は想像を越えてゆく。大人しく 山神の使いの元へ行ってくれるだろうか。
イザに小突かれ、エイドルは意識を目の前の問題に戻した。さて、ビッチェルをどうするか…
「ダンの息子なら腕前は心配ないでしょうから」
それならば、と マキシナスはしたり顔で 続けた。
「殿下にも 王族としての役割を果たしていただきましょうか」
折角 殿下本人も囮に使ってくれ、と仰っていますからね。
鼻唄を歌うように 機嫌よく語るマキシナスは悪い顔だ。そんなマキシナスを、イザは渋面を隠そうともせず睨めつけた。
ベルタの英雄は 怖いですなぁ …
わざとおどけた口調で肩をすくめる様を、イザはうんざりした顔で睨めつけた。
「…やめてくれ…」
額に手をやり俯く。 おや、ご謙遜を。マキシナスは本気で嫌がるイザに 愉快ですな、と腹を揺すって笑うのだった。
一頻り笑えば気が済んだのか、マキシナスは真緒の処遇について聞いてきた。イザは不機嫌さを隠すことなく、突慳貪に答える。
「山神の使い に託すのは宜しいですな。だが、渡りの姫は素直に聞きますかな。かなりのじゃじゃ馬だと聞き及んでおりますよ」
マキシナスの言葉に、押し込めていた不安が頭を擡げる。イザとエイドルは申し合わせたように 視線を合わせた。
「…会頭、来客中に失礼します」
控えめなノックと共に、扉の向こうから声が掛かった。マキシナスが 構わない と先を促せば、入室することなく用件が告げられた。
「…ユラドラに向かう荷が整いました」
「わかった。積荷の元締めに検品させろ」
その言葉に、扉向こうの気配が立ち去るのがわかった。
「積荷に混じりもんが有るんですよ。人だったり物だったり…まぁ色々ですがね。安全の問題だけでなく、信用にも係わりますので 出立前に確認するんですよ」
私が自ら確認することが多いんですがね。忙しいときは元締めが 代わりにやります。今回の荷は、先週から未払いで取り置きされてた荷でして…。まあ、問題ないでしょう。
眉を下げ、毛のない頭を掻く姿は なんとも愛らしかった。
話は終った、と イザは席を立った。
夜が明けたら、真緒を山神の使いの元へ送り込む。
予定通りであれば、明日にはヴィレッツが女狐と共に ベルタへ現れる筈だ。
明日に備えて 身体を休めねば。
真緒を何処に匿うか … 思案しながら執務室を後にする。この後の細かなやり取りを交し、ビッチェルの元へ向かうエイドルとその場で別れた。
真緒の待つ部屋へと足を向ける。
吐く息が白く煙る。
冴え冴えとした月が、澄んだ空気の中で妖しく光を放っていた。




